EX『精霊王と彼女のすべて』
ずっと、何かに恋い焦がれていた。
磨りガラスごしに見える大火のように燃え盛るこの感情の正体を私は知らなかった。そして、それは今も変わらない。
ーーだけど。
君と過ごした短い日々は、そういう事がどうでも良くなってしまうぐらい、楽しかったよ。
______________
■Ex:『精霊王と彼女のすべて』
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「……どこだ、ここは」
目の前に広がる辺り一面の
照りつける日差しに目を細めながら、いやにひんやりする足元に目を向けると、どうやら自分が泥水に足を突っ込んでいるらしい事が分かった。
彼女の最後の記憶は、周りの裏切りによって"異界流し"の術式へと誘い込まれ、そこから脱出しようとしたところまで。
今日はまだ眠っていないから『リセット』はされていない筈だ。記憶に間違いは無い。
「ふむ……」
ーーつまり、ここは異世界という事か。
精霊王は細い顎に手を添えながらそう結論付けた。
軽く周りを見渡すが、人は居ない。
「……まずい」
彼女ーー精霊王は、一度眠ると新しい記憶がほとんど消え去ってしまう。
それをカバーするのが、右目に宿った『他者の記憶を読み取る能力』。
自分をよく知る人間にそれを使用する事によって、彼女は"精霊王"という人物を理解し、模倣してこれた。
記憶を保管しておく外部サーバーのような物だ。
……しかし、今は周りに人が居ない。
それの意味するところは、このまま新しい人間……『記憶サーバー』を見つけられなければ、彼女は自分がなぜ異世界に居るのかさえ忘れてしまうということ。
いや、そもそも明日以降の自分は、ここが異世界だという事にすら気が付けないかもしれない。
なぜ自分が見知らぬ土地に居るのかも分からず、そのまま野垂れ死ぬ可能性もある。
「……私の世界はどうなったんだろうか」
"精霊王"である自分を始めたとした各種族の頂点たちと、"勇者"による戦争。
彼女が異界に飛ばされた時点でこちらの軍勢はほとんど勇者一人によって壊滅させられていた。
そこで自分も消えてしまえば、敗北は確定してしまうだろう。
……だが、そういった事を気にするよりまずは人を見つけなければ。
とりあえず民家でも探すかーーと、彼女が歩き出そうとした時。
「■■■■■■■、■■■■■■ー!?」
その時、彼女は背後から何者かの声を聞いた。
何を言っているかは分からないが、とりあえず振り向いてみる。
「■■■■、■■■■■■■……?」
そこに立っていたのは、少し無気力そうな顔をした黒髪の少年。
ーーこの世界の先住民か。
体は細く、武器を持っている様子も無い。少々目付きは悪いがどこにでも居そうな普通の少年だった。
……
精霊王は心の中でそう呟いた。
この少年を記憶サーバーに仕立て上げられれば、ひとまず目先の不安は消える。
困惑した風な少年の目を覗き混みながら、精霊王は口端を歪めた。
ーー名前、思想、言語、経験。
この少年に関するあらゆる情報が目から流れ込んでくる。
「あ、あ、あー……ボクは……いや違うな、セッシャ……あぁ、
一瞬にして読み取った言語のすり合わせを行いながら、精霊王は少年に歩み寄る。
警戒させぬよう、出来るだけにこやかに、可能な限り無害そうに。
まるでそこらの村娘のような普遍さを意識して、精霊王は少年に話し掛ける。
「君の母語はこれで合っているかな。景色を見た限り高度な農耕民族のようだが……あれ、私の言葉通じてるかい?」
「え、ちょっ……」
「通じてるようだな。体の造形も近い……似たような進化を辿ったのだろうか。ちょっと失礼……ふむ。性器も私の世界の猿人族と大差無いな……」
「ひあぁっ!? 股さわるな! おい!? なんなんだお前! チカンだぞ! 女の子だからって何でも許されると思うなよ!」
精霊王はスキンシップと異界人の身体構造の把握を兼ねて少年の体を触ろうとしたが、少年は驚きながら転んで泥にダイブしてしまった。
どうやら女が積極的に男に触れる事が
転んだ少年に手を差し伸べながら、『次は気を付けよう』と精霊王は心に誓った。貴重な現地人の好感度を下げるのは合理的ではない。
「私が何なのかーーという質問には答えよう。私はスティルシア。こことは別の世界から来た者だ」
ーーよし、と精霊王は内心ガッツポーズをした。
これで自分が異世界から来たということは彼に"記録"できた。あとはどうにかして、この少年の家に住まわせて貰う事が必要だ。
記憶と思考を読んだ事で、自分の容姿がこの世界ではーー少なくともこの少年の基準では"美少女"に属する事は分かった。
最悪、色仕掛けでもなんでもして懐柔できるかもしれない。
そういった事は不馴れだがやるしかない。
泥から道路に上がってため息を吐く少年の背中をじぃっと見ながら、精霊王はそう思案した。
■
「……それ、私も食べて良いの?」
「当たり前だろ」
場面変わって少年の家。
なんとか住まわせて貰う事を取り付けた精霊王は、少年が机に置いた皿を見詰めていた。
更に乗っているのは、芳ばしい香りを放つ丸い肉の塊。
少年はハンバーグと言っていた、この世界特有の食べ物だ。
記憶を読んだとはいえ、一度に全てを把握するのは不可能。分からない事もある。
脳がオーバーヒートしてしまうし色々とこんがらがってしまう。
「おいしい……」
はむ、とハンバーグを口の中に運び、精霊王は目を見開いた。
ーー温かい。種族の頂点という地位である以上、それなりに舌は肥えている自信があったが……彼女は驚いていた。
この料理に金銭が発生するわけでもなければ、少年は私が"精霊王"である事すら知らない。
なのにも関わらず、ここまで手間の掛かった美味しい料理を出してくれた。変な薬が入っている様子もない。
その事実に困惑と驚愕を抱きながら、彼女は静かにハンバーグを食べ続ける。
「覚えてる食べ物の中で一番おいしかったよ!」
食べ切った後、せめてもの礼儀として精霊王は少年にそう言った。
自分の世界で見た『普通の少女』の笑顔を意識して、にぱっと笑いながら。
『そりゃ良かった』と言いながら皿を下げる少年を見ながら、精霊王は溜め息を吐いた。
……こちらの世界も、意外と悪くない。
精霊王は少しだけ目を細めながら、元の世界に帰るまではこの世界で普通の少女みたく過ごすのも良いかもしれない。そう思うのだった。
それからこの少年が熟女趣味だと発覚し、自分の色仕掛けなど無意味だと知ったのは別の話。
■
「待ちたまえっ」
「なんだよ」
「私も行きたい!」
「嫌だよ!」
「いーきーたーい!」
「うるさいぞ千歳児!」
「ぐっ、ぬぬぬ……!」
その次の日、精霊王は外へ買い物に行こうとする少年の前で駄々を捏ねていた。
もっとも彼女は自分が精霊王である事を忘れてしまっているのだが。
昨日、この世界が思った以上に心地よかった精霊王は、自分でもビックリするぐらいはっちゃけてしまったのだ。
その結果、彼女は記憶サーバーである少年に『ちょっと頭が弱くて陽気な女の子』だと認識されてしまいーーこの通り、演技ではなく本当にちょっと頭がアレで陽気な少女になってしまっていた。
彼女の記憶維持システムの仕組みは、『記憶サーバーから見た
つまり、記憶サーバーの人間が彼女を善人だと思えば善人になるし悪人だと思えば悪人になる。
そのせいで精霊王は今、以前の彼女を知る者が見れば卒倒するであろうハイテンションで少年と言い争っていた。
そんなこんなで少年を言いくるめ、外へ連れて行って貰った精霊王はーー空を見上げて、顔をしかめる。
……うっすらとだが、空に奇妙な魔方陣が展開されているのだ。
まだ未完成なようだが、少しずつ大きくなっている。
「……異界流し、か」
少年の記憶を読んだ事で、こちらの世界にモンスターが送られているのは知っている。恐らくあの魔方陣は次の準備だろう。
完成するのは明日の昼ぐらいか。
「……この子のために、スライムの魔核でも集めておくかなぁ」
バスに揺られながら、精霊王は横に座る少年の顔を見た。
何故か自分の胸の辺りを見ながらアタフタしている彼を不思議に思いながら、精霊王は猫のように『くふぁぁぁ……』とあくびをするのだった。
■
「うぁあぁぁぁぁ、どうしようどうしよう……!? 死んじゃうってばぁ……!」
ーー本格的にモンスターが襲来してきた日、精霊王は頭を抱えながら半泣きで居間をぐるぐるしていた。
少年が、友人を助けに一人で街の方に向かってしまったのだ。
……自分に、家を守るよう言い残して。
あの少年は、贔屓目無しに見ても才能の塊だ。
しかし今はまだ弱すぎる。一対一ならワイバーンにすら殺されてしまうだろう。生き残れるとは思えない。
「行かなきゃ……!」
精霊王は玄関に走っていき、扉を開けようとしてーー少年の"祖母の記憶"を思い出す。
……この家は彼らの思い出の場所。魂の無い自分なんかには分からない、大切な大切な居場所。
モンスターなどに壊させるわけにはいかない。
「……ちょっと時間は掛かるけど、防壁を張っていこう」
ーーどうか、私が行くまで持ちこたえて。
そう願いながら、精霊王は防壁の展開を始めた。
それから、先程までのテンパりが嘘のようにカッコ良く少年の前に登場してどや顔したのは秘密である。
◆
「■■■■■■」
「ん、うぅぅ……?」
ーー何者かの声で、精霊王は目を覚ます。
くしくしと瞼を擦りながら辺りを見回すと、そこには見知らぬ黒髪の少年の姿があった。
「……誰だ」
「■■■■■■……?」
精霊王は咄嗟に起き上がり、少年を睨み付ける。
そして、そんな自分を見て困惑した風な少年と目が合いーー
「っ……ぁあ、あ、君か」
「俺以外に誰が居るんだよ……ったく、このくだり毎朝やるのか? 朝飯作るから、速くベッド出ろよ」
「あはは……ごめん、ね」
記憶を読み取ると同時、さっきまで知らなかった少年に対して急速に愛しさと親しみが湧いてくる。
そして、そんな彼を睨み付けてしまった自らへの嫌悪感も。
「……また、忘れてた」
毎朝、精霊王は少年の事を完全に忘れている。だから眠る時は本当に辛いのだ。それは楽しかった今日の思い出との決別なのだから。
記憶を読めると言っても、経験できるわけではない。
だから朝に彼の記憶を読むと、ついその中にいる自分を羨んでしまう。
『どうして君の瞳に写る私はこんなに幸せそうなんだ』と。
……思い出すのは、昔の事ばかりだ。
自分が持っていられるのは、もう会えない程に昔の人々の記憶だけ。
今を生きる愛しい人の事は覚えていられない。
「難儀な、ものだねぇ……」
キッチンで朝御飯を作る少年の背を見つめながら、精霊王は泣きそうな声でそう呟いた。
「……でも」
……きっと、大丈夫。
精霊王は、にへらと顔を綻ばせて立ち上がる。
だって……
ーーきっと今日も、私は君に恋をするから。
■
『さぁ、私の瞳を覗いてください! さすれば全てを思い出す筈です! あなたの全盛を……! "精霊王"スティルシアを取り戻してください!』
「っあ、っ……」
テレビに写る狂気に満ちた男の瞳と目が合う。
ーー精霊王、精霊王? やめてくれ、そんなの知らない。知らないんだ。
だが"大賢者"の目からは逃れられずーー彼女は、
「ぁあぁあぁあ……!あぁああ■■■■■■■!!!!」
「スティル、シア……!?」
自分が精霊王である事も、自分が本当はこんな人間ではないという事もーー自分が、この子と笑いあっていて良いような存在ではない事も。
ーー奴を、止めなければ。
さっき記憶を読んだ時に奴の思想も流れ込んできた。大賢者はこの星を滅ぼすつもりだ。奴にはそれだけの力がある。
大方、人間を洗脳か飽和でもさせて元の世界を攻める際の兵隊にでもする気か。
……以前の精霊王なら、奴の思想に賛同したかもしれない。
だが今はもう無理だ。彼女は人に傾倒し過ぎた。
誰かに優しくして優しくされてーー人の営みの暖かさを知った彼女では、もうかつてのように機械的に殺戮を繰り返す事はできない。
……だから。
「私は、君の事なんて知らない」
「は……?」
ーーこの少年に、嫌われなければ。
家を守る防壁の展開に魔力の大部分を割いてしまった自分では、大賢者には勝てないから。
……この優しい少年は、きっと自分の事を助けにきてしまうから。それでこの子に死なれでもしたら、私は狂ってしまうだろうから。
「君は以前から"スティルシア"を知ってるんだろうけど、"私"は今日初めて君と話した」
「そんな、わけ……」
出来るだけ敵対的に、限界まで冷徹に。
バクバクと破裂しそうになる心臓を無視して、精霊王は無理やり
「実の所、私は君に大した思い入れも無いんだ」
うそだ。これ以上無いってぐらい、君を愛している。
「自分が出演しているドラマか映画を見ているような気分だったよ。知識としては知っているが体験した覚えは無い……
ちがう。私が嫌いなのは、君の事を忘れてしまう私自身だ。
「まって、くれ」
「……じゃあね」
呆然とした表情で立ち尽くす少年に背を向け、精霊王は玄関に向けて歩き出す。
そして時空の扉を潜り、大賢者の元へと向かうのだった。
■
「……凄いや。本当に勝っちゃった」
「スティルシア!」
出血過多により霞んだ精霊王の視界に、自分へ駆け寄ってくる少年の姿が見えた。
あの大賢者を打ち果たした、英雄の姿が。
「強く、なったなぁ……」
自分にしか聞こえないぐらいに小さい声で、精霊王はそう呟いた。
ーーこの子ならきっと、自分が居なくなっても大丈夫。
天才だとは分かっていたが、一月でここまで化けるとは思わなかった。
「スティルシア、速く血を……!」
「だいじょーぶ、だよ。……もう、助からない」
服を捲って腹の傷を見せると、少年は一気に絶望した顔になる。……本当に、優しい子だ。
少年の頬に伝う涙を拭おうとするが、体に力が入らない。
「なんで、泣くのさ……私は今日、君に酷いことをたくさん言っただろう……? だから、私の事なんて嫌いになって良いんだよ。悲しまなくて良いんだよ」
だから、泣かないで。
君が泣くと私まで辛くなってしまう。
「君はさ、いい人を見つけて、その人と一緒にふつーに生きて、死んで……しあわせに、なってほしいんだ」
「おれ、は……」
「さあ笑って。私を安心させて死なせてよ。ほら、スマイルだってば……お願いだ」
精霊王は、にこっと笑いながら少年にそう言った。これでこの子は負い目なく自分の死を見送れる。
それに安心し、精霊王は目を閉じようとーー
「俺は……お前が居てくれないと、幸せになんかなれない……!」
ーー目を見開く。
下まぶたの奥が熱くなり、喉から嗚咽が込み上げてくる。
怒りと悲しみと喜びがごちゃ混ぜになった感情が、心の中で爆発した。
「なんてこと、言うのさ……あぁ、だめだ。泣かないって決めてたのに、君のせいだぞ」
ぼろぼろと、目から決壊したダムのように涙が溢れだす。
そして、そんな事を言って貰えて底抜けに嬉しいと思ってしまっている自分が憎たらしい。なんて浅ましい人間だ。
精霊王は少年の頭を抱き寄せ、浅く口付けをする。
「えっ、へへへ……ちゅー、しちゃった」
自分はこんなに幸せで良いのだろうか。
こんなにも軽やかな気分で、しかも大切な人に死を見送って貰えて。
結局、二人とも泣いてしまった。それがおかしくて、少しだけ笑ってしまう。
薄れる意識の最中。
自分の名前を呼ぶ少年の声を最後に、精霊王はその生を終えた。
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