第23話『龍の血晶』

「……死んだのか?」


空を飛び回っていたエリミネーターだったが、大賢者の異変に気がついたのか戦闘機を着陸させてこちらに歩いてきた。

ゴブリンエースが今度はエリミネーターに襲い掛かかろうとしたので、羽交い締めにして食い止める。


「はい……多分」


「多分では駄目だ。確実に始末する」


エリミネーターは大剣に赤い葉脈を流し、炎魔術カーネリアンを装填する。

そして、大賢者に向けて紅蓮の螺旋を発射ーー


「……ひどいよ」


ーーが、地に伏せたまま蝿でも払うように振られた大賢者の手によって、炎は掻き消された。


「っ……! 離れていろ! こいつはまだ死んでいない!」


エリミネーターが叫び、一気に間合いを詰める。


「本当に、酷すぎる……」


自分へと振り下ろされた大剣を、大賢者は横に転がって回避した。

そして、灰に突き刺さった剣をそのまま横に薙ごうとするエリミネーターへ指先を向ける。


「ぐっ!?」


エリミネーターは何かに弾かれたように凄まじい勢いで吹き飛び、見えなくなる。

まだ、動けるのか……!?


「君達はなんて酷い奴らなんだ」


膝を震わせながら立ち上がり、俺達を非難するような声で大賢者は言った。


「ぼくは、好きな人と大きな庭の付いた家で安らかに暮らすために行動しているだけなのに……いつもそうだ。人の心が無いクズどもは、容易く僕の心と体を傷つける」


「■■■■■■!!!」


ぶつぶつ怨嗟の言葉を呟く大賢者にはお構い無しに、ゴブリンエースが接近して正拳を叩き込もうとする。

しかし大賢者は僅かに上体を反らして拳を回避し、その手首を掴んだ。


「■■■!?」


「もう魔力も一割以下しか無い。弱っている人を寄ってたかって痛め付けるなんて恥ずかしくないのかな……」


掴んだ手首を起点にゴブリンエースを背負い込み、大賢者は勢い良く地面に叩き付けた。背骨がへし折れるような嫌な音が響く。


地面に倒れ伏すゴブリンエースを見下げる大賢者は、遠くから聞こえてくる飛行音に気が付いて目線をズラした。

そこには、エリミネーターの駆る戦闘機が音速で飛来してきている。


「爆殺しろ! スーパーファルコン!」


戦闘機下部に装備された小型のミサイルが、エリミネーターの掛け声と共に大賢者目掛けて発射された。


「なんだこれ、変わった砲弾だが遅いな……簡単に叩き落とせぇっ!? がぁぁあぁぁぁぁぁっ!!!?」


杖をスイングしてミサイルを叩き落とした大賢者だったが、その衝撃によってミサイル弾が大爆発を起こして吹き飛ばされた。

足元の灰が舞い上がり、大賢者の姿を覆い隠す。


「まずっ……!」


大規模な爆発の余波を受け、俺は数メートル程地面を転がって止まる。

爆心地に居た大賢者は、スティルシアに覆い被さるようにして倒れ込んでいた。


「は、ぁ"っ、せん、せぇ"、無事、ですか……」


魔力を喪った状態でミサイルの直撃を受けた大賢者の傷は相当な物だった。


右目が潰れ、横腹が抉れ、顔面の皮膚が半分無くなっている。背中には爆発したミサイルの破片が無数に突き刺さり、さながら針ネズミのようになっている。


あばらが突き刺さって穴が空いた肺に必死に酸素を取り込もうと、こひゅーこひゅーという音を立てて空気を吸い込んでいた。


「今度こそ決着だ。遠距離からの掃射で確実に息を止める」


エリミネーターは懐から取り出したナイフで指を斬り、出てきた血液を手首のスナップで空中に飛ばした。

すると血液は宙でみるみる鉄色に肥大化していき、一丁のマシンガンを具現化させる。


「……あぁ、先生。お許しください」


自分に照準を合わせる銃口を見て、大賢者はスティルシアに覆い被さったまま何かを呟いた。

そして、べっとり血に濡れた指先をスティルシアの頬に這わせーー


「ーー眼球を一つ。貰います」


「っ、ぅ、ぁあぁあ……っ!?」


ーーぶちゅり、と。

茎からトマトでも摘むみたいに、人差し指でスティルシアの右目を抉り取った。

そしてそれを、ぐりぐりと自分の潰れた目の方に押し込む。無表情で、まるでコンタクトでも入れ換えるみたいに。


「っ……!? スティルシアぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」


「動くな坊主! 掃射に巻き込まれたいのか!」


エリミネーターが引き金を引き、大賢者へと鉛玉の嵐が向かっていく。

スティルシアの眼球が、奴の目蓋の中でグリングリンと駆動する。

抜き取った眼球を嵌め込んだだけなのに、"目"として機能している……!?


「……見える、見えるぞ……! これが精霊王の視界か!」


大賢者は足元にあったミサイルの破片を拾い上げて、前方に投げつける。

それには、


「"術式装填"だっけ? 威力はお話にならないが、燃費は抜群に良いな」


「なっ……!?」


ーー破片から発生した爆炎が、弾丸を融解させて消し飛ばした。

なんで……エリミネーターの技だぞ。こいつも使えたのか……?

いや、そんな事よりスティルシアだ。右目をくり抜かれなんかしたら、出血多量で死んでしまう。


「スティルシア!」


「あ、ぁ、ぅ、あ……?」


呻きながら自分の右目の辺りを押さえていたスティルシアだが、俺の叫び声にビクっと肩を跳ねさせてこちらを向いた。


「なん、で……」


残った左目で俺を認識した途端、悲しいような憎らしいような、あるいは呆れたような表情に顔を歪めた。


「なんで、来ちゃったのさぁ……!」


泣きそうな声で言ったスティルシアを見たまま、俺は視界の端で大賢者を捉えた。

傷口に"カーネリアン"を流し、その熱で止血しながらゆらゆらと立ち上がっている。


……本当にしぶといな。しかもここまで重症を負わせて尚も油断できる相手ではない。

どうにか隙を見つけてスティルシアを安全な場所に連れて行けないものか。


「さっさとくたばれ、大賢者!」


「ハッ……死ぬのは君だよ?」


「っ、なぜ、オレの名をーー!?」


「この目で"読んだ"のさ。君たちの記憶も経験も技術も、何もかもねぇ……」


「■■■!!!」


砕けた背骨の再生を終えたのか、ゴブリンエースが跳ね起きて大賢者に拳を振り下ろした。

大賢者は、スティルシアの目でゴブリンエースを一瞥すると醜く口角を吊り上げる。


「良い技だ。それに頭の良いゴブリンだな。"ブジュツカ"との戦いで学んだのか? ならば僕も君のを真似するとしよう」


素早い足払いでゴブリンエースの体勢を崩し、大賢者は拳を構える。


「秘拳、"流星"」


いしゆみの如く引き絞られた大賢者の腕が、残像も残らない超スピードで拳骨を振り下ろしてゴブリンエースの頭蓋を打ち砕いた。


……俺と初めて出会った時にゴブリンエースがした攻撃と同じ動きだ。

それに、俺たちの記憶や経験を"読んだ"だって?


「まさか……」


……スティルシアの、目を見た相手の記憶を読み取る能力。

もしかしてあれはスティルシア自身ではなく、"眼球"に宿っていたのか?

だとしたらーーまずい


「術式破綻、"エンジェライト"!……っ、『四翼』!」


「なるほどなるほど、血中の鉄分……ヘモグロビンに魔力を通す事で引き起こされる異常な身体活性。それが"術式破綻"か。流石の僕も思い付かなかった。負担は大きいが、その方法なら少ない魔力でも凄まじい身体能力を得られる」


エリミネーターの鎧に四枚の白い翼が浮かび上がり、さっきまでとは比べ物にならない速度で大賢者に斬りかかる。

大賢者は、それを薄目で睨んだ。


「ーーなら、僕も使うとしよう。エンジェライト『十翼』」


「なっ……!?」


大賢者の全身に、ドス黒い翼の紋様が走る。

眼前まで迫ったエリミネーターを大賢者が軽く小突くと、それだけで吹っ飛ばされた。


……術式破綻。

浮かび上がる翼の枚数に応じて身体強化が強まるのは察せるが、あれは一体なんだ。エリミネーターの軽く倍はあるぞ。


「……おや、使用者の適正次第で翼の色が変わるんだね。なかなかいきじゃないか。"デモンズライト"とでも名付けようかな」


「貴様のけがれた身で……! その技を使うなぁぁぁぁぁっっっ!!! エンジェライト『八翼』!」


エリミネーターの鎧の表面に浮かび上がる白い翼の数が、一気に増える。

凄まじい速度で突き出された大剣を、大賢者は指先で摘まんで受け止める。

ピシッ、と摘ままれた部分の剣身が指の形にひび割れた。


「なんと、いう……!」


「終わりだ」


「が、ぁっ……!?」


顔面に大賢者の拳を叩き込まれ、エリミネーターは膝から地面に崩れ落ちた。

あっという間に戦闘不能にされたエリミネーターとゴブリンエースを足蹴にしてから、大賢者はゆっくりと俺の方へ振り向いた。


「っ、大賢者……!」


「さぁ、こっからはボーナスタイムって所かなぁ? とりあえず君の記憶も読んでーー……あぁ? なんだこの記憶、なんでお前と先生が……」


大賢者の右眼がグリグリと動き、俺の姿を捉えた。

そしてニタニタしながら俺の目を見詰めていたが、少しずつ表情が曇っていく。


そして曇った表情は段々と怒りに移ろいで行き、カッと目を見開いた。


「ーーお前が、先生の『あの子』か」


「っ!?」


そう呟いたと同時に大賢者の姿がその場から消えーー気付けば、俺は首を締め上げられていた。

万力のような五指が、ミリミリと俺の首を締め上げる。


ーー速いとか見えないとかそういう次元ではない。

脳の『認識』その物が追い付かない。


人間の意識の伝達に掛かる時間はおよそ0.5秒……しかし、恐らくこいつはそれよりも遥かに速いのだ。

こんなの勝てるわけが無い。


「お前っ、お前ッ!? お前ェェェェ!!! ふざけるなよ!!! なんで先生とこんなにっ……! 裸まで……!!!! それになんでお前の記憶の中の先生はこんなに笑ってるんだ!!?? 僕の知ってる精霊王はこんな無邪気に笑わない! 先生に何をしたァッ!!」


「あっ、ぐが、ぁ……っ!?」


「答えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


大賢者は、俺の首根っこを掴んだまま凄まじい力で前後に揺さぶる。

喉が潰れて上手く呼吸が出来ない。それどころか風圧で首がもげそうな勢いだ。


「チィッ! あァ分かった! 白状する気が無いならお前は簡単には殺してやらない!!! 鼓膜を破って脳に家畜の糞尿を流し込みながら四肢を切断した後に、自分の腸で首を締め上げさせてころぉす!!!」


意識を失う直前で、大賢者は俺を地面に叩き付けた。

なんとか立ち上がろうとするが、脳がシェイクされ過ぎて平衡感覚が機能していない。


「■■■■■■!!!」


「あぁぁあしつこいクソゴブリンが!! いい加減死ねよ! 生き恥晒して恥ずかしくないのか!?」


大賢者は横から向かってきたゴブリンエースの飛び膝蹴りを捌き、手刀で腹を貫く。

ーーその拍子に、奴の懐から何か丸い物体が落ちるのが見えた。


「……あれは」


それは、見ているだけで全身がゾワゾワする程の力を発する深紅の宝玉。

その迫力はまるで、巨龍の咆哮を真っ向から浴びているような感覚に陥ってしまう程。


……"爛れ古龍"の魔核だ。こちらの世界に来た瞬間に大賢者が殺したモンスター。

だが、その脅威ランク指定は"S"。あのミラージュカットアッパーの一つ上だ。


ーーあれを取り込めれば、あるいは。

腹を貫かれたまま大賢者に連打を打ち込むゴブリンエースを横目で見ながら『もう少しだけ持ちこたえてくれ』と祈る。


匍匐前進で魔核の落ちている方に向かう。

距離は二メートルも無い、無いのだが、大賢者によって繰り返し頭蓋の内壁に打ち付けられた脳ではそれさえ至難だった。


十センチ、五十センチ、百五十センチ……這いずって、やっとの思いで腕を伸ばせば手に取れる距離までたどり着いた。

そして、震える腕を持ち上げーー


「ーーオイ何やってんだお前」


「っ……!」


ーー伸ばした手が、大賢者の靴底に踏みつけられた。

指がひしゃげる感覚。これじゃマトモには機能しないだろう。

大賢者は、グリグリと磨り潰すように俺の手を踏みつけ続ける。


「オイィィィ……人のモン、何盗もうとしてんーーぁ?」


「……ぅ?」


『ぽすっ』と。

その時、場違いなまでに緩い音が大賢者の方から聞こえた。

不思議に思い、目線だけ上に向けてそちらを見る。


「逃げ、なさい……きみ、だけ、は……」


ーーそこに立っていたのは、虚ろな目で血だらけの拳を大賢者にぶつけるスティルシアだった。

出血が酷くてもうほとんど体に力が入らないのだろう。繰り返し大賢者に打ち込まれる拳には全く威力は無い。


ここまで必死に歩いてきたのか、スティルシアが通ったであろう灰の地面にはおびただしい量の赤い血のカーペットが敷かれていた。


自分の腹にぶつけられた拳とスティルシアを交互に見ながら、大賢者は困惑した表情をしている。


「せんせぇ……! なんで、なんでなんですか!? なんで僕に攻撃するんですか!? 貴女あなたは騙されているのです! 貴女が弾圧すべきなのは、ここに横たわるこの男なのです!」


「くっ、くくく、なんでって……? 馬鹿だな、きみは……そんなの、君が嫌いでこの子が大好きだからに決まってるじゃんか……特別な理由なんて何もない。女心って、意外と単純なんだぜ?」


「ホァ"ァ"ァァァァ"ァァァァ"ァァァア"ッッ"ッッッ!?」


ワナワナ震える大賢者が、『うそだ、うそだ』とうわ言のように呟きながら後ずさる。


……魔核から足がどけられた。チャンスだ。

俺は、へし折れた右手に魔力を集中させて治癒してから魔核を掴み取った。

よし、これでーー


「ぅ、うぅうぅうぅうぅううぅうぅううううぅうぅぅううぅうぅううぅうぅううぅうぅううぅうぅううぅうぅうううぅうぅうううぅうぅうううぅうぅううぅうぅうううぅうぅううぅうぅうぅうぅううぅうぅううぅぅうぅううぅうぅうううぅうぅううぅうぅうううぅうぅううぅうぅうぅうぅうううぅうぅううぅううぅうぅうううぅうぅぅううぅうぅうぅうぅううぅうぅううぅうぅううぅうぅう!!!!!」


ーー大賢者が、壊れたロボットのように唸りながら頭を抱え、その場で回転する。

その異様さに思わず呆然としていると、急にピタッと止まって顔を上げた。


「……いらない」


機械のように、無機質な声。


「ぼくを認めてくれない先生なんて、ニセモノだ」


震える杖の先端を、スティルシアに向けた。


「……さあ、撃ちなよビーム。君も道連れにするけど」


「っ……うぅううぅうぅううぅうぅう!!!」


俺は急いで爛れ古龍の魔核を飲み込む。

喉を通り、食道を通過しーー胃に着地した瞬間、そこにもう一つ心臓が出来たかのような感覚が全身を支配した。


「ぐ、がぁぁあぁぁぁぁぁっ!?」


全身の傷口という傷口から、龍の首や腕のような形状の結晶が無数に這い出る。

それらは、俺を食い殺そうと自我を持って動いているように見えた。


ーー俺が、呑み込まれる。


強すぎる力の代償、圧倒的格上の魔核を取り込もうとした事の愚かしさ。

体内で蠢く魔核から『貴様などに喰われて堪るか』という意志がひしひしと伝わってくる。


前方を見ると、既に大賢者の魔法はスティルシア目掛けて発動する寸前だった。

ーーこのままでは、間に合わない。


「爛れ古龍……! 俺の言う事を聞けぇぇぇ!」


背部の傷から目の前に伸びてきた龍頭が、俺を喰らわんと大口を開ける。


『‡‡‡‡‡‡‡!』


「ガァァ"ァアァァ"ア"ァ"ッッッ!!!」


ーーその龍頭に、全力の頭突きを食らわせた。

怯んだ様子を見せた隙に、何度も何度も。

十回目辺りで龍頭が砕け散り、俺の全身から生えていた龍の腕も蠢きを止めた。


制御を、奪った……!

体が風になったみたいに軽い。ぼやけていた視界が過剰なまでに明るく鮮明になる。ーー爛れ古龍を、呑み込んだ。


自分の生物としての"格"が、一足飛びに上がったみたいな感覚。

全身の龍腕に神経が通り、俺の意思で動かせるようになったのを感じた。


「スティルシア……!!!」


「なっ……!?」


大賢者とスティルシアの間に割って入り、スティルシアをその場から突き飛ばす。


驚きに染まった表情の大賢者、しかし杖からは光の螺旋がほとばしりーー俺へと打ち出された。

回避は間に合わない。全身の傷から生えた龍腕を大盾のようにして前方に構える。


「消し飛べェェェェ!!!」


「ーー」


感じたのは、"熱"。

その熱を痛みへと昇華する痛覚さえも一瞬で焼き切る、おぞましいまでの"熱"。

それから、俺の世界は光に包まれた。

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