第19話『次元を翔ける』
ーー走る、走る、走る。
何故か感じる、途方の無い"嫌な予感"に体を引きずられるようにして俺は街への道を疾走していた。
言い表せない胸騒ぎと焦燥に耐えるために、足を動かし続ける。
「■◆▲■◆▲!!!」
その時、前方から奇怪な咆哮が俺の鼓膜を叩いた。
そこに居たのは、道を塞ぐようにして立っている小型の赤いドラゴン。俺は走りながら図鑑を開いた。
……【イフリート】か。ランクはB。以前の俺からしたら圧倒的に格上だ。
「……術式装填・アイオライト、オーロベルディ」
リュックから二本のナイフを取り出し、それぞれに別の術式を刻み込む。水の"アイオライト"と、地面を隆起させる"オーロベルディ"だ。
そして、その二つを一気に投擲した。
「■◆▲◆■▲!?」
イフリートの体表に包丁が突き刺さる。それと同時に術式が作動し、ゼロ距離から水のレーザーが発射された。
それに腹部を貫かれ、のけ反った所で"オーロベルディ"が作動する。
地面から隆起したアスファルトがイフリートの足を拘束して動きを封じた。
「くたばれ……!」
走る勢いのまま突き出したナイフの一撃が、分厚い深紅の鱗を叩き割って内部の肉を抉った。
そして更にもう一押しーー刺さったままのナイフの刃に、赤い葉脈を走らせる。
「術式装填・カーネリアン!」
「■■◆▲■!?!?」
ーーナイフから発射された炎の螺旋が、イフリートの胸に風穴を空けた。
よろよろと倒れて灰になるイフリートから摩核を引き抜き、即座に噛み砕く。
体が熱くなり、消費した魔力が回復するのを感じた。
「……急ぐぞ」
自分にそう言い聞かせ、再度走り出す。
強力なモンスターの核を取り込んだお陰か、さっきまでよりかなり体が軽い。これなら予想より速く街に辿り着けそうだ。
■
「ふっ、ふうっ……っ、はは、来る度にどんどんボロボロになってくな、この街」
数十分後、俺は街の前まで辿り着いた。
あちこちで爆発音や瓦礫の崩れる音が響いており、各地で起こる凄まじい戦闘を俺に伝えてくる。
……今俺の手元に残ってる武器は5000円の出刃包丁が二本と、財布に付いてた金属のチェーン。あとスティルシアが魔改造した例のナイフだ。
ナイフ以外にロクな武装が無いな。焦っていたとはいえもう少し何か無かったのか、さっきの俺。
もし上位モンスターに対して勝機があるとすれば、スティルシアがナイフに刻印した五回分の『
どういう感じで発動するか分からないから実験しておきたいが、回数に限りがある以上ぶっつけ本番でやるしかーー
「っ!?」
ーーピカッ、と。街の一角が昼間みたいに明るくなった。その後に、ここからでも分かるぐらいの轟音が発生する。
……直感で分かる。あそこだ。あそこにスティルシアが居る。
何かと戦っているのだろうか。
だとしたらきっと、俺なんかじゃ介入すら出来ない戦いなのだろう。
しかし、行かねばならない。
たとえ無様に死んだって、あのまま家に引きこもって後悔しながら生き永らえるよりはずっとマシだ。
「……術式装填」
ーーアイオライト、ブレーナイト。
二本の包丁に水属性と風属性の葉脈を刻み、ベルトに装着する。咄嗟に発動できるようにするためだ。
そして『引き返せ』と警笛を鳴らす本能を押し返して、街への一歩を踏み出した。
「っ、」
足を踏み入れた瞬間、意図せず喉からひゅっと息が漏れる。
……空気が、変わった。濃密な血の臭いに
一体どれだけ人が死ねばこんな有り様になるのか、想像したくもない。
横転した車や隆起した地面の陰に隠れながら、俺は街を進んでいく。
……意外と、モンスターの数自体は少ないな。いや"圧縮された"とでも言うべきか、強力なモンスターばかりだ。
きっと、互いに魔核を喰らい合って強力な個体だけが生き残ったのだろう。
流石に上位クラスのヤツは見当たらないが……数匹程度でも囲まれてしまえば、俺なんかあっという間に殺されてしまう事だけは分かる。
……幸い、瓦礫や横転した車など隠れられる場所は多い。見つからないように行くしか無いな。
□
「ひいっ、ひいっ……!」「たずっ、げ、ェ"」
「逃げなさい! 速く!」「おかあさん、なんで、足が無いの……?」「ぁあぁああっ!!」
「……っ」
隠れながら進むこと数十分ーーやっとの思いで辿り着いた街の中心部は、目を覆いたくなるような惨劇の舞台と化していた。
我が子を守ろうとしたのか、小さな死体に覆い被さるようにして死んでいる胸に丸い風穴が空いた女性の死体。
燃え上がる炎に巻かれ、体から蒸発した水分を取り戻そうとするように喉をかきむしりながら死んでいく男。
フクロウのようなモンスターに腹を
「……あれは」
その惨劇の中心に立っていたのは、自分の周囲に漆黒の球体を七つ浮遊させたフクロウだった。
その球体の一つ一つが意思を持ったようにビュンビュンと街中を駆け巡り、命を刈り取っていく。
球体の通った後は小石さえ残らず、まるで消しゴムで消された絵画のようだった。
「上位モンスター……」
ーー
脅威ランクはA、あの
俺の頬に冷や汗が伝う。
……あの黒球は確か何度回避しても追尾してきた。実際に味わったから恐ろしさは分かる。
それが……七つか。本体の戦闘力がどれ程かにもよるが、補足された時点で負けと思っていいだろう。
息を止め、しゃがみ歩きで慎重に進む。
"次元梟"は食事に集中しており、俺に気づく気配は無い。
……よし、このまま抜けられればーー
「あ、アンタッ! 助けてくれぇっ! しにたくねぇんだ! しにたく、死にだ、ォ"ボッ」
その時、瓦礫の下敷きになっていた男が俺の足を掴んで大声で泣き叫んだ。
が、それによって補足されたのか、黒い球体が飛んできて即座に男の頭部を消し飛ばした。
先の無いうなじからダクダク吹き出す鮮血に、俺は唖然とする。
「〓¶♭¶Ж㏍」
死肉を貪っていた次元梟の首がグリンッと回転し、猛禽類特有の大きく鋭い目で俺を見た。
「っあ……?」
ーー見つかった。そう気付いた瞬間、俺の右腕は黒球によって宙を舞っていた。
肩口から噴水みたく吹き出る血液に冷たくなる体。それに反比例するように、激痛に熱を帯びる思考。
あまりの事態に、攻撃されたと理解するのに数秒かかった。
「ふうぅぅぅっ……!」
傷口から噴出した血液が空中で結晶化し、腕の形を作る。
ーー俺は"飽和"してる。普通なら致命傷になりうるダメージも即座に回復可能だ。
「¶Ж〓〓〓〓юп……」
仕留め損なったのを理解したのか、"次元梟"は興味深そうに俺を見る。
俺は、再生した手を開閉して完治を確認した後、ベルトから風魔術を刻印した包丁を取り出す。
ーー術式装填・"ブレーナイト"。
包丁を次元梟めがけて投擲する。次元梟はグリッと首を回転させてそれを回避した。
背後にあったビルの残骸に着弾した包丁は、大規模な竜巻を発生させた後に砕け散る。コンクリの瓦礫が螺旋状に抉れた。
……イフリートの魔核を取り込んだ影響か、技の出力がかなり上がってる。前までこんな災害じみた魔術なんて使えなかった。
これなら、やれるかもしれない。
極力回避に徹しながらの遠距離攻撃、もし当てられても再生出来る。
今から逃げたって、後ろからやられる可能性の方が高いんだ。なら挑むしか無いだろう。
右手にナイフ、左手には"アイオライト"を刻印した包丁を握って腰を低くする。
「……行くぞ」
「юфЖ¶¶¶шЖ!!!」
次元梟が大きく吠えた。それと同時に、七つの黒球が標的を俺に変えて向かってくる。
ーーさっきより、速い。
……全て回避するのは不可能だ。機動力である足と、運動の要である心臓。あと脳だけ守って残りの部位はあえて当てられるぐらいの気持ちで行くしかない。
「ぐ、っ、ガぁァぁああぁッッッ!!!」
頭部へ迫ってきた黒球に、俺は全力で左腕を振りかぶった。肉を抉られる激痛と共に、僅かに黒球の軌道がブレる。
肩が、まるで工事現場の掘削機にでも巻き込まれたみたいにもげ飛ぶ。
もげた左腕に握られたままだった包丁を残った腕でキャッチし、残り二つの黒球に横腹を抉られながらもそれを次元梟目掛けてぶん投げた。
「遠隔起動……!」
そして包丁がヤツに命中する少し手前で、俺はそう呟いた。
さっきの風魔術……"ブレーナイト"は、投げた瞬間ではなく物体に着弾した瞬間に発動した。
つまり、俺の意思によってある程度は発動のタイミングが調整できると言う事だ。
「¶◆▲ю〓〓〓……」
次元梟は、さっきと同じように首を捻って包丁を回避しようとするーーだが、遅い。
ナイフの周囲にゴポゴポと水が纏わりだしたのを確認し、俺は口角を吊り上げた。
「アイオライト!!」
「〓◆Жшштфф㏍♭≫"ф♭ф"!?!?」
ーー自らの眼前に発生した夥しい量の水に、次元梟は面食らったようにのけ反った。
水は俺の得意属性、威力は"ブレーナイト"をも遥かに凌駕する。
小規模な津波と言っても過言ではない規模の水量が、水圧カッターもかくやという勢いで発射される。
これで、終わりだ……!
「¶▲¶」
「……へっ」
ーー次元梟は、その大きな目を嘲笑に歪めながら悠々と水圧の中を歩いてくる。……効いて、ない?
打ち出された水のレーザーは確かに次元梟の体を貫いている。
しかし血の一滴、羽毛の一本分さえダメージを与えられていない。むしろ、すり抜けているという表現の方がピンとくる。
そう、まるで、文字通り存在する
俺の攻撃は、ヤツの体に何一つ干渉できていないのだ。
「っ……ぅ!?」
唖然としていた不意を突かれ、右腕と左足を黒球に持っていかれた。
ーー分析に徹している場合ではなかった。すぐに再生しなければ。
俺は欠損した部位から深紅の結晶を生やしつつ、出来る限り不規則に移動する。
追いすがる黒球から少しでも逃れるためだ。
「・¶・」
『楽しかったぜ』とでも言わんばかりに、次元梟は高らかに咆哮した。
それと同時に黒球の動作が更に速まる。もはや目で追うのがやっとだ。
「ふざけ、やがって……!」
「^^」
攻撃しようにも、両腕をもがれたせいで武器も無い。
あるのは、赤く結晶化した治りかけの左腕だけ。
……いや、待て。確か俺の血液は、想像で形を与えてやる事によって武器にも変化させられるとスティルシアが言っていた。
『飽和した者の血液は、魔核と同じ性質を持つ可能性の卵だ』と
「武器、武器……!」
目を瞑り、瞼の裏で武器を練り上げる。
想像するのは、限り無く鋭利な槍。時間も余裕も無い。複雑な武器は作れない。
うっすら瞼を開くと、俺の前腕から先は取り回しの良さそうな一メートル程の槍になっていた。ナイフや包丁なんかよりよっぽど怪物狩りには適していそうだ。
……さっきの"すり抜け"は気になるが、
もしかすれば、魔術だから効かなかったのかもしれない。
そんな希望的観測を抱きながら、俺は次元梟へ間合いを詰める。
「♪♪¶▲¶」
ダッシュの勢いを付けて突き出した槍はーーしかし、先程と変わらず次元梟の体をすり抜けてしまい当たらない。
……何が、どうなって。まさか本当に無敵なのか?
半ば絶望する俺の目の前に、二つの黒球が肉薄してくる。
っ、マズーー
「術式装填・"サファイア"」
「¶▲¶▲‡шЖ㏍!?」
ーー俺に迫っていた暗黒の球体は、横から飛来した水弾によって打ち消された。
初めて次元梟が苦悶の声を挙げる。一瞬だけ、梟の輪郭が揺らいだ気がした。
「……久しいな、坊主」
「エリミネーター、さん」
蒼く染まった大剣を肩に担いだその騎士は、俺の知る声でそう言った。
そして、苦痛に顔を歪める次元梟を見据える。
「この世界では……"プロジェクションマッピング"、とか云うのだったか?」
「え?」
「あの鳥の事だ。あたかも本体に見えるアレは、空間に映し出された単なる虚像……本当の心臓部は、ビュンビュン飛び回っているこの球体の方だ。鳥はただの囮だな」
襲い掛かってきた黒球を大剣で一刀両断しながら、エリミネーターは言う。……本体は、この黒球たちの方だって?
道理で当たらないわけだ。むしろ逃げ回っていたんだから。
「さぁ……久々の大物だ。オレも滾ってきた。坊主、お前は逃げるなり何処かへ行くなりしろ。邪魔だ」
「は、はい……」
次元梟を抑え込むエリミネーターに一礼して、俺はナイフを拾って走り出した。
……危なかった。エリミネーターが居なかったらここで死んでてもおかしくなかったな。
まさか、モンスターがあんな搦め手を使ってくるとは思わなかった。上位になると知能も上がるのかもしれない。
気を引き締めて行こう。スティルシアの所に辿り着くまでに死んだら目も当てられない。
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