第20話『現実的絶対者』
「はぁ、はぁ……う、ぐ、……っ!」
エリミネーターと次元梟の戦闘している場所から数百メートル。そこまで走ってきて、俺は息を荒くしながら地面に膝を着いた。
「げほっ、けほっ……」
……心臓が、痛い。バクンバクンと異常に速く脈打って、破裂してしまいそうだ。咳き込んだ喉の奥から、粘着質な赤い血塊が吐き出される。
地面に染み付いた朱色に、ギョッとする。
ちょっと……無理し過ぎたか?
再生したのは、吹き飛ばされた腕三本に抉り取られた内臓いくつか……あと足か。
いずれも普通なら致命傷だ。それを無理やり再生しながら戦ったんだから、それなりに体に負担も掛かっているのかもしれない。
「ふぅ……!」
口端に着いた血を拭い、俺は立ち上がった。
……こんな所で立ち止まってられない。
横にある、倒壊した建物の瓦礫から鉄骨を引き抜く。
それを、腕を刃物に変形させてスパンっと斜めに切り飛ばした。
そうして二本に分断された鉄骨の切り口が、鋭利な槍のような形状になる。
……粗悪かつ即席の武器だが、金属である以上"術式装填"は使える。さっきまでの包丁の代わりだ。
俺は、錆び付いた二本の槍に魔力通す。
「術式、げほっ……、装、填」
ーー
俺の使える術式装填の中で最も使い勝手の良い二つ。それらを腰のベルトに突き刺して、歩き出した。
……コンディションは良いとは言えない。可能な限り逃げに徹しよう。
回復のために魔核を取りに行って、逆にこちらが狩られたら本末転倒だ。
「■■■■■■■!?!?!?」
「っ、!?」
ーーその時、早足で歩いていた俺の横を巨大な緑色の物体が高速で横切った。
ソレは、ダンプカーにでも轢かれたかのように何度も地面をバウンドしながら転がり、最終的にぶつかったブロック
今度は、なんだ……?
「■■■■■■■……!!!」
流血しながら立ち上がったそいつは、緑色の皮膚を持った凶悪な顔つきの怪物。
その正体を確認し、俺は思わず目を疑った。
ーーゴブリン・エースだ。生きていたのか。
筋肉は以前より更に密度が高まり、さながら金属のよう。体表に走った幾つもの血管と傷跡は、この個体の歴戦を俺に伝えてくる。
……明らかに、前見た時より強くなってる。"昇華"したのかもしれない。下手しなくても"次元梟"以上の威圧感だ。
なら、そんなこいつをここまで追い込んだのはーー
『……厄介だなぁ、ここまで強いゴブリンは初めてだ。どうして小鬼如きがボクの現実改編に抗えるんだか』
「■■■■■■■!!!!!!」
『あぁもぅ……"しかし、小鬼の行方には越えられぬ壁が立ち塞ぐのだった"、っと』
ゴブリンエースは、目にも止まらぬ速度で先程自分が吹き飛ばされた方向に向かって突進していくーーが、何かに阻まれて再び吹き飛ばされた。
地面に叩きつけられ、憎々しげな表情で前方を睨むゴブリンエースの目線を追う。
その先に佇んでいたのは……仮面を着けた、背の低いヒトガタの何かだった。
「あれは……」
ソイツの周囲には無数の本が開いた状態でふよふよと浮いており、手に持った羽ペンでそれに何かを書き込む度に周囲の地形が変化する。
アスファルトが草むらに変わったり、水溜まりがマグマに変わったり。
まるでコンピューターシミュレーションゲームみたいな状況が、事実として目の前に起こっていた。
ーー
ランクはS-、能力は『現実の改編』
……スティルシアが『少し厄介だ』と言っていたモンスターだ。
だが次元梟を『大したことない』と言っていたぐらいだから、こいつもしっかり化け物なんだろう。嫌になる。
『すんすん……あれ、なんかクッサイなぁ……あのバケモノ痴呆ババアにそっくりな臭いがするや』
良く通るボーイソプラノでそう呟いたミラージュ・カットアッパーは、首をもたげて俺の方に振り向いた。
仮面の向こうにあるであろうヤツの瞳と視線が交差した瞬間、冷えた手で心臓を鷲掴みにされたように息が詰まるのを感じる。
ーーこいつはまずい。
エリミネーターを初めて見た時と似たような威圧感……一目見ただけで、隔絶した力の差をありありと分からせられる。
ベルトから二本の鉄骨を引き抜き、腰を低くして臨戦態勢をとった。
向こうは俺を見て不思議そうに首をかしげる。
『あれれぇ……、うそ、この魔力で現地人? 驚いた……こんな世界にも強い人間は居るんだね……』
「っ、"オーロベルディ"!!!」
『おっとと……?』
先手必勝だ。向こうが動く前に可能な限りダメージを与えてやる。
俺は右手に二本の鉄骨を握り、槍投げの体勢をとった。
ーー術式装填、アイオライト・ブレーナイト。
水魔術と風魔術を刻印した鉄骨二本がカットアッパーめがけて投擲される。
その二つは、奴に着弾する直前で魔術を発動させた。アイオライトの津波をブレーナイトの竜巻が巻き上げ、無数の水の刃となってカットアッパーに襲いかかる。
……水と風は噛み合わせが良いな。いざと言うときの必殺技として覚えておこう。
激流を纏った巨大な竜巻ーー"
『……"しかし、その激流は衝突の寸前で霧散した"』
ーーカットアッパーが、目の前の本にペンを走らせる。それと同時に"ウズシオ"はミスト状になって掻き消された。
……何が起こった? 奴が紙に何かを書き込んだ次の瞬間、魔術が消え去ったように見える。
周囲に浮かんでいるあの本に秘密があるのか……?
『危ないなぁ……あとちょっとで溺れ死んでたよ』
苛立ったように頭を掻きながら、カットアッパーはそう呟いた。
そして目の前の紙にペンを走らせる。今度は、何をーー
『剣には剣をってね……お返しだ、"その男は、自らの肺が水に満たされるのを感じ、窒息した"』
「ーーごボ、ぉ"……っ!?」
ーー胸が何かに満たされ、喉の奥から液体が込み上げてくる。……息が、できない。
思わず咳き込むと口から大量の水が吐き出された。肺が何かに圧迫されていき、上手く空気を取り込めない。
……肺の中に直接水を送り込まれた?
「ぁ、が、ァぁ、っ」
肺炎など、呼吸器系の病気の症状として良く持ち出される"陸で溺れる"というのは正にこんな感覚なのだろう。
息を吐く度、空気の代わりに水が吹き出る。脳に酸素が行かなくなり、頭が痺れたみたいに働いてくれない。
ここままじゃ、しぬ、どうにかして、酸素を取り込まなければ。
「……っ」
咄嗟に腰からナイフを抜き、弱めの
そしてーーそれを、自らの胸に突き刺した。
肺の中で術式が作動、暴風が渦巻き、バゴンッ! という音と共に勢い良く肺が膨らむ。
「お、ばガ、ァッ!? は、ァ、はぁ、はぁ……!」
肺の急激な膨張によって肋骨がバキバキにへし折れるのが分かる。しかし、呼吸はできるようになった。
折れた肋骨によって突き破られた皮膚の中から、
飛び出た肉やら骨やら内臓を無理やり体の中へ押し戻しながら、俺はカットアッパーを睨んだ。
当のカットアッパーは、赤い結晶によって猛スピードで修復されていく俺の傷を感心しながら見ている。
『そりゃまあ、治るとは思ってたけど……速いな』
「■■■■■■!」
『はぁ……"愚かにも絶対者に襲い掛かった小鬼は、先ほど打ち消された激流の渦によって切り刻まれるのだった"』
吹き飛ばされた状態から復活したゴブリンエースが、目にも止まらぬ速度でカットアッパーに跳び蹴りを叩き込むーーしかし、突如として発生した渦潮によって行く手を阻まれた。
……俺の、技? 他人の魔術のコピーも出来るのか?
「■■■■……!」
血みどろになってふっとばされてきたゴブリンエースが、ギロリと俺を睨んでくる。俺がやったと思っているのだろう。
ふるふる首を横に振って否定すると、訝しげな顔をしながらも目線をカットアッパーに戻した。
……このままじゃ埒が開かないな。まずは向こうの能力を分析しなければ。
スティルシアが言っていたのは『事実の改編』だが……漠然とし過ぎていて、どう対策すれば良いのか分からない。
恐らくは、周囲に浮かんでいるあの本に書き込んだ内容に合わせた現象を引き起こすのだろうが……なら何故もっと単純に『死ね』とか書かないのか謎だ。そうすれば完封できるのに。
改編できる事象にも、何かしらの制限あるいは限度があるのだろう。
「■■■……」
「え?」
俺がそうこう考えていると、ゴブリンエースが横目でこちらを見てくる。そしてそれからカットアッパーを指差した。
……『共闘するぞ』と言ってるのか?
足並み揃わずバラバラに攻撃しても簡単に防がれるだろうから協力するのは願ったり叶ったりだが……ゴブリンにそんな知能があったのか。俺は首を縦に振った。
ポケットの中に手を入れ、家から持ってきた最後の武器……財布のチェーンを取り出した。
それに
「■■■■……?」
「拳に巻き付けて使え。無いよりはマシだろ」
チェーンの全長は50センチ程度だから普通の武器としては運用出来ないが、拳に巻いて握れば擬似的なメリケンサックみたいな役割を果たすだろう。
ジェスチャーでそう伝えると、ゴブリンエースは手にチェーンを巻き付けてグーパーする。
何度かそうして気に入ったのか、ゴブリンエースの口が歪な弧を描いた。
「■■■■!!!」
『だから無駄だって……"小鬼の拳は不可視の壁に遮られた"』
再びカットアッパーに殴りかかるゴブリンエースだったが、例の如く半透明の壁に阻まれて失敗に終わる。
……しかし、拳を一発防いだ時点で防壁は消え去った。
きっと、『小鬼の拳を防ぐ』という指定された役目を終えたからだろう。
推測だが……本にペンを走らせた直後、つまり能力を使用した後の数秒間だけ、こいつは無防備になる。
「遠隔起動……!」
『うぇ、ちょっ、マジ?』
俺の言葉に呼応して、ゴブリンエースの拳に装備されていたチェーンの"ブレーナイト"が発動する。
自らの拳から発生した竜巻にゴブリンエースは面食らっているが、それに構わず暴風はカットアッパーへと襲い掛かった。
「くたばれ……!」
『……へぇ』
自分に迫る災害クラスの竜巻を見上げ、ため息を吐くカットアッパー。
間に合わないと悟ったのか、紙にペンを走らせる様子も無い。
勝負、あったかーー?
『"風よ、死せよ"』
ーーしかし、暴風はカットアッパーに届くことは無く。
ほんの数センチ前で、何事も無かったみたいに消えてしまった。
……能力の発動条件は、本に書き込む事じゃなかったのか?
『はぁ……"一人称"を使うのは疲れるから嫌だったんだけどな。まぁいいや』
カットアッパーは、ゆらりと腕を上げて俺を指差した。
何をする気だ……攻撃に備え、腰を低くする。
『"壊れよ、異界の強者"』
「ぁ、え……?」
静かに何かを呟いたカットアッパーに反撃しようとしてーー俺は、自分の目の前にアスファルトの壁を見た。それと同時に体が地面に叩きつけられる感覚。
ーー地面に倒された。
咄嗟に状況を理解し、立ち上がろうとする。
しかし、手も足も動いてはくれなかった。
「■■■■■……!? ■■■■■■■!!!」
「どう、なっ、て」
俺の方を見て叫ぶゴブリンエース。それに釣られて自分の体に目を移しーー言葉を失う。
「がっ、ぼ、ぉ……っ!?」
ーー胸から下が、無い。跡形も無く。
真っ赤な胴体の断面から血が噴出し、再生のために結晶化していくが間に合っていない。
赤い結晶が腕や胴を形作ろうとしても、風化したみたいにすぐ崩れていく。
「……ぁ」
ーー死ぬ。
血を流しすぎたせいか、視界に燃えた写真フィルムの様な黒い穴が幾つも空いていく。
呼吸さえおぼつかなくなり、意識が遠退いていく。
「いや、だ……!」
『……しぶといな』
僅かに残った肩を動かし、前に進もうとする。
霞む視界の端、カットアッパーはもう一度俺に指を指した。
『"砕けよ。肉ダルマ"』
「……ぁぐ」
激痛と共に、近くで赤い何かが弾けとんだ。
グルグルと転がり、だんだん闇に染まっていく世界に無い手を伸ばしながら、俺は目を閉じた。
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