第18話『醜悪なる流星』

それからの事は良く覚えていない。


何も考えられないままリビングに戻って、ソファに座って。

何も映さないテレビとにらめっこしながら、先程までここにいたスティルシアの残り香にすがるようにクッションを握り締めていた。


ーー『私は君に大した思い入れが無い』

ーー『私からすれば君はほぼ他人だ』


「っ……!」


先程の言葉がフラッシュバックして、ズクンと胸の奥が焼け爛れたような、張り裂けたような痛みを感じる。


全くの比喩ひゆ無しにーー心に穴が開いたみたいな感覚だった。


俺はこの感情を知っている。大切な人を失った時の気持ちだ。


「はっ、ははは……」


ーー幸せ、だったのか俺は。

自分の料理を美味しいと言ってくれる人が居た事が。

機械的に言うだけだった『ただいま』に返事をしてくれる人が居た事が。


……一人じゃない、事が。


「馬鹿、じゃねぇの……」


頭をかきむしりながら自嘲する。

ーーなんで、失ってから気が付くんだ。これじゃ苦しいだけだろう。


ぽつぽつと、俺のズボンに数滴のしずくが落ちて染みになった。

祖母の時で枯れたと思っていた涙が、止めどなく溢れ出す。



ーー痛くない時の幸せは、痛い時にしか実感できないのに。

ーー痛い時の不幸せには、痛い時でしか気が付けない。


いつもそうだ。そしてそれは俺が愚かな人間だからだ。


【ランクーーーー。指定異界生命ーーーー"白夜"が出現ーーしまーーた】


「っ……」


ノイズ混じりのサイレンに、俺はビクッと肩を跳ねさせた。

……また、何か出たのか。


街に行くと言っていたがスティルシアは大丈夫なのだろうか。

あいつの事だからまた何かで困ってるんじゃないか。……今からでも、助けにーー


ーー『私は君の事なんて知らない』


「……そう、だよな」


浮かせかけた腰を、脱力させて床に落とす。

……俺なんて、アイツに求められてない。


今までだって内心、俺の事を衣食住を提供する都合の良い人間程度にしか思っていなかったのかもしれない。


落ち込んだ思考が、どんどんと負の螺旋に吸い込まれていく。


だって、そうじゃなきゃ、俺を残してあいつの方に行ったりなんかしないーー


「あ……」


……いや、待て。

その時俺は、重大な事に気が付いた。


一気に顔から血の気が引いていく。

あの男は確か『この世界を呑み込み勇者へ復讐を』みたいな事を言っていた。そしてその後、すぐにスティルシアはヤツのいる街へと転移していった。


ーーもしかして、あの男と一緒に世界を滅ぼそうとでもしてるのか?


さっきの様子からして恐らく、前の世界の詳しい記憶を思い出したのだろう。考えが変わっても不思議じゃない。


「ーーっ」


人類相手に殺戮の限りを尽くすスティルシアの姿を想像して、俺は心がひび割れるような感覚を覚えた。

……そんなの、あいつがだ。


向こうからすれば他人だとは言えこの一ヶ月と数日、ずっとスティルシアの事を見てきて俺も多少はあいつの人間性を把握しているつもりだ。


……本質的に、優しく穏やかな人間なのだ。あいつは。

複雑な立場やら記憶にがんじがらめにされている様ではあるが、それだけは分かる。


だから。

もし、もしーー何かの間違いで、スティルシアが人々に牙を剥くような事があれば、あいつは絶対に後悔する。

自分を責めて、死んでしまうかもしれない。

誰かが止めてやらなければ、そうなってしまうかもしれない。


「……俺に、何が出来る?」


ゆっくりと立ち上がりながら、自問自答する。

押し入れの方へ歩いていって、厳重に保管してあった"ナイフ"を取り出す。術者が居なくなっても、刃に刻まれた魔方陣の数々は健在だった。


それを固く握り締めながら、俺は僅かに口角を吊り上げた。


ーー俺はあいつに求められていない。それが、どうした。


互いに求め合う必要なんて無かった。"俺があいつを助けたいから"行く。

ただそれだけで良かったんだ。

損得勘定そんとくかんじょうで人を見捨てる人間になるな。思いに対価なんて要らない。


ナイフの他に、何本かの包丁と武器になりそうな物をリュックに入れて端末を持つ。


「……行くか!」


勢い良く玄関の引き戸を開けて、俺は外へ一歩を踏み出した。





「よっ……と、防壁を張るのにかなり魔力を持っていかれたな……」


「おおっ!」


阿鼻叫喚の街、突如として出現した黒い靄の中から一人の少女が顔を出した。


直前に何か嫌な出来事でもあったのか、苦虫を噛み潰したような表情のまま、目の前の男を見据える


少女の目線の先に立つのは、眼鏡をかけた赤髪の優男。痩せぎすと言っても良いほどに細く、目の下に深く刻まれた黒いクマは疲労というより、この男の内に渦巻く狂気を伝えてくる。


「ふっ、はははは! どうも先生!! 何だか以前より随分と目が優しくなりましたね! 私に会えてそんなに嬉しいのですか!? 私もです! 正に相思相愛ですね!」


「……っ、相変わらず馬鹿みたいな魔力量だ。全くどうして、よりによって君が来てしまったんだろう……ねぇ? "大賢者"」


「はははははは!! 先生の方こそご健壮なようで何よりです!」


「会話が成立しないのも相変わらず、だね」


"大賢者"と呼ばれた男は、のけぞってケタケタ笑いながら少女へ歩み寄っていく。


「あの恩知らずの勇者め……、先生と私を"異界流し"に処すとはなんたる厚顔無知か! 先生! まずは復讐の第一歩として原住民どもに魔力を注いで"飽和"させ、最強の軍勢を作りましょう!」


「……適正の薄い人間を飽和させても、理性を無くし暴走して死んでしまうだけの筈だが」


「……? はて、何がいけないのでしょう? 当面の目標はこの星を手中に納める事なのですから、既存の文明を消し去るために暴れさせるのが得策でしょう?」


心底不思議そうな顔で、大賢者は少女へ問い掛けた。

少女は目を閉じて、ふるふると首を横に振りながら口を開く。


「……そうか、そうなるか。きっと私も最初はそうだったんだろうな」


「む……? 話が見えませんよ。まだ記憶に不備があるのですか? ならもう一度、私の瞳を……」


「いいや、確かに全て思い出したよ。君から見た私を……醜い女だ」


そう呟いた少女の指先に、小さな青い炎が灯った。

それを"殲滅開始"の合図ととったのか、大賢者の口が張り裂けんばかりに弧を描く。


背から回転させながら巨杖ワンドを引き抜き、勢い良く構えた。


「さぁ……やろうか」


「えぇ……! あぁ、国落としは久々だ! それも先生とだなんて! 正に、龍に聖剣ーーっ!?」


■■■星炎


ーー"大賢者"は、自らの目を疑った。

マッチ程度のサイズから、いつの間にかビルを呑み込む程にまで巨大化した青い炎の球体。

さながら小さな太陽とでも表現すべき圧倒的な熱量と威容がーー自分へと、迫ってきていたから。


「ッッッ!? ■■■■■■■フル・レジスト!! 何をするのです、先生!? やはり、記憶が……!」


「言った筈だ。私は確かに全てを思い出したと……■■■■■■■■ウルテマ・アイシクル


辛うじて"星炎"を防いだ大賢者の背後から、凄まじい轟音と共に冷気が迫ってくる。


横目で背後を確認すると、ベキャベキャとビル群を薙ぎ倒しながら伸びる巨大な氷の槍が見えた。


「ぬ"ぁぁ"ぁぁ"ぁぁあぁ"ぁッッッ!?!?」


「自分の世界こきょうを引っ掻き回し、私を追放した"勇者"への復讐よりもーーこの星と、


大賢者は、氷槍を回避しながら怒りに顔を歪める。


「あの子の未来に君は要らない……無論、私もね」


「さっきからあの子あの子と……っ、裏切るのですか!? 私と、私たちの世界を!」


「裏切る……? ククク、変な事を言わないで欲しいな。私は今日、始めから君と刺し違えるつもりでここに来たんだ」


少女の背後に、優に百を越える魔法陣が展開する。

それぞれ色が違い、孕んでいる効果も全て異なる。しかし全てが第一級の威力を持つ事が大賢者には分かった。

その光景に、思わず目を見開く。


「……


ーー拍子抜けたような、半ば失望したような声で大賢者は呟いた。


「なぜ本気を出さないのです? 本来の貴方なら、一度に1000や2000は平気で撃ち込んでくるはずだ」


「……君程度これで充分という意味さ。こんな簡単な皮肉も通じないとは、情けない男だね」


「ほう……? なるほど、何故かは知りませんが、既にかなり魔力を消耗しているようですね。なるほど、なるほど、くっ、ふふふははははははははははははハハハ!!! そうか!そうか!そうかァッ! 今なら私は先生に勝てる!」


大賢者は、心底嬉しそうに笑い声を上げる。

唾を撒き散らしながらボリボリと頭を掻きむしり、頭皮から赤い液体と乾燥した皮が剥がれ落ちた。


それに生理的な嫌悪感を覚え、少女は僅かに後ずさる。


「ふ、ぬっ、エ"へへへぇ……っっ! そうかそうかぁっ……! 消耗してる今なら、ずっとやりたかった事が沢山できるぞおっ! 先生を臓器ごとに俯分けしてインテリアにする事も! 先生の女性器だけを切り取ってオナホールにする事も! その小振りで柔らかい乳房と尻のお肉をワイン漬けにして食べる事もぉッッッ!!!」


「っ、気狂いめ……」


あまりにおぞましい妄言の数々に冷や汗を足らしながらも、少女は準備を終えた背後の魔法陣たちを視界の端で見た。

そして『発射』と、掲げた右手を大賢者へ振り下ろすーー


「すーっ……先生、ずっとおしたいしておりました。どうか、我が魔導が貴女にとって美しくありますよう」


ーー両腕を広げた大賢者の背後に、魔法陣が展開した。


「っーー!?」


「さぁ、フィナーレです……ご安心を。貴女が"私のモノ"に成った暁には、すぐにでもこの星の覇権をプレゼント致しますので」


煌めく星の如く夜空を覆い尽くす、無数の魔法陣を見上げながら。

少女は……スティルシアは、悲しそうに目を細めた。


眩しさに瞬きする度、瞼の裏側に自分を愛してくれたあの少年の顔が鮮明に浮かぶ。


「……ごめんね」


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