第8話『不穏なる影』

「……よし、行くぞスティルシア」


「すーぱーって所にお買い物に行くんだっけ? 私はハンバーグ食べたいな」


「ひき肉もちゃんと買うから安心しろ」


食料の買い出しに行くため、スティルシアと俺は玄関に居た。

耳は帽子とパーカーでガッチリ隠してある。髪も出てない。これなら目立たないだろう。


先週ぶりの外出とあってテンション高めなスティルシアは、前にスライムをぶっ叩いた例の棒を振り回しながら鼻唄を歌っている。


「ふふん、ドラクエならこれは『ひのきのぼう』だね。さあ冒険の旅に出発しよう!」


「多分それひのきじゃないしスーパーまで片道二十分ぐらいだぞ」


「細かい事はいいんだよっ!」


それから、二人で意気揚々と歩き出した。

気温はまるで夏が最後の抵抗をするみたいに、先週からずっと上がり調子だ。クソ熱い。

十分程すると、さっきまで元気いっぱいだったスティルシアが、ぐでーっとしながら俺に寄りかかってくる。


「どうした」


「ね、ねえ、フード脱いで良い? 暑くて溶けちゃいそうだよ……」


白い顔に玉のような汗を浮かばせながら、助けを求めるようにスティルシアが言ってきた。


……確かにこの真夏日にパーカーはキツいな。

でも、周りにはまばらだが人が歩いている。ここで脱がせたら確実にバレてしまう。

俺はリュックから取り出したスポーツドリンクを渡した。


「向こうに着いたらアイス買ってやるからこれで我慢しろ」


「うぅ……じゃあガリガリくん買ってね! ぜったいだよ! リッチじゃなきゃ駄目だよ……!」


「安上がりだなお前な」


そうこう言いながら歩き続け、遠くにスーパーが見えてきた。

……かなり混んでるな。田舎だからいつもはガラガラなのだが、街の方の店が軒並のきなみ駄目になったからこちらに流れてきたらしい。


俺は列の最後尾に並んだ。

目の前にある長蛇の列を見て絶望したのか、スティルシアは『あぁぁぁ!』と叫びながら頭をわしゃわしゃした。珍しくイライラしている。


「昼飯は何にするか……」


「ハンバーグが良いな!」


「……あ、ひき肉完売だって。ハンバーグ無理だ」


「ハンバーグが良いなっ!!!」


「……怒ってる?」


「暑過ぎてきれそーだよ!!!!!」


普段飄々ひょうひょうとしてるだけに、何か言うたびキレ気味に返してくるスティルシアは何だか面白い。いや本人からしたら死活問題なんだろうけど。


……と言っても、割りと本気で辛そうだし。家に帰らせるか。弱いモンスターなら出てきても俺一人で対応できるし。


「じゃあ先に帰ってて良いぞ。俺が一人で買い物してくるから」


「うぅん……その間に君がモンスターに襲われたらどうするのさ……」


薄い唇にスポドリを流し込みながら、スティルシアがそう言った。心配し過ぎだろう。


「ここ田舎だから大丈夫だろ。人工密集地に多く現れるってニュースで言ってたぞ」


「……それなんだけどね。多分、向こうの世界では『自分の世界と同じもの』を印にして転移を実行してるんだ」


……『自分の世界と同じもの』? 意味が分からない。


「どういう事だ?」


「例えば……私の世界には、この世界でいう『犬』が居ないんだ。『猫』も『熊』も居ない……でも、人間だけは同じように存在している。だからきっと、向こうの世界では『人間』が多い場所に条件付けしてモンスターを送ってるんだ。それが一番安定するから」


……つまり、『どちらの世界にも存在する種族』の居る場所にモンスターを送ってるということか。


「……そして、私は人間ではなくエルフだ。向こうの世界から見れば……星空に浮かぶ六等星の群れに一つだけ一等星が混じっているようなものだ。私が近くに居るとモンスターに出会うリスクが上がってしまう」


申し訳無さそうに、スティルシアが言った。

まあ、それを含めてもスティルシアと一緒にいた方が安全だろう。兵器でも対抗できない怪物を消し飛ばせる奴なんて他に居ない。


……それに、そうじゃなくても。

損得勘定かんじょうで人を見捨てる人間になってはいけない。婆ちゃんはいつも言っていた。


「気にすんな。お前自身は悪い事をしたわけじゃないんだから堂々としてれば良いだろ」


俺がそう言うと、驚いたように何度か目をパチクリさせてから小さく微笑む。

真っ白な前髪の向こう側に、優しく細まった真紅の瞳が見えた。


「……本当に、やさしい子だね。君は」


スティルシアは背伸びして俺の頭を撫でようとしてきたが、身長的に手が届かず諦める。

しゃがんでやろうかと思ったが、中学生ぐらいの女の子に撫でられる高校生は絵面的になんかアレなのでやめておく。


十分後、列が進み俺達も店内に入れるようになった。

スーパーの中はよく冷房が効いていて涼しい。

俺は真っ先に食品コーナーへ向かった。


「昼飯なにが良い? あ、ハンバーグ以外でな」


「うーん……なんでも良いよ。今まで食べたのどれも美味しかったのは分かるけど、味が思い出せなくてね」


「どういう事だよ……」


とりあえず、手頃な惣菜や肉類、魚介と緑野菜を大量に買い込んで店を出た。これだけあれば向こう一ヶ月は大丈夫そうだ。


リュックからエコバッグを取り出し、パンパンに食品を詰める。

持ち上げると肩にずしっとくる感触。魔核を取り込む前だったら間違いなく持ててない。


「私も半分持つよ!」


「いいって。お前みたいなちんちくりんじゃ無理だから。熱中症と疲労骨折で死ぬぞ」


「むぅ……私を誰だと思ってるのさ。ちょっと見てなよ」


スティルシアは俯き、ぶつぶつと何かの呪文を唱え出した。

何かの魔法だろうか。


強化


唱え終えると同時にうっすら赤くなったスティルシアの手が、俺の肩に掛かったナイロンの袋を掴み取る。

そしてそのまま軽く持ち上げた。


「おぉ……」


「ふ、ふふん……! "身体強化"だよ。心拍数と体温を上げる事で新陳代謝を活発にし、身体能力を底上げするん、だ……うぐっ」


「え、体温を上げるってそれ……おいっ!?」


汗ダラダラで得意気に説明をしていたかと思ったら、すぐ地面にぶっ倒れた。

こんな時に体温なんて上げたら倒れるに決まってる。


「アホだろお前……立てるか?」


「え、もう立ってるよ……ってあれどうして地面が正面にあるの……」


だめだこれ。

暑すぎて『あー』とか『うー』しか言えなくなっているスティルシアの口に冷えたお茶をたくさん流し込み、おんぶする。

最悪だ。荷物が増えた。


長い坂道を登りながら、俺は溜め息を吐く。

こんなザマなら着いてこなくても変わらないんじゃないか、と思った。

それから坂を登ること数分、腰をよじりながらスティルシアが口を開く。


「うー……ねぇ、おしっこしたい……」


「三十分ぐらいだから我慢しろ。それとも野ションでもするのか?」


「それでも良いかな……君にはおっぱいもアソコも見られてるし今さら変わんないよね」


「女のプライドどうしたお前」


背中で漏らされたらたまったモンじゃない。俺は足取りを速める。

そうして歩き続け、想定以上のペースで家の近くまできた。


「おーい、もうすぐ着くから頑張れよ」


「……」


「……え、うそ、漏らした?」


「いや違うよ。そっちはあとちょっと大丈夫。……あれ見て」


スティルシアの指す先を見ると、そこには緑色の肌を持った細身の人型が立っていた。

……中型ホブの、生き残りか? でも体はアレよりかなり細い。あれみたいなゴリマッチョと言うよりかは、極限まで引き絞られた感じだ。


「■■■■■」


俺達に気が付いたのか、緑の人型がこちらを振り向いた。

俺の肩に顎を乗せたスティルシアの耳がピコピコ上下する。

分析するようにじぃっとゴブリンを見ていた。


「おい、どうしーー」


『どうした』と言いかけて、凄まじい破裂音に鼓膜を叩かれる。

咄嗟に前方を向くと、一寸先には腕を振り上げた体勢のゴブリンが立っていた。

さっきまでこいつの立ってた場所には馬鹿デカいクレーターが出来ている。


ーー速すぎる。まるで見えない。一瞬で間合いを詰められた。


俺の培った申し訳程度の戦闘経験が、咄嗟に状況を把握した。

間近で見ると、遠目からは細身に感じた肉体は、皮膚の上から太い筋繊維の一本一本が目視できる程の筋肉質の塊で。


いしゆみの如く引き絞られた腕は、易々と俺の頭蓋を打ち砕くと推測できた。


「っ……■■■ドミネーション!」


「■■■■!?!?」


が、それは未遂に終わる。

スティルシアの声と同時にゴブリンの脇腹が抉られたみたいに消し飛んだ。


傷口からピンク色の臓俯を撒き散らすゴブリンだが、すぐに傷を再生して怯えた様子で逃げていく。


「んっ、ぅ……逃げられた、制御が甘かったか……」


「おい!? なんだ今のゴブリン、あんなの知らないぞ……!?」


深刻な表情で呟くスティルシアに、俺はそう言った。

未だ地面に残された巨大なクレーターが、奴の苛烈なまでの筋力を見間違いでないと雄弁に訴えてくる。


明らかに異常だ。あの細身に巨鬼オーガと同等かそれ以上のパワーが秘められているなんて。


「……ゴブリン・エースだ」


「え?」


ゴブリン・エース。

スティルシアが言うに『最強のゴブリン種』だった筈だ。


でも、モンスターが進化するには時間と個体数が必要だと聞いている。あと早期に大幅に数を減らせたから大丈夫だとも。


「なんで……」


「わかんっ、ないよっ……エース種が発生するには、少なくとも100は共食いを重ねなきゃいけないし……そんな個体が、自然に発生するわけない……だからどこかに群れがあると思うんだけど……」


しめやかに目を閉じ、スティルシアは『確実な事は何も分からない』と言った。


「んぅっ……で、も。一つだけ、確かな事があるよ」


妙に艶っぽい声を出しながら、切羽詰まった声色で呟く。


「……なんだよ?」


「おしっこ漏れる……」


「待て待て待てぇぇぇ!?」


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