K1  ありふれた日常に終止符が打たれました

 その日、ワタシにとってのあたりまえ。

 日常が目の前で崩れ去った。


 生徒たちが来るよりも早く学校へと出勤し、授業の準備、他教師との世間話、校舎を上下に移動して一日中授業、家に帰ったらお風呂に入って撮り溜めているテレビを見て晩酌して寝る。

 そしてまた次の日を迎える。

 熱が冷めた教師だったら、誰にでも当てはまりそうなそんな日常。

 そのはずだった。






 その日もワタシは、早朝から息が詰まるほどの満員電車に揺られて通勤していた。

 そんな中、電車のモニターに映るニュースが目に止まった。


『昨日、東京都内某高校の生徒七名が突然消え行方不明に。消滅現場の目撃者は多数存在し——…』


 信憑性の欠片もない、突拍子な記事。

 しかも、この学校ってウチのお隣さんじゃない?

 これ、本気で信じる人はいるのかな。

 はあ、脳細胞の一部をこんなことで無駄に使ってしまった。




 そんなこんなで学校に着き、滞りなく授業を進行して半日が過ぎた頃。

 ワタシはお昼休憩に職員室に戻った。


「お疲れ様です、加藤先生!」

「うん、お疲れ〜」


 新任の倉田京香くらたきょうか先生は、やる気に満ち溢れていて子供好き感が滲み出ている。

 いつもニコニコで優しく、若くて可愛い倉田先生は当然生徒からも人気がある。

 そんな倉田先生は、何故か担当科目も違うワタシに懐いていた。


「そう言えば先生は聞きましたか? 昨日の高校生が行方不明になっちゃった話」

「まぁ、ちょっとだけね」

「怖いですよね。無事に見つかるといいんですけど。一体どこに消えちゃったのでしょうね」

「え? 倉田先生。あれを見て、変だなとか思わないんですか?」

「何がですか?」

「現実的じゃないと言うか」

「でも、たくさんの人の目の前で消えちゃったんですよ? あ、お昼ですよね」

「ま、まぁね」


 倉田先生はワタシが鞄から財布を取るや否や、慌てて自分の財布を取り出した。

 切り替えが早い人だな。


 ワタシの勤めている学校は売店も学食が食べられる食堂もあるのだが、そっちには行かずに基本的にはコンビニを使う。

 わいわいと騒がしいし、三十路のワタシには青春真っ盛りの若者の気に当てられるのは正直辛い。

 勤務時間は長く、そのほとんどを立っていないといけない環境だ。

 お昼くらいは、自分の時間にしたい。

 倉田先生は小動物みたいで、一緒にいても疲れないから例外ではあるけども。


 コンビニに行って帰ってくる、それだけの時間でも倉田先生は先の話題で出てきた行方不明の高校生の話に夢中だった。


「加藤先生はなんでそんなに疑心暗鬼なんですか! 目の前でパッと消えたんですよ?」

「でもね」

「嘘のような話でも、それが現実に起こったら真実なんですよ」

「……その瞬間を見てきたかのような言いぶりですね」

「えっ!? どこがですか!?」


 倉田先生は、ピュア過ぎやしないか?

 いつか悪い人に引っかかる気がする。

 年齢は大人になったけど、いつまでも童心でいられるなんて、正直羨ましい限りだ。

 倉田先生の目には日々の日常はどんなふうに映っているんだろう。


「そういえば最近……ってほどでもないんですけど、ネット小説で異世界転生・転移モノが流行っているんですよ」

「転生ねー」

「ここではないどこかへ、非現実的で胸躍る冒険へ。平凡な子が主人公で、それがどこか自分と似ていたり、感情移入できたりとか、種類も数も豊富で今ハマっているんですよね」

「唐突ね」

「あ、高校生が突然消えたって話をしていたら思い出しましてね。ファンタジーなんて、加藤先生からしたら子供っぽいですよね」


 恥ずかしそうにニコッと微笑む倉田先生に笑みを漏らす。


「ファンタジーならワタシも好きよ? あれでしょ、教師と生徒の恋愛とか、兄妹での恋とか、才色兼備で眉目秀麗な生徒会長とか、クラスに一人はいる超が付くほどのお金持ち——…」

「それは私の言っているファンタジーとは違いますよ!」

「似たようなもんよ」


 そんなのはファンタジーだ。

 別に望んでいるわけではないけど、まずあり得ないし。

 ワタシにも兄はいるけど、恋愛対象としてとか普通に無理だし。

 帰国子女転校生が許婚とか、朝の通勤通学中に愛の告白とか、ノー勉で全国模試一位とか、宝くじとか、教師の長期休暇とか、とか、とか……。


 なんか、嫌になってきたわ。


「む、そこまで言うならわかりました。明日、私のオススメの本をお貸しします」

「いいわよ、別に」

「いえ! 持ってきます!」


 昼食を終え、倉田先生が謎の宣言をした時、予鈴のチャイムが鳴った。

 その後、”約束ですからね”と強く私の目を見ながら再度宣言をした倉田先生は授業へと向かっていった。

 さて、ワタシも次の授業に向かいますか。


 この時のワタシ達は知る由もない。

 そんな約束を果たす時は未来永劫訪れることがないことを。






 昼休憩の後、授業が始まったとはいえこの時間帯は居眠りしている生徒が多い。

 気持ちが分からないでもないけど。


 天気もいいし、窓側の席の子達はほぼ寝ているわね。

 ワタシは化学が好きだけど、そうじゃない人からすれば睡眠学習の時間だろう。

 ま、起こすのも面倒だしそのまま内申を下げるだけなんだけど——…


 そんなことを考えていた時だった。

 校内に設置されていた地震感知警報が鳴り響いた。




『プゥプゥプゥ地震がきます プゥプゥプゥ地震がきます』




 教室内がざわめき出す。


 地震?

 とりあえず、指示を出さなきゃ。


「皆さん、素早く机の下に潜ってください」

「ねぇ、これ訓練?」

「訓練じゃね?」


 ざわめきは廊下の方からも聞こえる。

 ってことは、他の教室でも同じ様な状況か。


「騒がない。今は机の下に潜ってジッとしていなさい。しばらくしたら放送があるはずだから」


 とは言ったものの、この状況で騒ぐなとか無理な話である。

 ワタシは教室内を見渡して、ふと一人の生徒が目に入った。


 後ろの窓際の席、名前は……なんだったっけ。


 その生徒は、他の生徒が慌てふためいているにも関わらず、未だに机に突っ伏していたのだ。

 ワタシはすぐに出席簿を開き名前を確認する。


 その瞬間、一撃ドカンと大きな縦揺れが校舎を襲った。

 ざわめきが大きく連鎖する。

 その揺れで流石に、眠っていた生徒も起きたのか目をこすっている。

 彼女は教室を見てすぐ、窓の外を見た。


 確かに外の様子が気になっちゃうかもだけど、今はそれどころじゃないでしょ!


「そこっ、早く机の下に入りなさい!」

「あ、はい」


 かなりの揺れの地震が続いているってのに、なんて呑気な返事。

 寝過ぎて状況が分かってないのかしら。

 棚の教材類は全部落ちてるって言うのに。


 ワタシはその女生徒から視線を外した。




 




 非現実的で胸ざわめく亀裂が。

 ワタシは目を疑った。


 これに気付いているのは、ワタシだけなの?


 教室の真ん中、その頭上。

 何もないはずのその空間は歪み、ひび割れ、裂け、亀裂が生じている。

 亀裂それはみるみるうちに大きくなっている。

 ワタシは何もできずに、ただ口を開けて見ていた。


 これがVRでないなら、これこそファンタジーでしょ……。


『嘘のような話でも、それが現実に起こったら真実なんですよ』


 ワタシの脳裏には倉田先生のそんな言葉がフラッシュバックする。

 亀裂は次第に大きく裂けていき、それと同時に全身に激痛が走った。

 時がゆっくりになっていくのを感じる。


 空間の裂け目、ヒビに触れた生徒から、まるで蒸発していくように消えていく。

 抗いようのない一瞬の出来事。


 ワタシは、ワタシ達は死んだのだ。

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