30. 亡霊を追う者

 元々青白いベザルドラメレクの顔色は、もはや血の気を全く感じない程に青くなっていた。

 腕を上げることすらままならない様子だが、ゆっくりとその手を天へ伸ばし、現れた無数の槍をグレゴワールに向かって飛ばした。

「ガハッ……」

 再び口元から大量の血が零れ落ちた。

「本当に死ぬぞっ!」

 グレゴワールは、襲い掛かる無数の矢を自身の弱りきった魔力で防御しながら、大剣で叩き落としていく。


 ベザルドラメレクはゼェゼェと荒い呼吸で胸を抑え、苦悶の表情を浮かべている。口元を覆った手からは、ポタリポタリと血が滴り落ちていた。


「魔界の奥地からワイバーンまで引っ張り出して、ただで済むわけがないだろう」

「……別に僕の身がどうなろうが構わないさ…。 魔族の永い寿命にも……そろそろ嫌気が差していたからね………」


『ふざけんじゃないわよっ!!!!』



 突如二人の目の前に現れたのは、目も覚めるような深紅の髪がなびく、翡翠色の瞳の絶世の美女―――――ではなく、満身創痍のトロールだった。


「あなた一人の感情に振り回されて、いったいどれだけたくさんの命が犠牲になったと思ってるの!?」


 ベザルドラメレクは、苦しそうに胸を押さえながら振り絞るように声を出した。

「呪いの娘か………」



 全く容姿は似ていないのに、自分を真っ直ぐに見るその瞳が、なぜかテアのそれと重なった。


「ドロシアッ!? どうしてこっちへ来た!?」

わたくしだって、来たくて来たわけじゃないわよっ! ワイバーンが大暴れして大変なのよっ! ……だけど、見えてしまったからには気になるじゃない! 向こうは今ルイスたちに任せてるわ!」

「……ハァ」

 グレゴワールは、自分に溜息をつかせるような女はいないぞと思いながらも、諦めたように頭を掻いた。


「そう………僕の計画はとても順調だったよ。 君が呪いをかけられるまでは…」







 元々、魔王に冷遇されていたミノタウロスやマンティコアは、自分たちの楽園を創ろうと誘えばすぐに乗ってきた。


 それを反乱軍とし、僕たちは順調に勢力を伸ばし、このまま行けば魔王を落とせると思っていた矢先、次々と自軍がやられていった。



 あっという間に計画が頓挫し始めたのは、この娘が現れてからだった。


 噂に聞けば元は普通の人の子。魔王の気まぐれで呪いをかけられただけの娘が、まさかここまでの脅威になるなんて誰が予想しただろう。






 このままでは、魔王を倒すことも世界を終わらすことも出来なくなる――――。

 だから自分の力を全て使って、最凶最悪のワイバーンを引っ張り出した。


「……死ぬのは怖くないよ……むしろやっと終わると思うと清々する」


 左肩が下がり、傾いた姿勢のまま立ち尽くすベザルドラメレクは、力のない声で言った。


「テアにもう一度会いたいなぁ…」










「貴方は……テアさんのことを愛していたんですね」


 立ち尽くしていたベザルドラメレクの瞳が大きく見開いた。

「………………あぁ……この感情が愛というものなのか……」


 人間の娘に恋をして、儚く消えていった愛する女の亡霊をいつまでも追うベザルドラメレクに、世界を終末にいざなった当事者にも関わらず、グレゴワールは心の底から憎めずにいた。

 その感情は、痛い程よく分かったから。


わたくしは、愛する者同士の魂は永遠に離れることはないと信じていますわ……。 例えこの世で離れ離れになったとしても、種族とか生きた時間とか……関係なく、必ず再び会えると‼」


 ドロシアは、昔読んだ恋の物語の結末を思い出しながら、自分がそうだったらいいなと感じたことを伝えた。


「…そっか……それなら嬉しいなぁ。 死ぬのが楽しみになってきたよ」

 ベザルドラメレクは、一際大きく息を吸った。



「ねぇ魔王…お前は知らないだろ? テアって笑うととても可愛いんだ……………」




 とても幸せそうに微笑んだベザルドラメレクの肉体は、その役目を終えると灰雪のようになって空へと舞い散った。






「………………」

「……元凶がいなくなったのに、どうもスッキリしないな」

「あの人のしたことは決して許されることではないけれど、あっちの世界でテアさんに会えるといいわね!」

「……………」


 グレゴワールは、ドロシアの願う結末が本当にあるのなら、自分もその役目を終えた時、シェスティンに会うことが出来るだろうかと考えた。


「死んだ後の世界が、そんなところならいいな」


 グレゴワールは珍しく、瞳を細めて優しく微笑んだ。
















 全てを焼き尽くし、世界を終末へ導くそれは、悠々と空を飛び回り辺りを焦土へと変えていた。


「早くて中々的が絞れませんっ!」


 ベニーがワイバーンに向かって攻撃しようとするものの、その動きの速さと羽ばたく度にやってくる猛烈な火風に手こずっていた。


「クゥーーーッ!」


 何とか逃げずに踏ん張ってみてはいるものの、すでにダラムシュバラの魔術師団は成す術なく撤退。

 魔王軍ですら、ドラゴネッティやクロンクビストら上位魔族を除いては一時休戦状態を余儀なくされていた。


「ドロシアが戻るまで、もう少し耐えよう」

「は、はいー」


 アンブローズはいつでも攻撃出来るように、その機会を伺っていた。

 その間にもベニーが幾度となく宙を舞うワイバーンに狙いを定めるも、灼熱の炎の塊を吐き出して牽制してくる。

「クゥッ」

 熱さに思わず歯を食いしばる。

「熱くて腹が立つわ!」


『氷の防御、氷壁の叡智えいちよ、我が呼び声に応えよ。アクリオデフェンド!』


 アンブローズが珍しく詠唱を唱えると、氷壁が出来上がりワイバーンの灼熱の炎を避けることが出来た。


 間髪入れずにルイスが出来上がった氷壁を利用して駆け上がり、宙へ跳びワイバーンに切りかかった。


 ーーーーーキーンッ!


 ワイバーンの何層も重なる鱗のような皮膚は、硬く傷一つ付けることが出来ない。


「チッ」


 切りかかり体制を崩すルイスに、今度はその体躯をこちら側へと向け、口を大きく開け、ワイバーンは炎の塊を吐き出した。


 猛火は一瞬にして辺りを焦がし、全ての生命を無に返した。


 ルイスはすんでのところでそれを躱すが、あまりの威力に額からは汗が流れ落ちる。

「化物め……」


 ワイバーンは再び体を反転させ、大きな口を開け炎で襲い掛かった。



「くらえーーーーーーっ!!」



 戻ってきたドロシアが、ワイバーンに向かって特大の法撃を放った。



 バーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!


 轟音と共に、煙で視界が悪くなる。


「ーーーーーーーーー!!」


 不気味な号哭ごうこくが耳をつんざく。ドロシアたちは思わず、両耳を塞いだ。




 ベゼルドラメレクがその命と引き換えに連れてきたそれは、正真正銘最凶最悪の化物だった。


 ドロシアたちは力の差を歴然と感じて、戦わなければいけないのに体が動かない。


 けたたましく奇声を発するワイバーンを、ただ体中から流れ出る冷たい汗を感じながら呆然と眺めていた。



「帝国軍が来るまであと数日か……そんなにはもたないだろうね」

「数日どころか、すでに山場です」

「……逃げたところで、遅かれ早かれ……って感じですね」

「………………………」

「どうかしたの? アンブローズ」


 一人考え込む様子のアンブローズだが、その目は一人希望を失っていないようだった。


「時が来たようだ……」


「え?」

「みんな、僕から離れてくれ」


 アンブローズは、近くにいた仲間たちを軽い風で吹き飛ばした。

 そしてすぐさま険しい顔で宙を睨むと、青紫の大きな彗星が空から降ってくるのが見える。



「アンブローズ危ない!!!!」


 ドロシアが叫ぶのと同時に、青紫の彗星がアンブローズに直撃した。


 ボッカーーーーーーーーーーーーン


 大きく弾けるような音が鳴り響いた。

 すぐさま駆け寄ろうとするドロシアたちを静止したのは、グレゴワールだった。

「ダメだ! そのまま……そのまま動くな!」


 そう言うグレゴワールの声は震え、大きく見開かれた瞳は小刻みに揺れているように思えた。


「…そんな……そんなわけが……………だが……」

「グレゴワール?」



 視界が煙で覆われていて、アンブローズの安否すら確認出来ずにいた。ドロシアは目を凝らして必死に煙の中を見つめていた。


 ぼんやりと人影が見えると、大きな怪我をした様子もないアンブローズに一同ホッとしたのも束の間。


『………すまない、どうやら魔王になってしまったようだ』


 戻りしなに、アンブローズ・ザーンキルトンはそう飄々と言い放った。

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絶世の美女から醜いトロールになりました。 このめだい @okadatomi

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