29. 墓石

 大の大人に力強く腕を引っ張られたテアは、痛い痛いと訴えていた。


「おいっ!」


 咄嗟に飛び出たベザルドラメレクに、男は警戒し怪訝な表情をした。


「なんだー? 貴様は?」

「……テアは、僕の主人の伴侶だよ」

「お、伯父さん! 私……この人のご主人様の元で暮らしているんです」


 そう言うと突然目の色が変わり、伯父と呼ばれた男はベザルドラメレクの全身を値踏みするように見た。

「主人という人物は、下働きを持てるくらい裕福な家と言うことだな!」

「?」

「こちとら労働力であるテアを突然奪われて、困ってるんだよー」

 そう言うと、自身の手のひらを上にしてベザルドラメレクの前に差し出した。


「結納金をよこせっ! 養女を勝手に連れてかれたんだ! 当然の権利だろ!?」


 ベザルドラメレクは、冷たい視線で差し出された手を見つめた。


「テアは弟に会いに来たんだ。 金は弟に会ってから考えよう」


 男に対して嫌なものを感じたベザルドラメレクは、金を渡す条件を付けた。


「伯父さん! ロイに会わせて下さい」


 男の目が少し揺れた気がした。


「ロイには出稼ぎに出てもらってるんだ」

「出稼ぎって!? 炭鉱ですか? 漁ですか? それともどこかの家の下働きですか?」


 距離を詰めるテアに、男はたじろいだ。


 テアはおかしいと思った。ただでさえ自分という労働力がいなくなったのに、弟をよそにやる余裕なんてあるだろうか……。

 それとも本当にどこか実入りの良い働き場所でもあったのか。

 乾きがちなこの土地では、裕福な暮らしは望めない。領主に至っても、辺境地過ぎてほとんど放置しているような場所だ。




 すると男は、剣のある顔をして無言で歩き始めた。付いていくと、畑の隅の土がこんもりと盛られた場所に立った。


「………流行り病だ。 俺のせいじゃねぇぞ」

「ウソ……そんなの……」


 テアは目の前の土の膨らみを見て、そこに変わり果てた弟がいることを想像し崩れ落ち、涙が溢れ出た。


「会わせたんだ! 金を…」

 男が言いかけると、ベゼルドラメレクが制した。

「死んでいるんだから会わせたことにはならないよ」

「なんだと!? 俺が案内しなければ生死すら分からないままだったんだぞ」

「……そもそも、お前がテアの弟の病気を適切に対処していたとも思えない」

「何だとこの野郎! いいさ、力付くで奪ってやる!」


 男は卑しい笑みを浮かべて、ベゼルドラメレクに襲い掛かった。


 テアの伯父であるこの男は、ベゼルドラメレクがとてつもなく華奢で色白なひ弱そうな見た目であったために、簡単に打ち倒せると思ったのだろう。

 しかし実際には魔王の片腕程の実力があり、そもそもが人間ではないので魔力量や力が桁違いだった。


 まるで埃を払うようにベゼルドラメレクが指を弾くと、男の体が一瞬にして白い霧に覆われた。

「うわっ! 何だこれは!? おいっ! やめろっ! うわーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!」


 断末魔と共に跡形も無く男は消えた。

「すまない……もっと早く来れば良かった」


 テア自身も自分を責めて苦しんでいる様子で、ゆっくりと首を横に振った。

「ベゼルさんのせいではありません。 連れてきてくれてありがとうございます」


 ベゼルドラメレクが天に向かって指をクルクルっと回すと、ロイの眠る土の小山に立派な墓が出来上がった。

「せめてこれくらいはさせてくれ。 人間は亡くなるとこうして墓を立てるんだろ?」

「ロイのためにこんな立派なお墓を……ありがとうございます」


 テアはゆっくりと弟のロイが眠る真新しい墓に向かって、手を合わせた。










 こうして、何事もなかったかのようにテアは魔界に戻った。

 弟を失い傷心でいるテアに気付くはずもない魔王は、忘れた頃に顔を合わす程度。

 魔王なりにテアのことを気にかけているつもりでいたのかもしれないが、人間の時の流れに置き換えると無関心に近い程、テアは放置されていた。


 肉親を全て失ったテアの拠り所は、当然魔王グレゴワールではなく、その片腕ベゼルドラメレクとなっていた。

 そんなことにも誰も気付かない程、テアという二番目の託宣の娘の存在感は薄いものだった。


 魔王城で暮らしたテアが幸せだったのか、不幸だったのかは分からない。人間としての天寿を全うし、テアが永遠の眠りについた後、ベゼルドラメレクは魔王グレゴワールの元を去った。


「ベザル……」

「ドラゴネッティ…。 世話になったね」

「これからどうするんだ?」

「…さあ? どうしようかな……とりあえず魔王の元を早く離れたいんだ」

 ドラゴネッティが魔王城の庭を見ると、人間の世界に習って墓石が2つ並んでいた。そこにはエルフリーデ・ルーデンとテア・スピラと二人の名が刻まれていた。


「グレゴワール様の御加減が日に日に悪くなっている」

「最近随分弱ってきていたもんね! そのままくたばればいいんじゃない?」

「ベザル!」


 ドラゴネッティに諭されるが、ベザルドラメレクは吐き気さえ覚えた。いずれまた託宣によって次の人間の娘が選定されるのだろう。

「別に次の託宣の女がどうなろうが知ったこっちゃないけどね……」

 そう言いながらも、託宣によってまた不幸な女が生まれるかと思うと、ベザルドラメレクは我慢出来なかった。


「………………………テア様から、お前のことをよろしく頼まれた。 きっと魔王様のことをよく思ってはいないから、いざという時は止めてくれと」

「…………………………」

「例えテアの最後の願いでも、それは聞き入れられない。 僕は魔王あいつを許すことは出来ないから……」

 これで決別だと言うように、ベザルドラメレクはドラゴネッティの肩に手を置いた。


「人間の女の力が無ければ完全体になれない魔王なんて、真の魔王じゃない」












 こうしてベザルドラメレクは、魔王城を去った。その後風の噂で、魔王が託宣の下りていない人間の娘と恋に落ちたことを聞き、一段と怒りが込み上げた。そして、元々反魔王派だったミノタウロスなどを焚き付けて、反乱軍を組織化して実権を握ることに成功した。


 ベザルドラメレクは、人間の世界においてもどうなろうが構わなかった。下級魔族以下の生活を強いられていたテアや、老いることさえなければ魔界で楽しく暮らしていたエルフリーデと関わったことで、人間界は魔界よりよほど地獄のような場所なんだと思っていたから。

















 天を割いて現れたワイバーンに、魔王軍も反乱軍もダラムシュバラの人々も成すすべがなく、ただ蜘蛛の子を散らすように逃げることしか出来ない。

 ワイバーンは、敵味方など一切関係なく目の前にあるもの全てを紅蓮の炎で焼き尽くしていく。



 魔王グレゴワールとベザルドラメレクは対峙したまま、ここだけは別空間のような静かな時が流れていた。


「お前が名すら出てこなかったテアの側に僕は最期までいた」

「……………………」

「何が託宣だ!? 人間の娘の力を借りなければ力を保てない。 力さえ得ればあとは用無しかっ!」


 先に仕掛けたのは、ベザルドラメレクの方からだった。グレゴワールに向かって白い蛾の大群が襲い掛かる。

 グレゴワールは、自身が生み出した黒いメタリック調に鈍く輝く大剣で薙ぎ払った。


「…流石、頭のキレる最高位の魔族だな。 下級魔族や下賤な人間の方が余程残酷だ」

 グレゴワールは、ベザルドラメレクを睨みつけるように見ながら、今度は先程のお返しと言わんばかりに、大量の蝙蝠を放った。

「魔王でいるために人間の娘を利用することのどこが悪い? 暖かく上等な布団で眠ることが出来て、人間界にいたなら一生口に出来ないような食事を用意し……安全に一生暮らすことが出来たんだ!」


 ベザルドラメレクは全身に覆い被さろうとする蝙蝠を薙ぎ払い、白い蛾を出した。黒い蝙蝠と白い蛾は、渦のように螺旋を描きながら空を舞い、さらに混ざり合い灰色となって互いを攻撃し合っている。

 間髪入れずに大剣で距離を詰めるグレゴワールに、ベザルドラメレクは太刀で応戦した。

 乾いた音が鳴り響きながら、しばらく二人の剣戟は続いた。


 ベザルドラメレクの太刀がグレゴワールを捉え、間一髪でそれを避けると、太刀がかすめた頰から血が流れた。

 グレゴワールは距離を取りその血を拭うと、立ち尽くしたまま天を見上げ、大きく息を吸い込みそして吐いた。


「ベザル……貴様はいつでも、我の触れられたくないところを見透かすようで、配下であった時から気分が悪かった」

「それは何より……だ……」

 戦いで肩を上下させているベザルドラメレクが、ニヤリと口角を持ち上げた。――その瞬間、激しく咳き込み、青白い顔から真っ赤な血を吐き出した。

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