28. 託宣の娘

 戦闘態勢へ入ったドロシアたちをよそに、グレゴワールはベザルドラメレクの元へと向かった。


 二人は緊迫した空気の中対峙すると、ベザルドラメレクがゆっくりと口を開いた。


「なぁグレゴワールよ…………魔とは何なんだろうな? 魔族の心が悪とは限らないし、人間の中にも悪しき心の者はいるだろう?」

「…………ああ、そうだな」


 べザルの質問にグレゴワールは、シェスティンと出会った時の野盗を思い出した。

 あの時出会った人間は、魔族の自分より『悪』そのものだったと。


「人間たちは悪いところに蓋をして、その全ての責任を魔族に擦り付ける。 そうして、自分たちはさも正しく気高い生き物だと声高に主張するところが僕は気に入らない」


「……………」


 再びグレゴワールの中には、シェスティンを保護したつもりが、連れ去ったと断定され、魔族刈りをし始めた人間たちを思い出した。


 あの時、もし自分が魔族ではなかったら……。

 魔王でなく、人間界のどこかの貴族であったなら、こんな事態に果たしてなっただろうか。


「なぁ、魔王よ。 お前は二番目の伴侶だった女を覚えているか?」


 唐突にベザルドラメレクは、託宣の下った二番目の女について質問を投げかけた。


「あぁ……確か農家の娘だった。 名は…………」


 名は何だったか、グレゴワールは思った。

 最初の伴侶は踊り子の娘で、二番目が農家の娘。

 どちらも愛していたかと言われると困るが、かと言って無下に扱った覚えもない。


 伴侶となってからは、生涯を魔王城で過ごすことを希望した。

 会ったのは数える程度だったか。

 グレゴワールは、今更ながら過去の自分の酷さに呆れて笑いが込み上げた。


「テアだ……テア・スピラ」


 ベザルドラメレクは、抑揚のない声で淡々と語り始めた。


「テア・スピラは不幸な女だった。 人間の世界にも居場所がなく、連れてこられた魔王城でも孤独な時間を多く過ごしていた」











 僕がまだ魔王グレゴワールの元に仕えていた頃、魔王に最初の託宣が下りた。

 やって来たのは、踊り子で世界中を流浪しているというエルフリーデ・ルーデンという娘だった。


 褐色の肌に赤い髪、はしばみ色の瞳の妖艶な雰囲気で、割と豪気な性格の持ち主だった。


 人間の娘と関わったのは、この時が始めてだった配下は多い。僕もその一人だ。


 力の落ち込みや不安定さを訴えていた魔王だったが、エルフリーデと契を結んだら、むしろ以前にも勝る力を得たような気がした。



 そしてエルフリーデは、何故か人間の世界に戻ろうとしなかった。

 別に魔王がそれを強要したわけではないが、本人曰く「世界を旅するのにも飽きたし、グレゴワール様は素敵だし、衣食住に困らないし、私の踊りを楽しみにしてくれる魔族もいるし」ということだった。


 基本的に魔王の伴侶の世話は、配下たちが行っていた。


 こういう言い方はなんだが、力さえ得てしまえばあとは用無しと言わんばかりに、魔王はエルフリーデにあまり関心があるようには見えなかった。


 そんな魔王に対して愛されていないと少し寂しそうにするエルフリーデもいたが、何人かの配下と打ち解けていた彼女はそれなりに楽しそうに暮らしていたと思う。



 ――――ただ、人間の一生は魔族に比べたら随分短い。

 エルフリーデを最も苦しめたのは、魔王に愛されないことでも、人間の世界に帰れないことでもなく、ことだった。


 魔王や配下である僕たちは何も変わらないのに、自分だけが歳をとる。

 美しかった見た目も陰り、踊りも踊れなくなり、あんなに明るかった性格が晩年は塞ぎ込むようになっていた。


「帰りたい……今更帰っても誰もいないでしょうね。 こんな歳をとったら私だって分からないでしょうし…」


 こうして、晩年はとにかく人間の世界に帰りたいと日に何度も呟くようになっていた。



 或る日、エルフリーデは躯になった。



 僕たちは悲しみに暮れた。

 人間の一生はなんて短くて儚いんだと。







 ――――それからまた時が流れた。





 再び力の陰りが見えてきた魔王は、託宣が下りる日を待っていたが、一部の配下は複雑な気持ちだった、僕も含めて。


 エルフリーデの件で、彼女と関わりの深かった配下たちは、魔王の伴侶というものを手放しで喜べなかった。


 魔王に心酔している配下たちは、託宣の下りた人間の娘と契りを交わしその絶大なる力を保持出来るなら、人間の娘がどうなろうと関係ないと考えるものもいた。



 突然、託宣が下ったと魔王が連れてきた娘は、先の娘エルフリーデとは全くタイプの違う娘だった。

 痩せ型で、女にしては背が高い。

 墨のような灰黒の髪は肩につかない程度の短さで、全体の印象からしたら随分柔らかい印象の目をしていた。

 娘は薄汚れ、かなり質素な服を着ていた。



「託宣の娘だ」

「テア・スピラです。 よろしくお願いいたします」

 配下たちは久しぶりに人間をまじまじと見て、エルフリーデのことを思い出しながらザワついていた。


「なんか全然違うな、エルフリーデと」

「踊りは踊れるか??」

「踊れません…」

「歌は? 歌は歌えるか? エルフリーデは歌も上手かったなぁ」

「……歌も得意ではありません」

 テアの言葉に、辺りは一層騒がしくなった。

「踊りも出来ない、歌も歌えない! 何が出来るんだ?」

「…………」

 テアは黙り込んでしまった。


「テア様、とりあえず湯浴みとお食事を」

 配下の一人であるドラゴネッティがそう言って、テアを連れ出した。




 湯浴みを終え用意した服に着替えたテアは、先程の薄汚れた姿とは違い、見違えるくらい小綺麗になっていた。

 ただそこに余分な肉が一切なく、女性であるにも関わらずその体はかなり骨ばっていた。


「……これ、全て私が食べてもいいんですか?」


 用意した食事を目の前に、そんなことを言うテアは、人間の世界で一体どんな暮らしをしていたのか。

 決して豪華ではない食事も、毎回とても美味しそうに幸せそうに食べていた。







 今回の託宣も、先の娘のエルフリーデと同様に契を結び力を取り戻した魔王は、テアに対してもさほど関心があるように見えなかった。


 エルフリーデとは、数回会った程度…………僕たち配下の方が、余程彼女の生涯を通して関わりが深かった。


 僕は、少しずつこの魔王グレゴワールに対して、疑念が浮かぶようになっていた。


 エルフリーデは踊り子だったスキルを生かし、魔族にも人気で親しい者が多くいたが、テアはそうではなかった。

 魔王城で過ごすほとんどの時間を一人で過ごし、関わる配下も自分とドラゴネッティくらいだった。


 それでも人間の世界には戻らず、魔王城で暮らすことを選んだテアだったが、一度だけお願いがあると懇願されたことがあった。


「べザルさん、お願いします。 たった一目でいいので別れた弟の姿が見たいです」

「弟?」

「はい……私たちの両親は、弟が生まれて間もなく亡くなりました。 私と弟は伯父の家に養子にもらわれ、私は一日中働いて少しのご飯をもらって生活していました」


 それであんな姿をしていたのかと、ベザルドラメレクは妙に納得した。


「伯父は労働力であった私がいなくなってきっと怒っていると思います。 もしかしたら、そのせいで弟に何かあったらと思うと――ずっと気が気ではありませんでした」


「…………今一度聞くが、テアは人間の世界に戻りたいわけてはないのだな?」

「戻ったところで、死ぬまで働かされるか、従兄弟と結婚して強制的に子供を産まされるかだけですから。 魔王城での暮らしの方が余程幸せです………ただ、弟のことが気掛かりなだけなんです」

「分かった」


 ベザルドラメレクは少し迷った挙げ句、どうせテアに興味のない魔王には話を通す必要はないと考え、人間の世界にテアを連れ出すことを決意した。







 テアの案内に従って、彼女の暮らしていた伯父の家へと飛んで向かった。

 その場所は、賑わっている首都近郊から随分離れた場所にあり、ぽつぽつとある集落にお世辞にも大きいとは言えない畑、それも豊作には程遠い状態であることが見て取れた。


「あそこです」


 テアが指差す場所へ降り立つと、ボロボロの農具が無造作に置かれた小屋のような家があった。


「家畜小屋か何かじゃないの?」

「いえ……ここが家です」

「……………」


 ベザルドラメレクは絶句した。

 下級魔族ですら、こんな所には住まない――――そう思ったが、口に出すのはやめた。


「僕は隅で待っているから、弟に会いに行って来なよ」

 テアは頷いて、緊張しながらドアを叩いた。


「テアです」

「テアだってー!?」


 野太い声がしたかと思ったら、勢いよく扉が開いた。


「お前っ! この野郎! いったいどこへ行ってやがったんだ!」


 ベザルドラメレクは出てきた男の声を聞いて、眉根を寄せた。


「お前がいなくなったせいで、働き手が足りなくなってこちとら大変だったんだ!」

 このクソ娘と、テアの腕を無理やり引っ張る男を目の当たりにして、ベザルドラメレクはカッとなって思わず飛び出した。

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