24. マンティコア

 ――ルイスたちがアルバレス帝国を発つ少し前。


 ウワピトワイナーの完成を無事見届け、やっと平穏な日常が取り戻せると思っていたビトール・マナスは、今我が身に降り掛かっている現実をにわかには信じられずにいた。


 見たことのない魔物は、その大きく機敏な巨体で、戦う魔術師たちを仕留めていた。

 それが狩りのようだと思ったのは、魔物が仕留めた人間を喰らい、その耳まで避けた大きな口から赤い血を滴らせていたからだろう。


 そう、魔物マンティコアは人喰いだった。

 目の前に広がる目を覆いたくなるような凄惨な光景に、ビトールは自身の身を守ることで精一杯だった。




 研究者としては優秀なビトールだが、戦術は不得意だ。かろうじて実戦で使えそうなのが『速く走れる』術式を上手く使えることだった。

 覚えて詠唱して発動させる魔術も、誰でも使えるかわりに個人の潜在能力によってその効果の程度が変わった。

 ビトールはなぜか、どの魔術も大きな威力にならなかった。




 ふと、一体のマンティコアと目線が合った気がした。

 窮地に追いやられると本能で危険を感じるものなのか、ビトールは瞬間的にヤバイ!と思った。

 気付けば四方を数体のマンティコアに囲まれていた。


 早くその場から逃げるため、覚えている戦術に使えそうな詠唱を全て唱えてみるものの、ダメージを与えられるようなものは何一つ出なかった。


 魔物の餌食になる自分が脳裏に浮かんでは消え、流れ出る汗がやたら冷たく感じた。



「ビトール・マナス! 何とか無事だったか!」


 突然聞き覚えのある声が自分の名前を呼んだ。

 声の方向には、烏の濡羽色の長い髪を靡かせた赤い瞳の少年アンブローズ・ザーンキルトンがいた。


「ア…アンブローズ様!」


 ウワピトワイナー製作の際は、そのストイックさに随分振り回された。

 けれど、どう見ても十二〜三歳の少年にしか見えないアンブローズが、偉大な魔法使いだということもまた真実だった。



 アンブローズは、慣れた手付きで掌に大きな氷塊を作り上げると、数体のマンティコアに向かって一気に解き放った。

 避けようとしたマンティコアだったが、紙一枚分触れた箇所からあっという間に全身が凍り付き、マンティコアそのものが氷塊となった。


「……助かっ……た」


 安堵感から、ビトールはその場にへたり込んだ。


 一体何体仕留めたのだろう。

 珍しく、目の前の少年の額からは大きな汗が流れていた。


「そなたは魔術が使えないのか?」


 アンブローズは日頃から決して丁寧な物言いではなかったが、今日はいつにも増して素っ気ない。けれど、それがビトールの身を案じてだということくらいは分かる関係だった。


「はい……実戦には不向きなものしか……。 なので研究職に就きました」

 自分を情けなく思いながら、ビトールは正直に答えた。


「僕の側からなるべく離れるな!」


 そう一言だけ言うと、目線で誘導しながらアンブローズは次のマンティコアを倒しに向かった。


 ビトールは、自身の唯一得意とする速く走れる魔術を発動させると、アンブローズの側をなるべく離れないように努めたのだった。














 ドロシアの執事兼、護衛役のベニー・クリストファー・ボールドウィンもまた、マンティコアを目の前にして、その身を縮めていた。


(分かっていたことじゃないか! 前回のガーゴイルなんて目じゃないこと……でも……だからと言って怖くないわけじゃないーーーーーー!!!!!)


 初戦にて、ガーゴイルの大群が押し寄せてきた際もかなり危ない状況だったベニー。

 だからこそ、ダラムシュバラでセルゲイの元で魔術を一から学んだ。

 自分が生き残るためと、いざという時にドロシアを守るための底力が必要だった。


「だーーーーーーーーっ!」


 弱気な自分を振り払うように、ベニーは気合を入れて叫んだ。


 それが合図となり、至近距離にいるセルゲイと連携してマンティコアに向かって魔術を発動させた。


「ベニー! まずは炎の術式から行くぞ!」

「はいっ!」

『炎の精霊よ、今一瞬の全ての炎をその手に委ねる……サラマンダー!』


 二人が同時に詠唱を唱えると、小さな赤いトカゲのような姿をした炎の精霊サラマンダーが現れた。


 サラマンダーは、その小さな体とは裏腹に巨大な炎の竜巻をまとい、マンティコアの群れに突っ込んでいった。


 機敏に動くマンティコアも避けきれない炎の竜巻は、あっという間にそれらを飲み込み、その熱で溶かしていった。


「よしっ! この調子でどんどん行くぞ!」

「はいっ!」


 ベニーとセルゲイは息のあったコンビネーションで、次々とマンティコアを仕留めていく。




 次から次へと次元のひずみから現れるマンティコアに、ダラムシュバラの魔術師団もかなりの苦戦を強いられていた。


「ドロシアッ! 大丈夫か?」


 ドロシアの元に再び合流したアンブローズが言った。

 近くにはビトールがきちんと控えていた。


 二人は華麗な手さばきで、攻撃の手を緩めることなく会話していた。


「ええ大丈夫ですわ! でも、このままひずみから送り込まれ続けたら厳しいわね! この前みたくひずみごと消し去ってしまえばいいんじゃなくて?」


「それは難しい。 前回のガーゴイルのように個々ではさほど強くない魔物ならエネルギーを集めてひずみにぶつけられたが、マンティコアレベルではそんな余裕がない」


「では……ひずみが消せないのなら、全てを倒すしかなさそうね!」


 そう言ってドロシアが見据えた先には、巨大なマンティコアより更に数メートル大きなマンティコアがこちらへ向かってやって来るのが確認出来た。


 もう数え切れないくらいのマンティコアを倒したが、それがマンティコアの親玉だと言うことはすぐに分かった。


 ドロシアは、後方にいるダラムシュバラの女王であるアンネリーゼ・クラリス・ボルテールに向かって言った。


「女王陛下! なるべく私から離れないで下さいませ!」


 ドロシアがそう言うと女王は頷き、同じくアンブローズの側に控えていたビトールや側近たちと身を寄せ合った。



(大きい!)


 ドロシアは思った。


 目の前にすると、五メートル程ありそうな巨体。その体は、他の個体と比較しても桁違いに筋骨隆々としているのが分かる。


【我が名はマスティム! 無駄な抵抗はやめるんだな! この世界は俺たちのものになるんだ!】


 獅子のような体とは裏腹に、人のような頭部を持つマンティコアは、咆哮のような叫声のような耳障りな声で言った。


「世界の秩序をそう簡単に変えられると思わないことね!」


 ドロシアは脇腹にエネルギーを集めると、マンティコアの親玉マスティムに向かっていかずち魔法を放った。


 マスティムは、スパークしながら向かってきた雷魔法を両肘で受け止めると、力技でそれを跳ね返した。

 両肘は黒く焦げ付いていたが、大したダメージではないと言わんばかりに獣のように吠えると、ドロシアに向かってきた。


 ドロシアは瞬間的に防御魔法で自身を守ると、そのままマスティムの太い鉤爪で攻撃され、激しく突き飛ばされた。


「ドロシアッ!!!」


 近くにいるアンブローズが、すぐに駆け寄る。


「大丈夫よ…何とか防御魔法が間に合ったけど、とてつもないパワーね」


 ドロシアは、アンブローズに助かられながら身を起こし全身についた砂埃を払った。






 敵はどんどん強くなり、容赦なく襲ってくる。

 けれど、今更もう後にも引けない。


 食うか食われるかの全面戦争の中心に自分がいる。


 逃げるなら、とっくに逃げている。

 トロールでいることを選択をしたのも、また自分自身なんだとドロシアは思った。



「上等じゃないの! かかって来なさいよー!」


 ドロシアは右手を空にかざした。


 初めは地面を小さな風が踊り、木の葉や砂を浮かせると、グルグルとあっという間に大きくなり巨大な竜巻へと変わった。


 竜巻は一直線にマスティムへ向かい、その巨体を持ち上げた。

 空中で逃れようともがくマスティムを、竜巻は旋回し続け容赦なくその体力を奪い攻撃していく。


「ぐぉーーーーーーー!!」


 マスティムの周りから竜巻が消えると、そのまま上空から激しく落下した。


 ドロシアはすぐに次の攻撃の準備へと取り掛かる。

 怒り心頭なマスティムは、血眼になって突進してきた。



 すると突然地面が隆起し、マスティムを鋭い岩肌が突き刺した。


「ガーーーーーーーーーッ!」


 断末魔の叫び声が辺りに響くと、天高く突き上げられた鋭い岩肌がマスティムを見事に串刺しにしていた。






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