20. 兄弟
メイフォースとのダンスを踊り終えると、魔法が解けたかのようにドロシアは元のトロールの姿に戻っていた。
目の錯覚だろうかと不思議なものを見るような人々をよそに、二人の元にルイスがやって来た。
取り囲んでいた令嬢たちが遠巻きに見ている。
「兄上もこちらに来ていたんですね!」
「あぁ、召集がかかってすぐにね。 公務は宰相に任せて来たよ」
ルイスは良く知る宰相の泣き顔を思い浮かべた。
「後でまた状況を確認させてくれ」
「はい」
兄弟が隣り合う姿に、令嬢たちはうっとりしていた。
「メイフォース様、お久しぶりですなっ!」
突然声を掛けてきたのは、樺色の鮮やかな髪をした体格のいい男性だった。
「これはこれは、ウルガー殿下! この度はいろいろとうちの者がご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそ。 魔物の群れから民を守って下さり大変感謝しております」
メイフォースは、ドロシアとルイスに人物の紹介をした。
「こちらはウルガー殿下、ダラムシュバラ女王の王配だよ」
それを聞いてピンときた二人は慌てて挨拶をした。
「ちょうど行き違いになったようだから、会えて嬉しいよ。 アンネリーゼとセルゲイは席を外せないので、私と娘のシャーロットでやって来たんだ」
そう言うと、ウルガー殿下の後ろにはまだあどけなさの残る小柄な少女が立っていた。
(彼女が時期女王のシャーロット様……)
髪色は、父親であるウルガーによく似ていたが、瞳の色や全体の雰囲気はアンネリーゼ女王を彷彿とさせるものがあった。
シャーロットは恥ずかしそうにスカートの端を軽く持ち上げて挨拶をした。
ウルガー殿下を筆頭に、各国の要人たちと次から次へ挨拶をするメイフォースを尻目に、ドロシアはそっと会場の外へと抜け出した。
久しぶりの堅苦しい場に流石に疲労感を覚えたドロシアは、はしたないと思いながらも靴を脱ぎ、裸足でテラスの冷たい床の感触を踏みしめていた。
近くにあった噴水のフチに腰を下ろすと、フゥと一息ついて空を見上げた。
アルバレス帝国の領土はかなりの大きさだが、首都近郊の気候は年間を通して過ごしやすい気候の国だった。
たまに猛烈なスコールが降るらしいが、それも恵みだとマーサが言っているのを思い出した。
ゆえに、大地から受ける恩恵も大きく巨大な国となったのだと。
ドロシアはエレナに言われた、心無い一言をふいに思い出していた。
『だから……天罰だと思うの』
「天罰かぁ……」
「何がだ?」
突然近くから声が降ってきて、ドロシアの心臓は飛び跳ねた。
「何が天罰なんだ?」
少し不機嫌そうな……元々あまり変わらない表情が歪んで見えた。
「ルッ!……ルイスッ!」
居るはずのない相手が突然近くにいるだけでも驚いているのに、少し顔を歪めて聞かれた質問にドロシアはさらに戸惑っていた。
「いや……その……。 さっきエレナにそう言われて……私がトロールになったことも、世界の均衡が崩れたことも全て天罰なのかなって…」
別にルイスに話さなくても良かったのだが、聞かれてしまったからには誤魔化すよりも正直に話した方がいいとドロシアは思った。
「…………」
ルイスはただ押し黙っていた。
「あの……ルイス?」
「天罰なんて、ドロシアが受けるはずがないだろ! だったら、エレナや他の令嬢の方がよほど天罰を受けるべきだろ!」
(ん?)
ドロシアはいつもと違う様子のルイスを見て、冷静に思った。
「あの…もしかしてルイス……怒ってる?」
ドロシアが恐る恐る尋ねると、「当たり前だろ!」と返ってきた。
「もしドロシアじゃなければ、こんな状況に耐えられなくてとっくに終わってる! 天罰どころか、天の加護付きだよ」
(あぁ……何でこんなに嬉しいことを言ってくれるんだろう)
ドロシアは嬉しさを隠すために、俯いた。
(やっぱり……好きだなぁ…。 ルイスも私のことを、一人の女性として好きになってくれたらいいのに…………って、もう振られてたんだっけ)
城の中から聴こえてきたラストダンスの曲に耳を傾けていると、目の前に差し出された手に思わずルイスの顔を確認する。
「俺と踊ってもらえませんか?」
ドロシアはトロールになる以前も、ルイスとダンスを踊ったことはない。
いつも互いに複数の相手に取り囲まれているのを、遠目から見ていただけだった。
ドロシアは、脱いでいた靴を履きゆっくりとルイスの手を取った。
会場に入る前のエスコートもドキドキしたけど、ダンスともなるとさらに密着する。
ドロシアはかつてない程緊張しながら、ダンスを踊った。
自分がトロールになっていなければ、ルイスとダンスを踊る機会なんてなかったかもしれない。
周りの子息令嬢たちからすれば、外で会っても話もしない二人が、幼なじみで仲が良かったことなど知りもしないだろう。
むしろ公共の場においては、メイフォースといることの多かったドロシアは、次期王妃候補との呼び声高かった。
この瞬間がいつまでも続けばいいのにと思うくらい、ドロシアは緊張しつつも満たされる思いを感じていた。
想い人とダンスを踊るという夢のような一時を過ごせたことで、願いが一つ成就したような気がしたのだった。
夜会も終わった深い夜、ルイスはメイフォースの元を訪れていた。
「――で、グレゴワールは捕らわれたまま戻らず……か」
「はい……何か帝国との間に因縁のようなものがあるようだったが……詳しくは分からない」
「そうか……。 クレイグ様に何かお考えがあるのだろう」
月明かりのみの薄暗い部屋で、2つの影が動く。
「ベニーとアンブローズはダラムシュバラに残っているんだね?」
「はい。 ベニーはセルゲイ様の元で魔術指南を受けていて、アンブローズは魔物襲来を予知するための次元装置の開発に専念している」
「……そうか」
メイフォースが短い吐息を吐いた。
「ルイス……もしこのままドリーの姿が元に戻らなければ、私はドリーを伴侶として迎えようと思っている」
ルイスの体がピクリと動いた。
それを見逃さなかったメイフォースが、距離を詰めてルイスに問い質した。
「……それでもいいんだね?」
メイフォースの質問の意図を理解出来ないルイスは、目の前にある兄の顔を見た。
「どういう意味……で?」
「私は君たちが子供の頃から二人を外側から見ていたからね……見たくもないものまで見えてしまうんだよ」
「?」
「私に遠慮しているとしたら、筋違いだ」
そう言うと、徐ろに自身のシャツのボタンを外し始めた。
「!!!!」
ボタンを外したメイフォースは、露わになった自身の肩口の傷をそっと指でなぞった。
「この傷の件でお前が私に遠慮なんてしていたら、絶対に許さない」
メイフォースは目を見開き、青い炎が全身を覆うように静かに激しく怒っていた。
メイフォースとルイスの祖父であるザイオン・ロバート・フェリックスが君主だった時代、王位継承を巡った争いが起きたことは記憶に新しい。
当時の第一王子オグデンは、素行に問題があり、正妻や愛妾共に子に恵まれなかったことが端を発した。
一方で第二王子であったメイフォースとルイスの父であるメルヴィンは、体があまり強くないという問題を抱えていたが良家の娘と結婚し、二人の息子にも恵まれていた。
『オグデン様は第一王子ですが、素行に問題がおありかと!』
『やはり王位継承は直系が継ぐのが望ましい!』
『オグデン様にお子がいない以上、メルヴィン様に王統を移すべきです』
権力者の貴族の間では、第一王子派と第二王子派での小競り合いも起き、王位継承を巡った議会は荒れに荒れていた。
最終的には王の鑑識眼によって、第二王子であるメルヴィンが次期王になることが決定したのだった。
しかしオグデンはそれに納得しなかった。
自身に子どもが出来ないことを呪い、実弟のメルヴィンを妬んだ。
そしてその理不尽な怒りの捌け口は、まだ幼かった二人の息子へと向けられたのだ。
【お前たちさえいなければっ!】
オグデンは、甥であるメイフォースとルイスを殺そうとしたのだ。
興奮して正気を失っているオグデンは、血眼になって短剣を振り回した。
恐怖心から固まり動くことも出来ないルイスを、メイフォースは必死で守った。
「大丈夫だよ、ルイス! お前のことは私が守るから」
大の大人、しかも半狂乱になっている身内を相手に、事件当時十二歳だったメイフォースは怯まなかった。
大振りで襲いかかるオグデンを素早い動きで
「兄上っっ!!!」
しかし、オグデンの振り下ろした一刀がメイフォースの肩口を切った。
「くっ!!」
ちょうどそのタイミングで、騒ぎを聞きつけた近衛兵たちが駆け付けたため、メイフォースは全身にかなりの傷を負い肩口から出血していたが、素早い処置により命に別状はなかった。
大人相手にここまで立ち回ることが出来たのは、メイフォースの才覚が常人離れしていたことを意味していた。
十歳だったルイスは、兄が自分を守ろうとする姿をただ泣きながら震えて見ていることしか出来なかった。
オグデンは殺害未遂の容疑で禁錮刑に処され、父メルヴィンは即位前に病でこの世を去った。
当時すでにかなりの高齢であったザイオンは、王位を齢十五歳だったメイフォースに委ね崩御した。
あの忌まわしい事件が、一方で最も王に相応しい風格を持つ者が誰なのかを示すことになったのだ。
メイフォースがあの時必死で弟を守ろうとしなければ、間違いなくルイスはこの世にいない。
メイフォースが凡人であったなら、それでもやはりルイスはこの世にはいなかっただろう。
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