19. 夜会

「ドロシア様! もう少しです!」

「ほどほどでいいわよー!」

「いけませんっ! はいっ息を吸って!」

「ギョエー!」


 ドロシアは夜会に参加するべく、久しぶりにコルセットを締め、髪をきちんと結い上げていた。


(この顔で飾り立てることに意味は感じないけど…かと言って普段着で参加するのも失礼よね)


 人間離れした顔を今さら仮面などで隠すことも気が進まなかったドロシアは、そのままの姿で参加することにした。


「やっぱりドレスは窮屈で苦手だわ。 すっかり楽な服に慣れてしまって」


 ドロシアがそう言うと、アルバレス帝国でドロシア付きのメイドとなったマーサが言った。


「ドロシア様の深紅の髪に映える濃藍こいあいのドレスがよくお似合いですよ」


「ウフフ、ありがとうマーサ」


 五十代に差し掛かる年齢のマーサは、五人の子を育てた母親だった。

 ふくよかな体型からは、包み込むような母性が滲み出ている。


「年頃でお顔をこのように変えられてしまったことはお可哀そうに思います。 ですが! だからと言ってドロシア様が醜いなんていったい誰が言っているんでしょう?」


 まるで自分の子どものことのように憤慨してくれるマーサに、ドロシアはとても救われていた。


「お父様もお母様もこの顔になった娘を受け止められなかったのよ。 醜いという事実は変えられないわ」


「人間なんて時が経てば誰しもが老いていくものですし、見た目の美しさが全てではありません。 内面の醜い人間が世の中にどれ程多いか……」


 話を途中にハッとしたマーサは、出過ぎたことを申しましたと苦笑しながら言った。


 そんなマーサにドロシアは、首を横に振り瞳を細めた。




 正装をしたドロシアが部屋から出ると、同じく正装をしたルイスがドロシアをエスコートするために待っていた。


「!!!!」


 普段騎士の制服でいることが多いルイスが、キラッキラの正装姿で目の前にいる。


 そして正装したドロシアの姿を見て、心なしか熱を帯びた視線でルイスが言った。


「うん、綺麗だ」


(はっ!?)


 ドロシアは、トロールで変な顔色の自分でも真っ赤になっている自覚があるくらい、顔面の火照りを感じた。


「なっなっなっ……そんなわけ…」


 アワアワと何を言っているか自分でもよく分からない。


(ルイスが私にそんなことを言ってくれたことなんて、記憶にある限り一度もない!)


 思えばルイスから、綺麗とか美しいとか他の男が腐る程言う台詞を聞いたことがなかった。


 狼狽仕切りのドロシアに、さらにルイスはゆっくりと手を差し出して軽く頭を下げた。


「お手を…」


 ドロシアはルイスが差し出した手をそっと取り、心臓の鼓動が聞こえるんじゃないかと思いながら、ただただ会場を進んだ。



 途中ルイスに向けられる熱い視線を感じながらも、自分に向けられる好奇の視線は全く気にならない程、触れている手の感触に意識が飛んでいた。






 夜会にはアルバレス帝国から招集がかかった、各国の王族貴族たちが一同に集結していた。


 滅多にない大きな夜会を目当てに、年頃の子息令嬢を売り込もうとする家も少なくなかった。



 ベルの音が鳴り、正装をしたクレイグ皇帝が夜会の挨拶を始めた。


『魔族たちがいつ襲ってくるか分からない状況が続いている。 これまで襲われた街や村は数知れず、そのために各国力を合わせ平和を取り戻す必要がある』


 不思議と、かなりの人がいる場内においても皇帝の声は恐ろしくよく通った。


『緊迫した状況ではあるが、せっかく我が国に各国から首脳を招集したので、今宵は決起会という形で各々楽しい夜を過ごして欲しい』



 夜会が始まると、ルイスはあっという間に殺気立った女性陣たちに囲まれ、ドロシアは自然と距離を取るように離れていた。



 ふと、至近距離から声を掛けられる。



「あらー? 本当にそんな醜い姿になっちゃったんだー? 」


 唐突に醜いといい放つその姿を、ドロシアはゆっくりと振り向き確認した。



 鳶色とびいろの髪に茶色の瞳、その姿は記憶の中の人物とは中々一致しない。


 派手な薔薇色のドレスとごってごてに巻かれた髪は、流行りや洗練されたイメージとは程遠い。


「せっかくの自慢の美貌が、こんな化け物になって……ドロシア可哀想ね」


「エレ……ナ…?」


「久しぶりね、ドロシア」


 そこにいたのは幼い頃に初めて出来た同性の友達、エレナ・マッケイン・コリングウッドその人だった。





 元々母親同士が学友であったため、母親たちが会うついでに同じ年頃の娘二人も遊ばせていたという。


 宝石商で男爵の爵位を得たエレナの父親は、仕事の都合でアルバレス帝国へ引っ越したという噂を母親経由で聞いたことがあった。


 まさかこんな場で会うとは、思ってもみなかった。


 取り巻きの令嬢を引き連れて、婚活に来たのだということは想像だにかたくない。



「ここ帝国でも、あなたの噂はよく耳にしてよ?」


 ねぇ?と話を合わせるように、取り巻きの令嬢と目線を合わせた。


「あなたに婚約者をとられたとか、恋人をとられたとか……それで悲しい思いをした女性の話を特によく聞きましたわ」


 ドロシアは、またかと思いながらも反論することなく話を聞いていた。






 エレナの件もありより慎重になったせいもあるが、謂れのない僻みやっかみや噂のせいで、ドロシアには心を許せる同性の友だちがいなかった。


 もちろん、婚約者のいる男性と想いを通わせたこともなければ、恋人のいる男性を奪い取ったこともない。



 記憶にあるのは、ただ一方的に迷惑で狂気じみた愛情を押し付けられたことだけ。

 もはや同性受けが悪い以前に、人間不信に陥る領域だった。



「だから、天罰だと思うのよ……クスクスクス」


 トロールになった自分の姿を嘲笑い、天罰だと言い切るエレナたちに、ドロシアは魔物以上の嫌悪感を抱いていた。


 いったい自分が彼女たちに何をしたのか。


 とことん人生ハードモードだと溜息をついたその時――――。



「やぁドリー! 今日も世界一美しいよ」


 その声と同時に、黄色い悲鳴が近くから降り注いだ。


 キャーッ♡♡



 ゆっくりと自分へ近づくその人物が誰なのか、すぐに分かった。

 ドロシアのことをドリーと呼ぶのは、両親とその人くらいだったから。



 金糸雀かなりあ色のさらさらの髪に、青い瞳、通りすがる人がその姿に魅入るようなオーラの持ち主であり、ドロシアの天敵。


「メイフォース……様?」



 ドロシアに名前を呼ばれたメイフォースは、満足気にその瞳を細めると、ドロシアの頬に手のひらを当てて言った。


「有事なんでね、私もこちらへ来たよ」


 そう言いながら、その手はドロシアの頬から髪へとゆっくりと流れ落ちた。



 その光景を傍目で見ていたエレナと令嬢は、口をぽっかりと開けてただただ固まっていた。


 しかし我に返ったエレナが、何を思ったのかメイフォースに向かって鼻息荒く距離を詰めた。


「メ…メイフォース様! 私エレナ・マッケイン・コリングウッドと申します」



 挨拶をしたエレナを、メイフォースは氷点下まで下がった視線で見下ろした。


「君に挨拶を許した覚えはないよ」


「えっ?」


 エレナには、なぜ醜いドロシアとメイフォースが対等に話せていて、自分が受け入れられないのか理解できない。


 エレナは追いつかない頭で、更に失礼な行動を重ねた。

 これ以上大きな獲物はない、逃してはなるものかと彼女の本能が平常心を失わせたのかもしれない。


「メイフォース様! 私とダンスを踊ってくださいませ!」


 メイフォースは大きな溜息を吐き、ドロシアを見た。


「目に見える美しさが全てだと思っている君には、ドロシアの本当の美しさは永遠に分からないだろうね」


「えっ?」


 あ然とするエレナに、メイフォースは続けた。


「君は自分とドロシアだったら、自分の方が美しい自信があったから私に近づいたんだろう?」


「……確かに以前のドロシアはとても美しかったと思いますわ……でも今の姿はどう見ても……」


 エレナが口の端を上げてドロシアを見た。


「私は姿形がどんなに美しくても、棘しかない毒花は嫌だなぁ……」


 そう言いながら、ゆっくりとメイフォースはエレナを見た。



「エレナと言ったかな? いいかい? よく覚えておきなさい。 現在も昔も……私にとってドリーより美しい女性はこの世にいない」


 冷たく言い放ち、メイフォースはドロシアの目の前に立った。


「ドロシア、私と踊ってもらえないかな?」


(この流れで断れるわけがないじゃない……)


 ドロシアは、メイフォースの言葉をいつもの軽口だと受け長そうとしたが、鼓動の速さを落ち着かすことが出来ずにいた。


 ダンス中それを悟られまいと隠すのに必死で、周りからの視線などどうでも良くなっていた。



「いいんですの? フェリックスの王子は悪趣味だと噂が回るかもしれませんよ」


「言わせておけばいいよ。 きっと誰一人としてそんなことを言う輩はいないだろうから」


 メイフォースはなぜかそう蕩けるような笑顔で言い切った。



 ドロシアは、見た目こそ人間離れしていたが、その洗練された所作は令嬢として完璧だった。


 今ホールで注目を浴びているのも、決して美男と化物が踊っていたからではない。


 顔がトロールでも人が釘付けになるほど、美しかったからだった。


 そして不思議なことに、その場にいた全員が何度も目を擦るようなことが起きていた。


 トロールであるはずのドロシアが、なぜか元の絶世の美女の姿にしか見えなかったからだ――――。

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