18. アルバレス帝国

「これが転移の許可証です」


アンネリーゼ女王がドロシアに渡したのは、いくつもの押印がされた格式高い紙片だった。



ドロシアたちには悠長にしている時間はなく、アルバレス帝国までの移動時間を出来る限り短縮させる必要があった。


この世界の転移魔法もしくは転移魔術は、使用するに差し当たって複数の機関を通して許可をもらう必要があった。

これは、転移を誰しもが自由に使うことで起こり得る犯罪や弊害を防ぐためだ。


なので転移魔法は、主に要人たちが急ぎで国家間を移動するために使われていた。





権威のある許可証を得たドロシアたちは、案内役を兼ねたアンネリーゼ女王と共にダラムシュバラ王城の見張り塔の一角へとやって来た。


「重厚な扉ですわね」


「許可証を扉にかざしてみなさい」


アンネリーゼ女王の言う通り許可証を扉へかざすと、扉の一部が生き物のようにスキャンされ光った。


ドゴンッと重い音が響くと扉が開き、中には魔法陣の描かれた空間が広がっていた。


「さぁ、急いでこちらへ」


アンネリーゼ女王に円陣の中央へ行くように指示され、三人は魔法陣の中央へ立った。


「ここから許可が下りている国まで瞬時に転移することが可能です。 それでは参ります! アルバレス帝国へ!」


女王の声に白色の光柱が魔法陣から飛び出ると、そこに立っていたドロシアたちの姿はあっという間に見えなくなった。



見送ったアンネリーゼが無人の魔法陣を見て呟いた。


「神のご加護がありますように……」











陸路、海路を使って通常であれば二ヶ月近くかかるアルバレス帝国に、ドロシアたちはほんの一瞬で到着していた。


光柱が消えると、そこには出発した時と同様の魔法陣があり、数人の立会人に囲まれていた。


「ようこそ、アルバレス帝国へ」


見事なほどに頭髪がツルツルと光っている高齢男性が先頭に立って挨拶をした。


「私はアルバレス帝国宰相、バルトロメーオ・ペンノです。 さぁ、クレイグ様がお待ちです」


そう挨拶をした宰相について行くと、豪華絢爛なだだっ広い廊下を抜け、皇帝の玉座へとやって来た。




第十九代皇帝、クレイグ・グラント・アルバレスは長身の三十代後半の若き君主だ。

鶸色ひわいろの髪に紫苑色しおんいろの瞳がどこか冷たげな印象だった。



ルイスが事の詳細を話すと、皇帝は

「話は分かった」

と言い、その冷ややかな視線をグレゴワールへと向けた。


「お前が魔王グレゴワールか……」


グレゴワールは近衛兵たち数名に囲まれ、厳重にその動向を監視されていた。


「自分は悠長にも長い眠りにつき、その間の出来事は知らない間抜けな魔王よ」


含みのあるクレイグの言葉に、グレゴワールは鋭い視線で玉座を睨んだ。


ドロシアとルイスは、困惑しながら互いに目を見合わせた。


「シェスティン・ケイト・アルバレスは私の伯母だ」


その名前にグレゴワールの瞳が見開いた。


「貴様は伯母であるシェスティン皇女をたぶらかした不敬罪により、その身柄を拘束する!」



そう言うや否や、近衛兵たちによってグレゴワールは連行されていった。


「クレイグ様……」


ドロシアが事の詳細を掴めずおずおずと声をかけると、クレイグは少しその厳しい表情を緩めて言った。


「今回のこの人間と魔族を巻き込んだ戦いの一端には、我が帝国も根深く絡んでいる……。 魔王の身柄は預かるが、奴に今死んでもらっては困るからな……悪いようにはしないよ」


「承知いたしました」


ドロシアが言うと、まじまじとその顔をクレイグ皇帝に見られた。


「なるほどトロールの姿をしたプリンセスよ……恐ろしいはずなのにそう感じさせない不思議な魅力がある」


「はい?」


ドロシアは思わず心の声が漏れ出るが、平静を装った。


「周辺国の王族たちを呼び集めて、明後日みょうごにちに緊急会談をする手筈だが……滅多にない規模なので夜会も盛大に行おうと思っている。 そなたたちも是非参加しなさい」


「ありがとうございます」


謁見が終わると、ドロシアとルイスはしばらく王宮に滞在させてもらうこととなった。












グレゴワールは、クレイグに言われた言葉がどうにも引っ掛かって仕方なかった。


【自分は悠長にも長い眠りにつき、その間の出来事は知らない間抜けな魔王よ】


近衛兵に連行され隔離されたのは、鍵付きで魔法がかけられており扉の前には見張りがいるものの、鉄格子の汚い牢獄ではなく広くも狭くもない一室だった。


グレゴワールは、不敬罪と言われた自らの処遇に牢獄の方がかえって良かったと思う程、何とも言えない居心地の悪さを感じていた。


手枷足枷てかせあしかせをするでもない……かえって不気味だな」


光芒こうぼうも消え失せ、魔王たらしめるものが一切なくなった我はもはや何者でもない)


抵抗する気力もうになくなり、グレゴワールはここに来てシェスティンの存在を強く感じていた。





(あの日、シェスティンを人間の世界に帰したことを悔やんでいないと言えば嘘になる。 魔王と人間の時の流れが違っても、例え託宣たくせんの下りた相手ではなくても―――)


「行くな……俺の側にいてくれと言ったらお前はどうしていた?」


グレゴワールは返事のない部屋で、ポツリ虚しく呟いた。


そんな自らの考えがどこか人間のようで、魔王っぽくなくて、とても不気味に感じた。



目覚めてすぐに託宣たくせんが下りた時は、まさかこんなことになるなんて、グレゴワールは思ってもみなかったのだ。




目の覚めるような深紅の美しい髪に、吸い込まれるような翡翠のような瞳。


人間ではない視点で見ても、美しい女だとグレゴワールは思った。


今までで見た人間の中で、最も見目麗しい女だと思った。


目の前にいるこの美しい女が託宣たくせんの相手ならば、契ることは容易だと思っていたのだ。





【グレゴワール様、愛しています】





シェスティンの言葉が頭を過ぎるまでは。


柔らかな黄色の髪に、潤んだ紫の瞳。


その睫毛一本一本も愛しいと思える程、自分は一人の人間を深く愛していたんだとこの瞬間自覚した。


自覚してしまったら最後、先程までの容易く契れるという考えは吹き飛び、

自らの運命に抗うように、グレゴワールはドロシアに呪いをかけた。



醜くなった女は、すぐに元の姿に戻してくれと泣いてやって来ると思っていた。


お互いの利害関係が一致して、人間なんて所詮そんなものだと思えれば良かったのだ。


女は元の美しい姿に戻るため、魔王は自らの力を維持するため。


そのための『契約』をするだけなんだ――――いつかの自分のように。



そうすることで「本当に愛しているのはお前だけだ」なんて人間くさい逃げ道を作りたかっただけなのかもしれない。



そう、ドロシアがそんな女なら良かったのだ。



「人間の女は……理解出来ん」


結局複雑な事象は益々複雑さを増し、もはや自分の手に負えるものではなくなってしまった。



光芒が消えた手前、いつ自分が魔王としての生涯を終えるかも分からない。


シェスティンの生まれ育った場所でそうなるのも悪くはないかもと思っていたその時――。

突然扉が開き近衛兵を数人引き連れた老人が、今にも倒れそうなその体を支えられながらやって来た。


深い皺の刻まれた顔は、その表情をより険しく見せていた。


「お前が……魔王か……」


掠れてしわがれた声は、聞き取りにくい。


「私の名はジョセフ・ラードナー・アルバレス。 クレイグの父であり、シェスティンの弟だ」


「!!」


グレゴワールはシェスティンの弟と名乗る年老いた男を目前に、ただ佇むことしか出来なかった。


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