第三章

17. 次元の歪の装置

 グレゴワールのいる人間界へやって来たのは、配下であるドラゴネッティだった。


 ドラゴネッティは、朝焼け色の長い髪に金色こんじきの瞳の美丈夫で、片手には何かを握りしめている。

 魔族であるその気配を出来る限り抑え、自らの主の元へと急いでいた。



「グレゴワール様」


 普段人間とは必要最低限の距離を取っていたグレゴワールは、人目に付かない王城の屋根の上で休んでいた。


「手に入ったか?」

「はい」


 ドラゴネッティは空中からグレゴワールのほど近くに降り立った。


「ウアピゴッツの髭です」


 ドラゴネッティは、握っていた光る髭をグレゴワールへ渡した。


「これが電気系の妖魚、ウアピゴッツの髭か」

「はい。 大気にあるエネルギーの乱れを敏感に察知し光ります」


「助かった」


 グレゴワールが言うと、ドラゴネッティは恭順の意を示し再び姿を消した。






                     





「あぁぁぁっ」



 どよめく声が聞こえてきたのは、次元のひずみを特定する装置作りのためにアンブローズが要請した研究所の一室からだった。


「ちょ……ちょっとお待ちを! 正確な数値を測ってからでないと大変なことになります!」


 待てのポーズをした数人の研究員が、青い顔をしてアンブローズの手元を凝視していた。


「……?」


 アンブローズはいぶかしげな顔をして、研究員たちを無視して手元の装置に何やら注ごうとしている。


「あぁぁぁっ」


 特定の周波数に共鳴するよう抽出したエナジーの塊は、次元の歪を特定するための受信に必要な要素だった。


 しかし……その注ぐエナジー量が問題で、多すぎても少なすぎても装置がその負荷に耐えられない。


 研究員たちは、アンブローズが手元を傾ける度に「あぁっ!!」と言う叫声を上げていると、ついにアンブローズはその面をゆっくりと上げた。


「うるさい」


 珍しく怒気をはらんだ見たことのない完璧な笑顔で研究員たちをさらなる恐怖へと突き落とすと、顔面蒼白の研究員たちに言った。


「出来るか試して見ない限り、失敗も成功もないだろう?」


「それはそうですが……もし失敗したらこの場にいる全員ただでは済みません」


 研究員の長である、ビトール・マナスが必死の形相で言った。

 それに対してアンブローズは真顔で「大丈夫だ」と言い放った。


 その場にいた全員が不安でいっぱいの中、まるでスローモーションのようにアンブローズが装置にエナジーを注いでいくのを見ていた。




「あ……すまない」


 アンブローズは真顔でそれが失敗したことを告げると、研究員たちは白目をむきながら死を覚悟したのだった。



 クルクルと装置の盤が回転し始めると、けたたましい音と共に暴走したエナジーがあっという間に爆発した。


 閃光と共にボッカーンという大爆音が響き、研究室の壁という壁を木っ端微塵に破壊した。






 ビトール・マナスがゆっくりと瞳を開けると白い光だけの空間が広がっていて、あの世に来たんだと落胆した。

 まだ新婚の妻がいたのに、別れの挨拶も出来なかった。

 それより、大爆発で自分の身体はきちんと残っているだろうかと考えを巡らせていると、すぐ近くから悪魔の声が聞こえた。



「うむ……いけると思ったんだが」


 恐る恐る振り返ると、そこにはフェリックス国からやって来たSクラスの魔法使い……この一件の当事者であるアンブローズ・ザーンキルトンの姿があった。

 爆発する寸前、アンブローズが防御魔法をかけた為全員無事だったのだ。


 ビトールは自分の手や顔、体がきちんとあることを確認しひとまず安堵した。

 脳裏には愛する妻の可愛い笑顔が浮かぶ。



 何から何まで規格外のこの少年(?)に一同恐怖心を抱いたが、国を挙げての一大プロジェクトを任せられている身としては引き下がるわけにもいかない。


「今度こそ成功する」


 そう言ったアンブローズに、一同涙を飲んで「はい……」と答えたのだった。








 研究室は一度目で大方吹き飛び、焼け焦げた跡の残る部屋で引き続き実験は行われていた。

 しかし新婚の妻が家で待つビトール・マナスを初め、研究所の所員たちはすでに度重なる疲労も限界を迎え帰宅の途に着いていた。


 アンブローズは、あと一歩というところで完成に至らない次元の歪を特定するための装置作りに行き詰っていた。


「……何が問題なんだ」


 誰もいない部屋でポツリ呟くと、思ってもいない人物から声が返ってきた。


「エナジーを抽出しただけではダメだと思うぞ」


 驚き顔を上げると、闇に溶け込む出で立ちの魔王グレゴワールが立っていた。

 グレゴワールは無造作に持っていた光る髭を差し出すと、アンブローズは怪訝な顔をして言った。


「何だこれは?」

「妖魚ウアピゴッツの髭だ。 ウアピゴッツは大気中のエネルギーを敏感に察知し光る」


 アンブローズははっと何かに気付き、その髭を凝視した。


「人間側に付くと言ったり、この髭もそうだが……いったいどういう風の吹き回しだ?」


 壊れて吹きさらしの壁から入ってきた風が、二人の長い髪を宙にさらった。


「魔王の良心とでも言っておこうか」


 そう言うと、壊れた壁から外へと飛び立ちグレゴワールは再び闇に溶けた。



「…魔王の良心……」


 アンブローズは光る髭を握りしめ、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。





                     




 アンブローズが次元の歪を特定する装置を作っている頃、ダラムシュバラの使者はアルバレス帝国に出向き書状を受け取り帰国していた。


 アンネリーゼ女王がすぐさまそれを確認すると、少し考えた様子で顔を上げた。


「母上、アルバレス帝国は何と?」


「アルバレス帝国、現皇帝クレイグ様は反乱軍討伐の為のお力添えをして下さるとのこと。 ただし…一点条件がありました」


 魔術師団の長でありアンネリーゼの息子であるセルゲイが訊ねると、女王は壁にもたれる魔王グレゴワールを一瞥し言った。



「魔王グレゴワールの引き渡しが絶対条件です」


 女王の言葉にグレゴワールはそれほど驚いた様子もなく、壁にもたれかかっていた。


「あなた、何かしましたの?」


 ドロシアがグレゴワールに問いかけると、グレゴワールはそれを鼻で笑った。


「したといえばしたな」


「これ以上事をややこしくしないでちょうだい」


 ドロシアの言葉に、ルイスが口を挟む。


「存在そのものがややこしいんだから無理だろう」



 犬猿の仲とはこのことかとドロシアは思った。

 普段は冷静なルイスだが、なぜかグレゴワールには突っかかった。

 そしてまたグレゴワールも、さらに煽るような態度を取るからたちが悪い。


「現況からしてもアルバレス帝国の戦力は必須条件となるでしょう。 帝国傘下の国全てが討伐に加われば、私たちにも勝機が見えてきます。 魔王……貴方をアルバレス帝国へ引き渡します」


 アンネリーゼ女王がそうハッキリ言うと、グレゴワールがドロシアの背後から腕を回して言った。


「いいだろう。 その代わりドロシアも連れて行く」

「はぁっ? 何でよ!」

「貴様っ!」


「光芒が消えたとて、ドロシアが託宣たくせんの相手なのは変わらない。 今回の件、ドロシアが全くの無関係というわけではないだろう」


「……それはそうですけど」


 バックハグの体勢を必死で振りほどきながら、ドロシアは帝国へ出向くことを断る理由もないと思った。


「分かりました」


 ドロシアがアンネリーゼ女王に向かって言うと、ルイスもそれに続いた。


「俺も護衛に付きます」

「チッ」


 思いっきり舌打ちをするグレゴワールをルイスは睨んだ。


「僕は装置を完成させるまでは動けないから、ここに残る」


 アンブローズが言うと、ベニーも前に出てきて言った。


「ドロシア様に付いていきたいのは山々なんですが、セルゲイ様に魔術指導をお願いしてるんです。 先の戦いで生き残るためにも今その術を増やしたいと……」



 ドロシアは最近少し落ち着いた雰囲気のベニーが、セルゲイに魔術指導を志願していたことを初めて知った。


 元々少し剣術に長けていたとしても、あくまでベニーは執事だ。

 無理をしてドロシアに付いてきたことで、命を失うようなことになったら取り返しがつかない。


 ベニー自身の為にも、自分の身を守る術は一つでも多い方がいいと思った。


 そもそもベニーは、ドロシアを護るために旅への同行をしてくれたことを忘れてはいけない。

 醜い姿に変えられたただの令嬢が、今やその辺の屈強な男の何倍も強い。


 それでも、ベニー自身のプライドの為にも退くことは出来なかった。

 ドロシアはそんな思いを十分汲み取って、ベニーに精一杯の感謝の意を伝えた。


「ベニー、ありがとう! また後で合流したら、あなたの美味しい紅茶が飲めるのを楽しみにしているわ」

「はいっ! ドロシア様もお気を付けて」

「ええ!」


 ドロシアが手を握ると、ベニーは笑顔でそれに応えた。


「僕も一刻も早く次元の歪を特定する装置を完成させる」


「アンブローズ、お願いね」


 ドロシアがアンブローズに装置完成を託すと、アンネリーゼ女王が言った。



「いつ魔物の群れが押し寄せるか分からない状況が続いています。 貴方達の力を二分させることに不安が残りますが……セルゲイ!」


「はいっ」


「ベニー・クリストファー・ボールドウィンの魔術指導、頼みましたよ。 もし魔物が襲来した時の為の魔術師団の編成も念入りに頼みます」


「はいっ母上!」


 

 ドロシアは、これまで行動を共にしてきた一部メンバーと離れることを不安に感じながら、今後の戦いがより厳しさを増すことを予感していた。


 そしてこの場にいる一人一人を見渡し、誰一人として欠けないように願っていた。

 それはもちろん、トロールに姿を変えられた自分自身を含めて。



 こうしてアンネリーゼ女王とセルゲイ、ベニーとアンブローズに送り出されたドロシアたちは、アルバレス帝国へと旅立ったのだった。


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