16. 女王

 アナンペトス領から首都ダラムシュバラへは、草木も生えない乾いた土地を半刻程進み、海辺の漁場がある小さな村を通り過ぎると辿り着く。


 海鳥たちが声を上げて不揃いな動きで飛び立つと、海風が潮の香りを運んできた。

 遠くには航行する船が見える。


「ダラムシュバラは海の恩恵を授かる国なんですわね」

「海と砂漠と魔術の国…それがダラムシュバラだからな」

 ルイスが海風にさらわれる髪を押さえながら、眩しそうに目を細めて言った。

 ドロシアが見慣れぬ海に目を奪われていると、頭上から久しぶりの人物の声が聞こえてきた。

「呑気なもんだな」


 海辺の景観には不釣り合いな黒々しい出で立ちの魔王グレゴワールが、バサッとマントを翻して降り立った。

「グレゴワール!」

「気になることとやらの調査は終わったのか?」


「終わったからこうして来たんだろう?」

 会って早々なぜか剣呑な雰囲気を漂わせるルイスとグレゴワールに、ベニーがまあまあと恐る恐るなだめている。

「で?」

 分かったことがあるなら早く言えと言わんばかりにルイスが素っ気なく言うと、グレゴワールも鼻を鳴らすが、すぐに深刻な顔つきへと変わった。


「反乱軍を裏で操っている奴が分かった」

「!!!!」


「ベザルドラメレク…元我の配下だ…」

「…では、タナトロスを裏で糸引いているのは…」

「ベザルで間違いない」




 張り詰めた空気の中、アンブローズがグレゴワールに詳細を聞き出していった。


「そのベザルという奴は、よほど頭が切れる人物と見受けるが…」

「ああ…恐ろしく小賢しいほどに」

「ならば、次元に歪を造ることも可能という訳か…」


「その歪が思った以上に厄介だ。 この間のガーゴイルなんて目じゃない」

 グレゴワールが顔を歪めた。

「オークやミノタウロスクラスが次元の歪を使って押し寄せたら、人間と魔王軍が力を合わせても勝機があるか分からない…」


「そんな…」


 全員が息を吞み何か手はないものかと思案していると、ドロシアがグレゴワールに問いかけた。

「ねえ…グレゴワール」

「?」

「もし私があなたと契りを結んであなたの力が完全復活したら……反乱軍を阻止出来るの?」


「ドロシアッ!!」

 ドロシアの言葉にルイスが慌てて口を挟んだ。

「それではここまで来た意味がないだろう⁉」


「でも……」

「それなら話は早い……。 と言いたいところだがもう一つ言わなければいけないことがある」


 グレゴワールが再び真剣な面持ちで切り出した。


光芒こうぼうが消えた」

「?」


 言葉の意味が分からず皆が固まっていると、グレゴワールがおもむろに語り出した。


託宣たくせんが下りると、その相手に向って光芒が射すんだ……我はそれを目印にドロシアの居所を探し当てていたんだが……突然その光芒が消失した」

「どういうことだ⁉」


 ルイスがグレゴワールに詰め寄った。

「我にも分からない……通常光芒というものはすぐに消えたりはしない。 光芒が消えるまで放置したことがあるが、人間の世界で一年以上は消えなかった」

「ではどういう?…」


 山積した問題が更に輪をかけて重なった。

 絶望的とも言える状況の中で、それぞれがそれぞれの中で今後どうしていくべきなのか頭の中を巡らせていた。

「とりあえず、ドロシアが魔王の伴侶になるという話はなくなったということか?」


「……光芒は消えた。 今はそれしか言えぬ」






 重苦しい空気を抱えたまま、ドロシアたちはダラムシュバラ城へと向かっていた。


 道中王都の露店では、普段見かけたことのない魚や果実が目に入ったが胸が塞がっていてそれどころではない。

 嗅ぎなれない香辛料の香りが鼻をつくが、それすらも興味をそそられない程に気が滅入っていた。


(いったいどうすればいいの…)


 ダラムシュバラへ来てアンネリーゼ女王に拝謁して相談すれば、何か打開策があるかもしれないと思っていたドロシアたちだったが、ここまで来てそれすら意味がないのではないかと思い始めていた。


 誰一人声を発することなく鬱々と城までの道を進んでいると、陽気な声が前方から飛んできた。


「おーい! 遅かったじゃないか!」

 声の方向にはセルゲイが大きく手を振っているのが見える。先の制服姿ではなく私服のようだったが、王子らしい気品が漂っていた。


「どうしたんだ? 随分雰囲気が暗いが…」

「セルゲイ様…すみません。 ちょっといろいろあって…」

「ん?」


 ルイスがセルゲイと話をしていると、セルゲイの視線が黒々しい人物へと向けられる。

「貴殿は……濃い魔力が感じられるが先日はいなかったな」

「セルゲイ様っ!」

 ドロシアがすかさず間に入り、黒々しい人物が魔王本人であることを説明した。


「お前が魔王グレゴワールか」

 人懐っこい犬のようなセルゲイが野犬のように警戒心をあらわにするも、グレゴワールはどこ吹く風だ。


(あぁ…もう次から次に)


 ドロシアはルイスにセルゲイへの説明を任せ、パンク寸前の頭を必死で落ち着かせていた。



 話を聞いたセルゲイも事態の深刻さを受け止め厳しい表情で考えを巡らせていたが、今この場でどれだけ悩んでも答えが出ないと判断するや否や気持ちを切り替え提案した。


「ここで思い悩んでいても仕方ない! まずは母上に一度話をしてから考えよう。 この問題は貴殿たちだけのものではないのだから」


 そう言うとドロシアたちを引き連れ、アンネリーゼ女王の元へと向かったのだった。











 ダラムシュバラ城はまるで神殿のような造りで、其処彼処そこかしこに巨大な像が存在感を放って立っていた。

 所々に点在する燭台の明かりが一層幻想的な雰囲気を醸し出し、装飾品やその色使いも独特で、まさに魔術師の国といった印象だ。



 セルゲイのお陰で、女王謁見はとてもスムーズに執り行われた。

 女王の間でドロシアたちが頭を垂れて待っていると、奥から中年期の威風堂々とした女王がやって来た。


「どうぞおもてを上げてください」


 藤鼠色の長い髪をまとめ上げ、慈愛に満ちたその表情の奥には厳しさも垣間見える。


「此度はアナンペトスを魔物から救って下さり感謝いたします。 わたくしはダラムシュバラ第四四代女王、アンネリーゼ・クラリス・ボルテールです」


 それぞれが自己紹介をすると、女王は片隅で衛兵に警戒態勢を敷かれている人物を見やる。

「其方が魔王グレゴワールですね」

「ああ……」

 グレゴワールは視線だけを向け、そっけなく返答した。


「セルゲイに大まかには聞きましたが……下りたはずの託宣が消失してしまう心当たりはないのですか?」

「……」

 グレゴワールは重い口を開いた。


「我に死期が迫っているのかもしれぬ。 この不安定な体もすでに百有余年、枯渇し続ける魔力はもはや人間とほとんど変わらないだろう」


 ドロシアは魔王が自らの弱みをいとも簡単に女王に話したことに驚くと共に、今更ながら引き返すことの出来ない選択をして突き進んだことの重圧で押し潰されそうだった。

 形姿なりかたちを変えられたところで揺らがなかった自分だが、果たしてその選択が正しかったのかと問われらたら責任の所在が自分にあるような気がしてならなかった。

 実際問題、自分が素直に魔王と契りを結んでいたら、こんな大事にはならなかっただろう。



 自分の人生とはいったい何なのだろう。

 生贄としての人生を強いられるか、籠の中の鳥のように感情を殺して生きるのか、化物と言われながら生きるのか、どれをとっても容易いものは一つもない。

 こんなハードモードな人生を誰が送りたいか。


「魔王の力も不安定で反乱軍の力は増すばかりの今は、一刻も早く対反乱軍の体制を整えていく必要があると思います」


 ルイスがアンネリーゼ女王に発言すると、横からアンブローズが提案をした。


「次元の歪の出現場所を特定する装置を作りたいと思っています。 つきましては研究室をお借りしたいのですが……」

「承知しました。 セルゲイたちも協力してあげなさい」


 女王が言うとセルゲイは頷き、快く引き受けた。


「一刻も早く反乱軍討伐のための体制を整えましょう。 周辺国にも協力を出来る限り仰ぎましょう! アルバレス帝国にすぐに使者を送るよう手配します」


 帝国の名を聞いてグレゴワールがピクリと反応するが、特段変わった様子はなく謁見は終了したのだった。

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