15. 魔王と娘
野盗に襲われ成り行きで助けた娘は、極度の緊張感と恐怖から解放されたのか、意識を手放した。
光芒は変わらず一方向に向かっていた。
魔王は大きな溜息を吐き、面倒そうに娘を見た。
「我は野盗からは助けたぞ。 あとは人間どもが何とかするだろう」
そう独り言を言って、その場を
数歩進み飛び立とうとしたその時、何処からか狼の遠吠えが聞こえた。
野獣もいる山の中だ、もし人間が助けに来なかったら?
もしまた魔に染まった人間に襲われたら?
今度は本当の魔物に襲われるかも?
そんなことが
なぜか無下に出来ず、相反する自分に戸惑いながらも娘を慈しむように大事に抱え上げた。
「軽いな…中身が入ってるのか?」
無駄な肉も無ければ筋肉もない。
華奢な体は、踊り子だった娘とも百姓だった娘のそれとも違う。
触れれば折れてしまいそうな人間の娘をどう扱えばいいのか戸惑いながら、魔王は城へと帰還することにした。
「その娘が次の託宣の相手ですね!」
魔王が人間の娘を連れ帰ると、たちまち配下たちが代わる代わる声をかけてきた。
かつての娘たちのことをよく知る配下たちは、多かれ少なかれ主の選んだ人間に興味を抱く者が多かった。
託宣の下りた娘は、その生涯を魔王城で終える。
人間は嫌いだが、寝食を共にして世話をする娘のことを配下たちなりに気にかけていた。
「違う」
「えっ!?」
「これは託宣の娘ではない」
「はっ!? ではどういう?」
娘を抱え長い廊下を行く魔王の後を、数人の配下たちが困惑しながら追っていた。
「成り行きだ! 詳しくは聞くな!」
「では…託宣の相手は…」
「光芒はまだ射している! すぐに行くから待っていろ!」
「は…はぁ…」
普段はあまり足を運ぶことのない回廊を行くと、そこにはかつての娘たちが暮らしていた部屋がある。
魔族の趣味は悪趣味だと、娘たちが自ら装飾を施したこの部屋の方が目覚めた時に不安に思わないだろう。
そんなことまで考えている自分を不気味に思いながら、魔王はそっと布団に娘を寝かせた。
この部屋に来たのはどのくらいぶりだろう?
配下たちの手入れのおかげで劣化せず保っている部屋は、娘たちが生きていた頃と変わらず花やいでいた。
すぐにでも揺れるカーテンの隙間から、顔を出しそうな気配がする。
魔王は居心地が悪くなって、部屋を出ようとした。
「うっ…」
身じろぎして、瞼を持ち上げた娘の紫色の瞳が不安の色を残しこちらを見た。
「あの……私…」
「気を失って倒れた。 家が分からないから置いておくわけにもいかず、我の城に連れてきた」
「し…城? あなたはどこかの国の王子様ですか?」
無垢な瞳で自分を人間の王子かと聞く娘に、正直に魔王だと答える気にはならず、はぐらかすように答えた。
「我が王子に見えるか? 誰であれお前に危害を加えるつもりはない、ゆっくり休め」
そう言い残して、部屋を出た。
魔王は、なぜか人間の世界に帰ると言わない娘に戸惑いながら、日に数回娘の元を訪れていた。
食事の世話をするつもりが、自分は食べなくても平気なのに一緒に食事をしたり、人間の世界程色彩に富んでいない魔王城の庭を散歩したり。
それは、魔王にとっては意味を成さないものでもなぜか嫌な気はしなかった。
そう言えば、先の娘と食事を共にしたことなどあっただろうか?
娘たちのどこか寂しそうな顔が頭を過ると、急激に居心地の悪さを感じた。
「魔王様は今日はご機嫌斜めですか?」
敢えて言ったつもりはなかったが、ここに長く居れば自ずと分かるだろう。
もしかしたら、人間とは明らかに違う見た目の配下を目撃したのかもしれない。
娘はいつの頃からか、自分を助けた男を魔王様と呼ぶようになっていた。
どうにも扱いにくさを覚えるこの娘を目の前にして、感情がだだ漏れだったらしい。
「家に送り届けてやるからそろそろ帰ったらどうだ? 傷はとうに癒えただろう?」
「……帰る場所なんてもう…ないですから」
風に揺らめくカーテンの前、逆行で陰るその表情はいまいち読み取れない。
その声は少し震えている気がした。
「どういうことだ?」
「あの日私を襲う指示を出したのは、恐らく身内でしょう。 私には婚約者がいるのですが、私の腹違いの妹がその相手との婚姻を望んでるため、私が邪魔なんだと思います」
「じゃあ初めからお前が辞退して妹がそいつと結ばれればいいじゃないか」
理解出来ないと言った具合に、魔王は片眉を上げた。
「…それが出来ればいいんですが私は嫡子、妹は庶子ですから…当人たちがそれを望んでも回りが許しません」
「ハッ! 人間ってのは面倒だな! でもだったら尚更戻るべきなんじゃないか? 娘が襲われて死んだと聞かされるより、実は生きていたと分かれば父親は嬉しいのではないか?」
「あなたは魔王様なのに、人の感情をよくよく熟知されていますね」
「心配している家族がいるなら、
「私は……帰りたくありません。 帰ってもいつ襲われるか分かりませんから」
魔王は晩年人の世に帰りたいと言った娘たちを、無理に魔界に留まらせたことが正しい選択だったのかを考えていた。
そして帰りたくないと言う娘を、無理やり帰すことが出来ずにいた。
それが娘の意思を尊重してのことなのか自分の本心が別のところにあるのかは、もはや分からなくなっていたものの、魔王と娘の距離は日ごとに縮まっていた。
託宣の下りる条件というのは、いまいち分からなかった。
年齢も出身国も、生業も共通点は全く無い。
光芒は変わらず強い光を放っている。
今まで託宣を無視したことはなかったが、このまま放置するとその後何が起こるのか分からなかった。
「私が魔王様の託宣の相手にはなれませんか?」
ふいにとんでもないことを言われ、珍しく狼狽する魔王の前に娘はちょこんと正座した。
「魔王様に命を救って頂いてからこれまでお世話になっている間、ずっと考えていたんです」
娘の顔は酒を煽ったように赤いが、その瞳は真剣そのものだ。
「初めてなんです! こんなに人を好きになるの! あ…人じゃないのかな?」
そんなことを言う娘が、どうしようもなく愛しく感じる自分を必死に抑えようとする。
「お前は託宣の相手ではない。 我は託宣の相手としか契れぬと決まっている」
「では……愛人でも側室でもいいです!」
そう切なげに言う娘を前にして、魔王は自制することが出来なかった。
「なぜだ? こんな人間でもない相手に…人間の世界でもない場所で……」
「魔王様はとても優しい人です。 私が帰らぬことを分かっていてお相手の元へ行かれなかったのでしょう?」
魔王は日に日に光が鈍くなる光芒を見ながらも託宣の相手の元へ行けずにいた。
自分の体が衰え、弱るのを日ごとに感じながらもなぜ自分が愚図ついているのか分からなかったのだ。
託宣の相手でもない、ただの人間の娘を目の前にして非力な自分をおかしく思いながら、内側から溢れ出る激しい熱を無視出来なかった。
「これが…愛というものなんだろうか」
それから、光芒の光は日ごとに弱まり、終いには完全に消え去った。
託宣を放置したことにより、一部の配下は呆れ魔王の元を去って行った。
自分の身体も随分と弱っていたが、それでも得た幸せは何よりも大きかった。
魔王と娘が日々を悠々と過ごしていたある日、配下の一人が血相を変えて飛び込んで来た。
「魔王様!!」
「なんだ? どうした?」
娘を後ろから抱き抱えていた魔王は、ひと時を奪われムッとした表情をする。
「人間たちが手当り次第魔族を襲い始めました!」
「何っ!?」
数百年の世を生きる魔王には、寝耳に水の事態だった。
人の世は常に人の世で争いをし、時に人間を襲った魔族に報復する争いはあったけれど、突然人間が魔族を襲撃するなんて事態は初めてだった。
「主にはアルバレス帝国が絡んでいるようです」
「!!」
突然、娘の顔色が青白く変わりガタガタと震え始めた。
「わ…私のせいかもしれません。 父はアルバレス帝国の王で、もしかしたら私が魔族に襲われたと勘違いを……」
大人しく家に帰っていれば、こんなことにはならなかったかもしれないと娘は嘆いた。
「いや……全ては託宣を無視した我のせいだ。 世界の均衡が保たれなくなったんだ」
かつてこのような事態になったことのなかった魔王は、一つの仮説を立てた。
託宣は、世界の秩序を守る為にも必要なものだったんだと知ったところでもう遅い。
すでに光芒は消え失せ、次にまたいつ託宣が下るか分からない。
「私がお父様を説得してみます! 生きていることが分かれば無闇な戦いはなくなるかもしれません」
「しかし……」
「弱っている魔王様にこれ以上負担をかけられません。 元はと言えば私のせいです」
そう言った娘の瞳は確固たるもので、もはや揺らがないと悟った魔王は、娘を父親の元へと連れて行くことにした。
「グレゴワール様、愛しています」
「シェスティン……待っているぞ」
魔王を抱きしめて口付けをすると、皇女の風格を纏い魔王の元を去って行った。
幸せだった時間はもう遠い過去の話。
娘は戻らなかった。
そして、人間と魔族の戦いも終わらなかった。
弱った体を引きずり、魔王は長い眠りについた。
長く終わりのない悠久の時を過ごし重い瞼を開けると、どこからか水の滴るような音が聞こえる。
魔王は目覚めた。
いつか見たような仄明かりは、光雲を描きながら主の掌へと吸い込まれた。
眠りにつく前、
最後は完全に消失した幽光と、今掌を包む仄明かりは似ているようでその発色や動きがまるで違う。
掌を眺めていると、それは強く眩い光芒へと姿を変えた。
託宣が下ったのだ。
これで命が繋がるかもという安堵感と、そうまでして生きたいのかという葛藤で胸が疼く。
強く、真っ直ぐに光るその先にはまた新たな人間の娘がいるだろう。
その娘がどんな娘かは分からない。
けれど己が魔王である限り、永遠にか弱い人間の娘に振り回され続けるだろう。
例え愛し愛されることが叶わなくとも。
「ただで契ると思うなよ」
魔王は自身の運命を呪うかのように嘲笑い、光の射す方へと旅立った。
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