14. 魔王と託宣

「そう言えば…」


 すでにお腹が満たされていたドロシアは、カラトリーを置きしばらく前から気になっていたことを聞いてみることにした。


「ヘンネル卿のお名前はフーゴ・ヘンネル様ですわね。 でも、ここの領地名はアナンペトス…セルゲイ様も姓はボルテールで国名がダラムシュバラなのがずっと気になっていたのです」


 そう言うとヘンネル卿はああ!とすぐに思い当たるものがあったようで、丁寧に説明を始めた。


「確かに世襲制の場合は、フェリックス国のように国名と王族の名前や領主と領名が同じことが多いのかもしれませんね」


「ダラムシュバラは世襲制ではないのですか?」


 ルイスが興味深そうに尋ねた。


「ダラムシュバラはその建国以来、女王統治の方が国を繁栄させてきた歴史があるのです。 反対に王が統治すると戦や災害で国が傾きやすい」


「だから女王の国なんですね」


「はい。 現在国を治めているのはアンネリーゼ様を筆頭としたボルテール一族になりますが、アンネリーゼ様の後継者にはセルゲイ様の妹君に当たるシャーロット姫君がいらっしゃるので、ここしばらくは世襲制となってなおります……ですが、一族に後継ぎとなる女児が生まれなかった場合は、魔術師団を始めとした国を代表する魔術師たちが選定を行い時期女王を決めるのです」


「なるほど。 では完全なる世襲制というわけではないということですね。 では、領主も世襲制ではないということか?」

「世襲による腐敗で領地に差が出来ることを危惧しておりまして、これもまた魔術師たちの承認で領主はその適任となる者が領地に派遣されるような独自の方法で成り立っております。 私にも倅がおりますが、今のところ全く関係ない仕事に就いておりますな」


「面白い…まさに魔術師の国だな」

「魔術が民に与える影響がとても大きいのね…」

 ルイスとドロシアが興味深く話を聞いていると、横からアンブローズが口を挟んだ。


「魔術師共が腐敗したらその政策はいっきに意味がなくなるな」


 アンブローズが放った言葉に虚をつかれ唖然とする一同をよそに、淡々と話し始めた。


「王制を強いているところに世襲制が多いのは、その血統を維持するためや、家族で王位継承をする方が問題となる事象が少ないからだ。 もちろん王位継承で揉めたり、国が荒れれば丸ごとそれが入れ代わるリスクはあるが…。 魔術師や教祖なんかが国を判断するなんてことはあってはならんと僕は思う」


「…そうですね。 端から見ればダラムシュバラのまつりごとは摩訶不思議かもしれませんな。 それも女王の力が強いからこそ出来ることだと私は思っております」


「そうか。 拝謁するのが楽しみだ」

 そうアンブローズが言うと、ヘンネル卿は目尻に皺を寄せ笑った。


「本当に早くアンネリーゼ様に会ってみたいわ」




 こうして最後の晩餐が終わり、一夜を過ごすとアナンペトス出立の時が来た。

 屋敷の前では、ヘンネル卿や使用人たちが揃って見送りに出ており、ドロシアの世話をしてくれていたサリーも、手を振ってたまにハンカチで目頭を押さえていた。

「サリーありがとう! 元気でね!」

「ドロシア様もご無事で! またのお越しをお待ちしています」

 サリーに笑顔で別れを告げると、ヘンネル卿に向き直る。

「また落ち着いたら遊びに来てもいいですか?」

「もちろんです! お待ちしております」


 ドロシアの横からルイスの手がヘンネル卿の手を握った。

「本当に世話になった。 ヘンネル卿もまたフェリックスに遊びに来て下さい」

「はっ!! ぜ、是非!」

 ルイスとヘンネル卿のやり取りを最後に、ドロシアたちは屋敷を旅立った。














 ふわふわと中空を漂うほの明かりが、暗闇の中で光雲を描きながら主の掌へと吸い込まれた。

 それは瞬く間に光芒こうぼうへと姿を変え一つの方向を射し示した。


託宣たくせんか…」


 主は掌からづる光芒の先を見据え、気怠そうに頭をもたげた。




 魔王は、生まれながらにして魔王だった。

 それが当たり前のように魔界に君臨し、魔王たらしめる。


 数百余年の歳月を生き魔界を統治するが、その力が未来永劫続く訳ではなかった。

 託宣という導きによって伴侶と契を結ぶことでのみ、その力を維持することが出来た。


 魔王の力が衰え始めると、自然と託宣は下った。




 初めて契を結んだのは、踊り子として国を流浪していた娘だった。

 その次はしがない百姓の娘で、どちらも伴侶になってからはその生涯を魔王城で終えた。

 人間の一生は魔族に比べると圧倒的に短く、二人の娘を愛していたかと問われると難しいが、その命が尽きるまで責任を持って面倒を見た。


(当たり前なのかもしれないけど、何十年経ってもあなたは何も変わらないのね)

(私ばかりおばあちゃんになってしまって、こんな姿見られたくないわ)


 初めは人間の世界に未練はないと言っていた娘たちも、歳を重ねる毎に帰りたいと言うようになった。

 そんな娘たちをなるべく不安にさないよう努めたつもりだったが、最期には会うことすらも拒まれ知らぬ間に亡骸へと変わっていた。


 魔王にはそんな人間の娘たちの気持ちが全く理解出来ず、ただその最期だけが脳裏に深く刻まれていた。


「なぜこの世で一番弱い生き物の力を借りなければならないのか…」


 託宣が下りるのは決まって人間の娘だった。

 力も弱く生きる時間も短いというのに、その娘たちとの契がなければ強く在れない魔王とは何なのかと考えるようになった。


「衰えたな…」


 魔王は自身の身体の衰えをまじまじと感じていた。

 これまで全身からみなぎっていた力が枯渇し始めていた。




 魔王が死んだ時、また新しい魔王が自然に誕生する。


 もし魔王に子どもが生まれたら、その子どもが一人前になった時自動的にその子どもへと魔王は引き継がれたが、この魔王にはまだ子がいなかった。


「今度はどんな娘なのか」


 気乗りはしないが、自身の力を維持するためには仕方がない。

 魔王は光芒の指し示す方向にいるであろう託宣の下りた相手を探すため、その玉座を後にした。






 久しぶりに来た人間の世界は、変わらず不思議な価値観の中生きる儚い世界のままだった。

 二人目の娘を亡くしてから、ちょうど六十年程の歳月が流れていた。


 光芒は分かりやすく、その位置を一筋の光で指し示す。

 それは魔王自身にしか分からない特殊な発現だった。


 上空を飛翔していると、ふと焦げたような異臭が鼻を突いた。

 気になった魔王はその臭いの根源となる場所に降り立つことにした。



 そこには馬が数頭倒れていて、程近くには馬車の荷台を轟々と燃え盛る炎が覆っていた。

 事切れた馬にはすでに炎が移り、その肉片を焼いていた。


 燃え盛る炎を避けるようにして魔王が辺りを見回ってみると、一人の娘が野盗に襲われていた。


「来ないでーーーーー!」

「どうせ死ぬんだ! 死ぬ前にちょっと楽しんでも分からねえだろ!」


 数人の野盗に囲まれた娘の近くには、よく見れば護衛らしき人間たちが血を流して倒れているのが見て取れた。


「助けてーーーー!」

 娘は必死に助けを呼ぶが、状況はどう見ても絶望的だった。


 魔王は人間の世界の面倒事に巻き込まれるのが嫌で、見なかったことにしてその場を後にしようとした。



 ふと、娘と瞳が合った気がした。

 娘は野盗に囲まれ視界を遮られているため、少し距離のある自分に気付くはずがない。

 そう思ったのだが、やはり懇願するような瞳で自分を見ているとなぜか魔王は思った。

 そして、気付けば娘を守るように野盗の前に立ちはだかっていた。


「何だ? てめぇ?」

「まだ護衛が生きてたのか?」

「まぁいい。 とっとと殺っちまおうぜ!」


 下卑た笑みを浮かべ襲いかかる人間の姿を見て、どちらが魔なのか分からないなと複雑な感情を抱いた。


 いくら衰えているとはいえ、たかが人間数人を相手にするには何の問題もない。

 剣を大振りに振り回し襲いかかる野盗たちに、魔王は広げた掌から黒色の煙霧えんむを放った。



「うっ」

「うわーっ」


 短い断末魔の叫び声を上げあっという間にただの肉片と化したそれを、魔王は無感情に見下ろしていた。


 自分は魔族で魔界を統治する魔王だが、何が正しいのか、何が間違っているのかこの肉片を見ていると分からなくなる。


「あ…あの…」


 余程恐ろしかったのだろう。野盗に襲われていた娘は、震える微かな声で魔王にお礼を告げた。


「あ…ありがとう」


 よくよく顔を見れば、深い紫色の瞳からは止めどなく涙が溢れ出ていた。

 涙で潤んだ瞳は近くで赤々と燃える炎を映し出し、まるで残照のようだ。


 魔王の脳裏にはいつかの娘が泣いている姿が重なって見え、柄にもなく自然とその零れ落ちる涙を指で掬っていた。


 それを不思議そうに上目で見た娘は、瞬いた後またぽろぽろと涙を零した。


「大丈夫…もう泣くな」

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