11. 休息

「グレゴワール様!」


 魔王城に戻ったグレゴワールは、その玉座に疲弊した体を預けた。

 フゥと短い溜息をつき足を組むと、肘掛けに肘を置き頬杖をついた。


「ドラゴネッティ」

「はっ」

「反乱軍のミノタウロスに、次元をゆがませ空間移動させる力はあると思うか?」


 グレゴワールは釈然としないまま、自身の不穏な予感を懸念していた。

「ミノタウロスは確かに力はありますが、粗野で高度な魔法や知性とは無縁かと……」

「………」

「どうかされたのですか?」


「下界に降りた際、魔物の群れが空間のひずみから押し寄せてきた」

「空間のひずみ? そんなバカな……」

「反乱軍を裏で指揮している存在が別にいそうだな…」

 グレゴワールが宙を睨む。

「ドラゴネッティ! 少し探ってみてくれ」

「御意に」







『昨晩は寝ておられないと聞きました。 床の準備も出来ております』

『ドロシア様湯浴みの準備が整いました』

『食欲はございますか? 軽食をお持ちいたします』

 領主であるヘンネル卿の屋敷に滞在することになったドロシアたちは、使用人たちに丁重にもてなされていた。

 そして久しぶりの休息を、各自旅の疲れを癒やすことに専念していた。


 ドロシアは疲れ切った体を引きずり、ベッドへと倒れ込んだ。

 バフンっと抵抗があるのは、この寝具が上等な証だ。

「久々のふかふかベッドだわ」


 そうこうしてる間に微睡んでいたようだ、ノックの音で目が覚めた。

「ドロシア様! お疲れのところ申し訳ありませんが晩餐の準備が整いましたのでお支度を――」




 ドレスアップして向かった先には、すでにルイスたちが正装をして待っていた。

「体調は大丈夫か⁉」

「ええ! 問題ないわ」

「そうか」


 晩餐は、功労者であるドロシアたちをもてなすために惜しみなく用意されていた。

 久しぶりのご馳走に一同舌鼓を打ち、一時ひとときの和やかな時間を過ごしていた。


 そして食事も終盤に差し掛かった頃、ヘンネル卿が真剣な面持ちで話始めた。

「首都から近いこのアナンペトスは、多領から命からがら逃げてきた者たちも大勢いて何としてでも陥落させてはならぬと守りを強化しようとした矢先でした」

「あの量の魔物が押し寄せては……いくら守りを強化したところで焼け石に水だったかもしれません」

 ルイスが苦い顔で呟く。


「…そうかもしれません。 だからこそ、本当に感謝してもしきれない」


「このアナンペトスをお救い下さり、ありがとうございます」

 ヘンネル卿が深々と頭を下げた。


(世界の均衡が崩れるというのは……罪のない人々の人生や生活を丸ごと奪ってしまうということでもあるんだわ)


 ドロシアは、現実問題として事の重大さを改めて痛感していた。


(自分の幸せはもちろんないがしろには出来ない。 けど世界の均衡や人々の日常、秤にかけるべきものの重さが違い過ぎる!)


 ドロシアは、自分の進むべき道を誤らないようにしなくてはと固く心に誓った。






 ヘンネル卿の屋敷では、サリーという同じ年頃のメイドが主にドロシアの担当となっていた。


「ドロシア様、紅茶をお持ちいたしました」

 普段お茶を淹れるのはベニーの役目だったが、ここではベニーも客人だ。

 サリーの淹れてくれたお茶に口をつける。

「いい香りでとっても美味しいわ」

「それは良かったです」

 サリーは笑顔で応えた。


 ここの使用人たちは、屋敷に来た初日からドロシアの顔を見て怖がる素振りを見せた者はいなかった。

 もちろんあくまで表面上繕っているだけかもしれないが、ドロシアは自分がトロールであることを忘れるくらいにそれは自然だった。

「サリーは私が怖くはないの?」

 ドロシアが質問すると、サリーは少し驚いたような顔をして一瞬視線を落とすと、再び向き合いニコリと微笑んだ。


「失礼を承知で正直なことを申し上げると、噂を耳にした当初はどんな恐ろしい形姿なりかたちのお姫様なのかと思ってました」

「…そうよね」

「ですが、私が想像していたよりずっと可愛らしい方で恐ろしさなんて全くありません」

 そう言うとサリーは、ドロシアの手を握った。

「私の大切な友人にも、やっとの思いでアナンペトスでの生活を立て直した者がおります。 ドロシア様たちがいなければ本当にどうなっていたか分かりません」

 その手は震えていた。

「本当に……ありがとうございます」

 ドロシアは魔物が襲い来る事態そのものに自分が関与していることを留め置き、サリーの手を握り返すことしか出来なかった。



 ドロシアは随分と見慣れた顔を鏡で見つめていた。

(トロールになった自分が人から感謝されることになるなんて考えてもみなかったわ)

 初めてこの顔を見た時の言い知れぬ絶望感が甦る。

(ルイスを振り向かせたくて、早く両思いになって元の姿に戻りたいと思ったのよね。 ルイスへの気持ちに嘘はないけど、確かにこんな事態にならなければあのタイミングで告白なんてしてないわね)

 自分の姿に動揺して、突発的に告白してしまった自分を思い出す。

(あの時冷静に自分を諭してくれたルイスには感謝ね……勢いで結ばれるようなことにならなくて今となってみれば良かったわ)



 美しかったけど、幸せではなかった自分の姿がよぎった。


 今はどう?

 戻りたいのだろうか?

 元の姿に戻った自分には何が残るのかしら?


 籠の中の鳥のように生きてきた自分を思い出し、胸が締め付けられた。


 ヘンネル卿の顔、サリーの顔、アナンペトスの人々の顔が思い浮かぶ。

(かつてこんな満ち足りた思いを感じたことなんてなかったわ。 人の役に立てるってこんなに幸せなことなのね)

 鏡の中の自分と目が合うと、トロールの自分が満面の笑みを浮かべている。

「フフフッ……私ってやっぱりおかしな奴なのかもしれないわね」

 そう呟いて再び部屋を後にした。





 ヘンネル卿の応接室では、先の襲来でなぜ魔王が人間側についていたのか言及していた。

「では、グレゴワールは我々人間側につくということか?」

 アンブローズが思案顔で言った。

「それなら、ドロシア様を元の姿には戻してもらえないんですか!?」

 身を乗り出すベニーにアンブローズが応える。

「待て……今ドロシアに元の姿に戻られても我々には反乱軍に対抗する術がない」

「……」


「魔王と契を結ぶ選択肢がない以上、ドロシアがトロールでチート能力がある方が都合がいいのは確かだな」

 ルイスがドロシアに視線を合わせる。

「ええ……その通りね」

 そう言ったドロシアの雰囲気がいつもと違い、その場にいた全員が不思議に思った。

「?」

「!?」

「……」


「私はこのまま反乱軍と戦う第一線に立とうと思っているの」

 唐突にそう言ったドロシアは、決意に満ちた表情と共に輝きを放っていた。

「ドロシア…」

 ルイスが声をかけるが、気にする素振りを見せない。

「私もっと強くなって、大勢の人を魔物から救えるトロールになろうと思うの♡」

 そう極上の笑顔で言い放つと、部屋の上部に向かって声をかける。

「そういうことだから! 聞いてたでしょ? グレゴワール」

 その名前に警戒するルイスたちをよそに魔王グレゴワールは部屋の上部からマントを翻して舞い降りた。

「あぁ……聞いていたさ。 トロールのお姫様」


「貴様っ! どういうつもりだ!」

「ルイス!」

 ルイスが珍しく感情的にが食って掛かろうとしたところを、ドロシアが制す。

「今の敵は魔王じゃないわ」

 そう言ったドロシアを見て、グレゴワールはニヤリとほくそ笑んだ。


「反乱軍を裏で操っている存在がいる」


「ミノタウロスではないのか!?」

 ルイスがした質問に、アンブローズが思案しながら応えた。

「ミノタウロスに空間を歪ます力はない……」


「その通りだ! 今我の配下が調査している……が、心当たりがないわけではない」

「ハッキリしないな」

 ルイスが言うと、グレゴワールはフンッと鼻を鳴らす。

「確証がまだないからな。 探らせていると言ったはずだが?」

 二人の間に見えない火花が飛び散っている。


「まぁいいだろう、いずれ分かることだ。 だがドロシアに危害を加えるようならお前も容赦しない」

 そう言うと、凍てつくような視線でグレゴワールを睨んだ。

「フッ……危害を容易く加えられる程か弱い姫ではないようだが?」

「それは褒め言葉として受け取っておきますわ」

 ドロシアは笑顔で応えた。


「しかし、あの空間のひずみはやっかいだ…。 敵の数が尋常じゃない」

 アンブローズが険しい顏で切り出す。

「次またいつ襲来するかのか分からないが……毎回…しかも間隔を開けずにあの数を相手するとなると相当厄介だ」

 ルイスが言うと、追ってベニーも懸念を示した。

「先日の戦いでも俺は危なかったんで、この先数が増えたり疲労が溜まればどれだけ力になれるか分かりません」


「我の配下を加えれば、今より戦力は上がる」

 グレゴワールに視線が集まる。

「元々魔界の勢力が二つに割れたのも我の責任だ。 我の力が不完全なせいで魔族を統括しきれなかった責任がある」

「お前のことを信じる理由は?」

 ルイスが鋭くグレゴワールに問う。

「ドロシアだ!」

 そう三日月のような口で笑うと、ドロシアの横に立ちその肩に両手を置いた。

「我は託宣の下りているドロシアがいる限り貴様らに手出しはしない。 ドロシアを魔族から護ることはあっても傷つけることはない」


 ゆっくりとドロシアの顔を見つめるグレゴワール。

「お前を元の姿に戻すことは出来る。 だがドロシア自身もそれを望んでいないようだし無理強いはしないことにした」

「魔王的には力を取り戻せないけど…いいんですの?」

「お前さえその気になればいつでも取り戻せるからな。 それに魔王軍にとっても現状でいたところでいつ反乱軍に襲われてもおかしくはないからな」

 そう言ってドロシアの顎を指で掬うとニヤリと微笑み、マントを翻して何処ともなく去って行った。


 ルイスはグレゴワールが去った方角をしばらく睨んでいた。

 そして、なぜこんなにも気持ちが苛つくのか分からずにいたのだった。







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