第二章

9. 再会

 一行を乗せた馬車は、フェリックスの領地から随分離れたところまでやって来ていた。

 ある程度進んだところで拓けた街があったので、宿を探すことにした。


「今日泊まりたいんだが」

 ルイスが交渉に行く。

「何名かね?」

「四人だ」

「一部屋しか空いてないが、それで良ければ」

「……分かった……それで構わない」


 実は、もうすでに何件もの宿屋に立ち寄っていた。けれど空室がなかったり、泊まろうとした際にドロシアの顔を見られ追い返されたりして、一向に宿泊先を確保出来ずにいた。

 一部屋空きがあると聞いて、そこを確保したと伝えに行こうとしたルイスの背中へ宿主の声がかかる。


「お前さん、化物の一派じゃあないよな?」


「は?」

 思わず睨むような形で振り返る。

「化物を連れた一派が宿屋を探し回ってるって連絡がきてな」

 宿主は髭を触りながら穏便に話すが、その目は笑っていなかった。

「……今日は他を探そう」

 そう言って宿屋の戸を閉めると、ルイスは拳に力を込めた。


「思った以上に現実は厳しいな……」

 一人呟くと、馬車へと戻って行った。




「すまない、今日はどこも宿屋に空きがないようだ」


 そうルイスに告げられたが、ドロシアには分かっていた。自分がいることで、身体を休める場所すら与えてもらえない現実を。


「……ねぇルイス、私はいいから泊まれる人だけでも泊まって来て」

「そんなこと………出来るわけないだろ!」

「だって、この馬車は十分すぎるほど身体を休める設備は整ってるし、多分メイフォース様はそれも見越してこの馬車を用意して下さってると思うわ」




 当初、こんな立派過ぎる馬車は目立つだけで、大して役に立たないと思っていた。けれど、進むにつれなぜメイフォースがこれ程までに立派な馬車を用意したのかがドロシアの中で確信へと変わっていた。


 馬車は司祭の加護と、魔法使いの魔力によって絶妙にコントロールされ、旅の負荷をかなり減らされるよう配慮されていた。

 実際豪華な造りもあまり目立たないように魔法がかけられていたし、向かい合わせになっている椅子を組み替えると、一人二人が横になれる即席のベッドになるような仕掛けまで施されていた。


「こんな見た目だし、嫌煙されて当然よ。 私一人なら、逆にこの馬車で気兼ねなく休ませてもらうわ」

「………」

 ルイスが考え込んで沈黙する。


「野党に襲われたところで、メイフォース様の言う通りどうにかなる訳ではないないし、かえって男性陣がいない方がドロシアもゆっくり休めるのではないか?」

 アンブローズが考え込むルイスに声を掛ける。


 その言葉にルイスはドロシアの顔を見る。

「何かあったらすぐに知らせろ」

「ええ、分かったわ」




 男性陣が宿屋へ向かい一人馬車に残されたドロシアは、早速トロールとなった自分への扱いがとても厳しいことを痛感していた。


 宿屋の受付で手続きをしていた時のこと。

「じゃあ鍵はこれだ」

「あぁ、ありがとう」

 ルイスが鍵を受け取り、客室へ向かおうとしていた。


 ドロシアは、深目の帽子で顔を隠していたが、運悪くそこへ酔っ払いが絡んで来た。

「お?姉ちゃん! 最近は世の中物騒で中々旅の――しかも女の客は見ねえんだ」

 そう無遠慮に話しかけてくる。男からはツンとする酒の匂いが臭ってきた。


「ドロシア行こう」

 ルイスが酔っ払いを避けるよう、ドロシアを呼び寄せた。

「ちょっと待てよー!」


 酔っ払いは足早に去ろうとするドロシアの帽子を後ろから振り払った。

 まるでスローモーションのように、ふわりと宙を舞った帽子がゆっくりと地面に落ちていくのをドロシアはただ眺めていた。


(ヤバイ!!)

 そう思って顔を両手で覆った時には、時すでに遅し。


「ヒッ! ば、化物ー!!」


 酔っ払いは腰を抜かし、宿屋の主人が血相を変えて慌ててやって来る。

「化物に泊まらせる部屋はないよ! 鍵を置いて出てってくれ!」



 こうして、この後の宿探しが非常に厳しいものになったのだった。


 ドロシアは、酔っ払いが自分を見た時の顔と、宿屋の主人の顔が脳裏に焼き付いて離れずにいた。


 今まで美しいドロシアに対してご機嫌取りをする者が多く、気安く話しかけてもらったことこそなかったが、面と向かってあんな扱いを受けたのは生まれて初めてのことだった。


 ベニーが初めて自分を見た時も、両親が嘆いた時も、王都で顏を晒した時もここまで傷付きはしなかった。化物と叫ばれ、宿屋を追い出されたことに改めてショックを受けていた。


(まぁ………化物なのは間違いないか……)


 メイフォースの言っていたことを改めて思い出す。

(あの人はどこまでのことを見通しているのかしら…)

 そう考えると末恐ろしく、メイフォースがウインクしている様子が目に浮かび身震いをした。



 自分一人が割りを食うのは構わないが、ルイスたちを巻き込んでしまうことに大きな罪悪感を抱いていた。

 ついつい良くない方向に思考が引っ張られ、頬をはたき頭を振る。


「いけないっ! トロールの自分にしか出来ないことを、ゆっくりでいいから探していくのよ……」




 一方で、ドロシアがいないことで宿泊先を確保出来た男性陣は、各自身体を休ませていた。


「今日はドロシア様抜きで泊まったけど……これから先どうするんです?」

 ベニーが荷物の整理をしながら、固い表情で尋ねる。

「…………」

 ルイスはその質問に答えられず、沈黙した。


「このまま行けばいいのではないか?」


 そう言ったのはアンブローズだった。

 二人が顔を上げ、アンブローズを見る。


「ドロシアにとって何よりも嫌なことは、自分が不当な扱いを受けることではなく、それに皆を巻き込んでしまうことだろう?」

「そうかもしれないが……しかし……」

「さっきも言ったが、こんな男性陣に混じって休むより、馬車とはいえ安心な場所で休む方がよほど快適だと思うぞ」

「…………」


「それに、ドロシアに遠慮して休める時に休まず、肝心なところで使い物にならなければ意味がないだろう」


 一見一番年下に見える、この幼い外見のどこからこんな説得力のある言葉が出てくるのか。

 ルイスとベニーは納得して、今後同様の事案があった場合には、甘んじてドロシアを残して宿屋に泊まるという選択をしていく方向で意見を一致させた。





 フェリックス国から離れるにつれ、賑わい栄えた町が徐々に少なくなり、荒廃し人気のなくなった場所を幾つか通り過ぎていた。

 ダラムシュバラ国内に入ってからもそれは変わらずで、首都に程近くなってきてようやく目に映る景色に彩りを感じた。


 ドロシアが馬車で一人身体を休ませ、男性陣が宿屋に泊まるということも当たり前になってきていた。


(下手に後ろめたい気持ちでいるより、楽しんで過ごした方がかえっていいわよね)

 ドロシアは一人での時間を満喫することに専念するようになっていた。


 


 その日は中秋の名月の頃で、夜空には満ちた月がぽっかりと浮かんでいた。

 ドロシアは車窓から見えた月を、どうしても外に出て見たいという衝動に駆られた。

 今まで男性陣と分かれてからは、馬車の中から出たことがなかったのだが、夜風に当たりながら月を眺めたいという欲望に勝てず、馬車を降りることにした。


 知らない土地の、どこか異国を感じる匂いが夜の風を運んでくる。

 草花の間からは、秋の虫の音が響いていた。


 快適とはいえ、馬車の中で過ごす日々に窮屈さを覚えないわけではなかったので、久しぶりの感覚に浸っていた。

 突然、先程までくっきりと浮かんでいた月が雲に翳り、一陣の風が吹いた。


『こんなところにいたのか』


 突然声をかけられ、ドロシアに緊張が走る。

「しばらく後を追っていたのだが、中々居場所が掴めずにいたぞ」


 そこにいたのは、こんな運命に自分を引きずり込んだ張本人だった。


「魔王…グレゴワール…」


「覚えてくれていて嬉しいよ」

 グレゴワールは初めて出会った時と同じく、夜の闇に溶け込む出立ちで、ドロシアの背後で不敵な笑みを浮かべて立っていた。

「こうして生で見ると、本当にあの美しい姿でなくなったことが残念だ」


「誰のせいよ? 誰の?」

 ドロシアは、グレゴワールに臆さず自ら距離を詰めて行く。

「ほお? 我が怖くはないのか?」

「誰かのせいで化物になったので、怖さよりようやく会えたって気持ちの方が大きいわね」


 そう言うとグレゴワールの両肩を掴み、激しく揺さぶる。

「どうせ呪いをかけるなら、こんな化物じゃなくて普通の人間にしてくれれば良かったのに!!」

 予測不能なドロシアの言動に、珍しくたじろぐグレゴワール。


「お前は自分の容姿が嫌いなのか? あんなに恵まれた容姿で何にそんな不都合がある?」

 グレゴワールの肩を掴んでいたドロシアの視線が、中空を漂った。


「そんな姿形なりかたちでは生き辛いだろ? 諦めて我と契りを結んで元の姿に戻るがいい!」

 今度はグレゴワールがドロシアの肩を掴んだ。


 ドロシアは、ふと冷静にグレゴワールを見上げ問いかけた。

「ふと疑問に思ったんだけど、そういうあなたはこんな姿形なりかたちの私を愛することが出来るの? …それとも私があなたのものになると分かれば、易易と呪いを解いてくれるのかしら?」

「…………」


「お前は本当におかしな奴だ…我の予想を遥かに飛び越える」

「さっきから失礼ね!」

「そうだ…本当はお前が我のものになると分かれば姿を戻そうと思っていた。 姿を戻すことを前提にすれば容易く契りを結べると思っていたからな」

 

 ドロシアは、魔法使いの塔でルイスに言われたことを思い出した。


「…やっぱり初めからそのつもりで…」

「しかし思い通りには行かなくてな…こうして出向くまでになったわけだが…」

 グレゴワールは改めて トロール姿のドロシアをまじまじと見た。

「お前がその姿でどう生きるのか興味が湧いた! 側にいて惚れてもらえばその方が自然だからな!」

「はっ? 何言ってるの?」


「元々魔王軍は反乱軍とは敵対している。 人間側についてもおかしくないだろ」



 グレゴワールはそう言うと赤い瞳を光らせ、三日月のように笑った。

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