8. 似た者同士

 ドロシアは、フェリックス城で過ごす最後の夜を慣れ親しんだ庭園を散歩して過ごしていた。

 管理の隅々まで行き届いた庭園はとても心地が良く、ライトアップされた花々が昼の顔とはまた違う色を浮かべていた。


「ドリー!」


 ふと名前を呼ばれ振り返ると、そこには城の主メイフォースが立っていた。

「ごきげんようメイフォース様」


「散歩かい?」

 少し警戒しながら挨拶をするが、メイフォースはいつものような悪ふざけをすることなく、落ち着いた様子で歩み寄った。

「ええ…少しでも心を穏やかに保とうと思いまして」


「…不安かい?」

 そう質問する声がとても優しくて、ドロシアは上目でメイフォースの様子を窺いながら答えた。

「…さあ、どうでしょう?」

 花の香を含んだ風が吹き抜ける。


「不安がないと言えば嘘になるかもしれません。 …でも胸が踊るような感覚もしてますわ」


「………そうか。 このまま少し私に時間をもらえないだろうか?」

「……ええ、喜んで」

 ドロシアは珍しいこともあるなと思いつつ、明日国を発つこともあり快く付き合うことにした。


「ドリー」


 庭園のベンチに腰を掛けると、メイフォースは急にドロシアに体を傾けいつになく真剣な表情で名前を呼んだ。

「は…はいっ?」


「少し真面目な話をさせてもらうよ」

「はい…」


「ドリーが元の顔に戻ることを前提に……これから先、君の姿を知っている者が君を何とか愛そうとするだろう?」

「……」


「けれどそれは、君が必ず元の姿に戻るという前提での愛なんだ。 トロールの姿を受け入れた後のご褒美のようなものかな」

「……………………はい」


 メイフォースの言うことが核心を付いていて、ただ呑み込むことしか出来ない。


「じゃあ戻らなかったら? 君が一生元の美しい姿に戻らないと分かったら、君を口説こうとしていた者はどうするだろう? それでも君の側にいようとするだろうか?」

 いつもの甘い口調ではなく、有能な王としての風格を漂わせてメイフォースはドロシア本人にとっては最も厳しいと思われる事の本質を投げかけた。



「分かっています。 きっと思っているよりずっとこの姿で生きることが大変なことも、愛してくれる人を探すことの難しさも……」


 ドロシアはメイフォースの瞳を真っ直ぐに見る。その強い眼差しに、メイフォースの胸は不思議と高鳴りを覚えた。


「私は幼い頃から君をよく知っているし、出来る限りのことはしたいと思っている」

「同情や哀れみでしたらいりませんわよ」

 メイフォースはフッと柔らかく微笑む。

「同情や哀れみなんて私から一番遠いこと……他の者ならともかくドリーは分かってるだろう?」

 押し黙るドロシア。


「これは私からの一つの提案なんだが……」

「はい……?」


「この先、トロールの顔のまま元に戻らないようなら……真剣に私の妻になってみるのはどうだろう?」


 空白の時間が二人を包み込む。



「……いやいや、そんなこと無理に決まってますわ」


 動き始めた時間を必死でやり過ごそうとするドロシアだが、メイフォースには引き下がる気配がない。

「私なりにいろいろ考えてみたんだ。 中途半端な立場にいるより、いっそ上に立った方が君の場合いいんじゃないかと思ってね」


 反論しようとしたが、メイフォースの意見も一理ある。ドロシアは黙り込んだ。


 国の王女がキワモノだとしたら、それこそ信用に関わる問題だ。けれど逆に考えれば、そんな人を妻に迎えた王は器の広い人物として特別視される部分もあるだろう。それこそ、おとぎ話のように後世にまで語り継がれるような物語の出来上がりだ。


 そうして国民の心を掴むことが出来れば、国のトップがキワモノを受け入れている限り下々の者がいくら反発したところで、余程のことがない限りその立場を変えることは出来ないだろう。

 逆にこの顔で市井しせいで生きるとなると、まともな暮らしをするには相応の苦労が伴うことは想像に難くない。

 ふと一瞬考えが巡った自分を、ドロシアは頭の中で紙をグシャグシャと丸めて捨てた。


(ダメダメ!)


 メイフォースはそのまま言葉を続ける。 

「私は知っての通り難儀な性格だし、見合いは頻繁にさせられているが中々話のまとまる相手がいなくてね」

 自嘲気味にメイフォースが微笑む。


 嘘だとドロシアは思った。

 メイフォースだったら、相手なんて吐いて捨てる程いる。

 むしろ頑なに相手を決めようとしないのは、それがメイフォースの意思だからだろう。



「別に恋愛結婚なんて夢見てるわけじゃないよ? それは国を治める者として弁えてるつもりだ」

「……はい」


「ただ……興味がそそられるような女性って案外いないもんだなって。 地位や財産、私への愛……求めているものはハッキリしてるが、私はその者たちに心を寄せられる気がしないんだ」

 そう言い立ち上がる。


「ドリーがルイスを好きなことはもちろん、ルイスもドリーが好きなことを私は知ってる」

 弾かれたようにドロシアが割り入る。


「それは違いますっ! ルイスは私のことを何とも思っていません」


「フフまぁいいや、教えてあげないよ」

 メイフォースが意味ありげに微笑むと、ドロシアは眉を下げた。


「ただ、君が元の姿に戻れなかった時の選択肢の一つに…………私はなりたいんだよ」

 そう言うと、数歩進み振り返る。


「知ってるかい? ドリー……君と私は似た者同士なんだよ」


 月光に照らされたメイフォースの顔がとても優しくまばゆく光っていて、ドロシアはただそれを見つめることしか出来なかった。






 翌朝、各々が身支度を整えいよいよフェリックス国を発つ時がやって来た。行き先は西の国、ダラムシュバラだ。


「みんな支度は出来たか?」

 ルイスが見渡しながら確認する。


「出発する前に、君たちに渡したい物があるんだ」

 そう言うとメイフォースが、「こちらへ」と声を掛ける。

 すると、立派な馬車を御者が引いてこちらへ向かって来た。


「これは私からの贈り物だ。 道すがら大変なことも多いだろうから使えそうな物は全て積ませてある」

 そう言って現れた馬車の壮麗さに驚いた。小さめの部屋を丸ごと積み込んだような作りは、険しい旅の負担を少しでも減らそうとメイフォースが考えたものだった。


「兄上……大変気持ちはありがたいが、この豪華さでは逆に目立ち過ぎるのでは?」

 ルイスが馬車を見ながら言う。

「目立っても特に問題ないだろ? そこらの盗賊に目をつけられたところでやられるわけでもないし」

 そう満面の笑みで言う。


「フェリックスを代表する国使……言わば君たちは勇者御一行なんだ。 お粗末な装備で送り出すなんてそんな無責任なことは出来ないからね」


 ルイスと目が合うと、頷きお礼を言うドロシア。

「メイフォース様、こんな立派な馬車まで用意して頂き感謝至極に存じます」

「ドロシアの幸せを祈っているよ。 くれぐれも気をつけて」


 メイフォースはそう言うと、ドロシアの手の甲に軽く口付けをした。

「!!」

 ドロシアは驚きと共に昨夜のことを思い出すと、トロールの顔をただ赤めることしか出来なかった。


 メイフォースを筆頭に、王国騎士団、王国筆頭魔法使い、宮中で働く執事やメイドたちが見送りに整列していた。

 メディー・フランシャールに至っては、大の男が泣きに泣いていた。

「アンブローズ様ー! お達者でー! このメディー・フランシャール、アンブローズ様の帰還を心からお待ちしておりますー! ううっ」

「…………」


 涙で顔がぐしゃぐしゃになっている弟子の姿を見て、何とも言えない表情をしているアンブローズだが、無視して発つ訳にもいかず気だるげに声を掛ける。

「行ってくる! 留守は任せたぞ」

 その言葉にまた涙が込み上げてきた様子のメディーは、うおーっと雄叫びをあげていた。

「メディーって、もっと落ち着いた人だと思っていたわ……」

「僕に対して異常な忠義心があるんだ。 うざいだろ?」

「アハハハハ」

 逆師弟関係には、とことん裏切られる。



 ふと、ドロシアは隣にいるベニーを横目で見る。

 ベニー自身が、これまで通りドロシアの執事として側にいることを決断したのだが、トロールの姿になった自分に付いてきてもらうことが果たして本当にいいことなのかドロシアは気がかりでいた。

 中身がいくら同じだとしても、見た目がこうも変わったらもはや別人。ましてや人間の見た目ですらない。

 命の危険がない訳ではない今回の旅で、自分に付き従ってもらう程の価値があるとは到底思えなかった。


 ドロシアは改めて、自分が発端でとんでもない事態になってしまったことに責任を感じ、不安で押し潰されそうな思いを必死で隠していた。


(私が魔王との契りを結べば、多くの人を巻き込まずに済んだかもしれない……。 でもそれが出来ないのなら、この姿と力で一人でも多くの人を救えるような自分になりたい)


 考え始めたら元も子もないようなことばかりが頭を巡るので、頭を軽く叩いて自分を鼓舞し、笑顔で手を振り国を発ったのだった。

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