2. トロールの告白
社交場で貴婦人たちに執拗に追いかけられ、いい加減辟易としていたルイスの耳に悲鳴が聞こえた。
王国騎士隊長らしく、俊敏に騒ぎの中心へと向かう。
そこにはベニーが青ざめた顔で茫然としていた。
「ベニー! 何があった?」
「ルイス様! ドロシア様がば…ば…化物に」
ベニーは、パニックからか言葉がどもり出てこない。
「化物に何をされた? ドロシアは無事なのか⁉」
ベニーの肩を掴み揺さぶり、矢継ぎ早にドロシアの身に何が起きたのか説明を求める。
「ドロシア様は無事……無事っていうのか? いや、無事だけど無事じゃない」
もはや言っている意味が全く分からない。
「ドロシアは今どこにいる?」
ベニーの言葉でとりあえず生きてはいることを察したルイスが、居場所を訪ねた。
震える指で部屋の方向を指すベニーに分かったと告げると、急ぎ向かった。
ケープを頭から被り、人目を避け何とか自室へとたどり着いたドロシアは真っ先に鏡の前へ向かった。
恐る恐るケープを取ると、そこには化物の顔が映っていた。
「ト…トロール」
何度も自分の顔を弄ぐり確認するが、鏡の中に映る間抜けな顔のトロールが自分自身だという現実は中々受け入れられない。
「嘘でしょ…」
部屋の中を、まるで動物園の熊のようにあっち行きこっち行きしていると、激しいノック音と共に、最も会いたくない人の声が扉越しに聞こえてきた。
「ドロシア‼ ドロシアいるか? 無事なのか?」
「!!」
(どうしよう…こんな姿絶対見られたくない)
「ドロシア様の顔が顔がーー!!」
ルイスを追って来たのか、扉越しにベニーの叫び声が聞こえてくる。
「顔? 酸でもかけられたのか?」
ルイスがベニーに問いかけるが、ベニーはひたすら顔が化物がと繰り返している。
ルイスは軽く深呼吸をすると、そっと扉を開けた。
「ドロシア入るぞ」
ドロシアは部屋の片隅で丸くなり背を向けてしゃがんでいた。
「ドロシア……」
「来ないで!!」
近付こうとしたルイスを制止する。その背中は小刻みに震えていた。
(ルイスだけには絶対に見られたくない! こんな姿見られたら……私……)
「……良かった」
背後から、ルイスの息づかいが聞こえる。
「え?」
「とりあえず命に別状はないようだし、大きな怪我もないようだな」
そう言うと、ドロシアの頭を優しく撫でる。
「……」
(そうだ、ルイスはこういう人だ。 普段は冷たいのに、何かあった時は誰よりも優しい)
と思ったのも束の間。
「ドリー! 何があった?」
突然愛称を言われ、それだけで動揺を隠せないドロシアに、ルイスはさらに畳み掛ける。
「お前の身に何かあったのなら、俺は王国の騎士として見過ごすわけにはいかない」
後ろから肩を掴まれる。
「ドリー!!!」
甘やかした後逃がさない圧をかける、なんて恐ろしい男なんだろうと思いつつドロシアは覚悟を決める。
部屋に静寂が訪れる。
ほんの数分の出来事が、やたらと長く感じた。
「ルイスと二人だけにして……」
ドロシアはか弱く口を開いた。
「分かった」
そう言うと、目線でベニーと他の者の退出を促した。
全員出て行ったことを確認し、ルイスが扉を閉めた音がやたら大きく部屋に響いた。
(好きな人にこんな姿を見られるなんて…。 元の姿も決して好きだったわけじゃないけど、化物よ? 人間ですらないんだからもう人生終わったも同然よ!)
ドロシアは涙を拭いて、大きく息を吸い立ち上がった。
「いい? 驚かないでね? ……って言っても無理だと思うけど。今の私は元の私じゃないの」
ベニーの反応をすでに見ているドロシアにとって、驚かないことの難しさは十分分かっていた。
自分ですら受け止められない事態を、どういう心持ちで好きな相手に求めればいいものか。
もはや断崖絶壁から飛び降りるような気持ちで、ルイスに顔をさらけ出した。
「これが私の姿よ」
ルイスと初めて出会ったのは、ドロシアが七つになる年だった。
侯爵である父が王太子であったルイスの父親と懇意にしていたこともあり、王宮に連れられて遊びに来たことが幾度となくあった。
そこで出会ったのがルイスと、同じく代々王家に仕えている執事の家系であったベニーだった。
ルイスは子どもの頃から大人びていて、自分を俯瞰で見ているようなどこか達観したところがあったが、ある事件をきっかけにより拍車がかかった。
それは付き合いの長いドロシアにとっても察するに余りあるものだった。
大人になるにつれより感情を表に出さなくなり、いつしか
「本当にドロシアなのか?」
こんな人間ですらなくなった姿を見ても、ほんの一瞬肩がびくりと動いただけで、瞼一つ動かさず正面から向き合っていた。
「見慣れた翠眼に目も覚めるような深紅の髪……間違いなくドロシアのようだ」
「化物になったのよ……もうドロシアじゃないわ」
トロールの姿をしたドロシアの瞳からは止めどなく涙が零れ落ちる。
零れた涙をルイスが優しい手つきで掬い上げた。
「俺が知ってるドロシアというお姫様は、誰よりもその外見で態度を変えられることを嫌っていたからな」
「!!」
「容姿が重要でないとは言わない。 だが、元々あの美貌で生きにくさを感じてたんだろう? そういう意味ではトロールだって対して変わらないじゃないか!」
ルイスはトロール顔のドロシアを見据えると、さも正論と言わんばかりに真顔で応えた。
(…確かにそうだ。 でも、だからと言ってトロールはないだろう。 せめて普通の顔に変えてくれればここまで取り乱さずに済んだかもしれないのに)
「トロールよ? …化物だし…私もう人間ですらなくなったのよ。 早く人間に戻りたいとか……言ってることがおかしすぎるでしょ」
誰に言うわけでもない、独り言のような言葉を項垂れて呟く。
「じゃあ早く人間に戻ればいいだろう」
弾かれたようにルイスを見上げる。
「戻る方法はないのか?」
「ある……みたい…だけど」
「じゃあ戻ればいいだろ?」
「………………」
ドロシアの心は打ち震えていた。自分の呪いを解けるのは彼しかいないと確信した。
「ルイス好き!!」
トロールの姿のドロシアは、何の迷いもなく愛を告白していた。
「呪いをかけられたの! この姿の私を愛してくれる人がいたら呪いは解けるの! ルイスお願い! 好きなのー!!」
そう言いながら、抱き付きに行くと見事に交わされる。
「え……」
背後から、大きな溜め息が聞こえる。
「呪いを解くために俺を利用するのか?」
「違う! だって戻る方法はないのか? って聞いたじゃない! 戻ればいいだろうって! だから!」
「それとこれとは話が別だ!」
「別じゃないわよ! 本当に……ずっと好きだったことに変わりないもの!」
「じゃあなぜ呪いとやらをかけられる前に言わない?」
「……それは……だって……ルイスが……」
「俺は例えそれでお前が元の姿に戻るとしても、こんな形で気持ちを確認させられるのは納得いかない」
「………………」
(そうよね……もし私が逆の立場で、元の姿に戻るために協力してくれって言われてもいい気はしないわね)
「ごめんなさい……」
意気消沈するドロシアを見て、ルイスは大きく息を吐く。
「トロールのドロシアを愛する人が現れたら元の姿に戻る………か」
「え?」
ルイスが浮かない表情をしている。
「とりあえずまずは詳しく事の説明をしてくれ。ベニーも呼んで紅茶でも飲みながら話そう」
そう言うと、ドロシアを椅子に座らせ扉の外へ声をかけた。
ドロシアを横目で見ながら青い顔で給仕するベニー。カタカタと震えながら注ぐ紅茶は、その大半がコップの外へと零れ落ちている。
そんなことお構いなしな様子のルイスは、優雅に紅茶を嗜んでいた。
「で、そいつは何て名乗ったんだ?」
「グレゴワールって。 初めは陰気な変な奴が紛れてると思ったんだけど、突然体を浮かせたり、変なビームみたいなものを出したり……」
「グレゴワール……」
「何か知ってるんですか?」
「……いや、最近復活したと噂で耳にした魔王の名がそんな名だったような……」
ガシャーンと、ベニーがコップを落とした音が響く。
「ま、ま、ま、魔王⁉」
震える手で、割ったコップを片付ける。
「それで、そのグレゴワールに求婚されて断ったと」
「それはそうでしょ! よく知りもしない怪しい奴と結婚するくらいなら、一生独身でいた方がマシでしょう」
「そしたらその姿になったと」
「ええ! 私の魅力は外見ありきだから、その見た目じゃなくなっても愛してくれる人がいたら呪いは解けるし諦めるって」
「あ……愛してくれる人がいなかったら?」
青い顔を益々青くしたベニーが深刻な面持ちで口を挟んだ。
「……俺の勝ちだって………」
部屋が静まり返った。
「愛してくれる人の定義がぼんやりしすぎてて俺には分からないが………」
「み……見た目に左右されることなく、ドロシア様自身を愛する人を探すってことですかね?」
「口付けとかが条件じゃないよな?」
首を横に振るドロシア。
「そんなことは言ってなかったけど……よく分からないわ……」
押し黙る三人。
「一度王都へ行こう。 そこで王国筆頭魔法使いにみてもらってから今後のことは考えよう」
ルイスが沈黙を破るが、何やらドロシアが浮かない顔をしている。
「……………………」
「なんだどうした?」
「王宮には……あの人がいますね……」
「そうだな、あの人の城だからな」
「行きたくないなぁ……この顔で……」
「俺も騎士隊長として事の報告をしなければいけない……覚悟を決めるんだな」
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