絶世の美女から醜いトロールになりました。
このめだい
第一章
1. 月が綺麗な夜
ドロシアは自分の身に何が起きたのか理解出来ずにいた。
取り乱して顔を必死で
恐る恐る近くの噴水の水面に映る自分の姿を確認すると、そこには信じられない姿が映っていた。
「いやーーーーーーーーっっ!!」
「ドロシア様、私は毎夜あなたの夢を見ては眠れぬ日々を過ごすことでしょう」
「おぉ、ドロシア…女神すら君の美しさには霞むよ」
「ドロシア様は本当に美しい」
今日が社交界デビューとなるデビュタントで、頻りに男性陣に囲まれている人物がいた。
深紅の艶やかな髪、翡翠色の瞳、薔薇色の唇。
ドロシア・ジェイド・オブライト、オブライト侯爵家の一人娘だ。
ドロシア『神の贈り物』という意味に相応しく、傍目から見れば順風満帆な人生を歩んでいるように思えた。
しかし彼女の悲劇は、本人が自身の容姿を煩わしいものだと捉えており、富や名声にも一切の興味がないことだった。
(そういう世界なのは分かってるけど、美しさを誉められたところでその人を好きになるわけでもないし……早く帰りたいわ)
心の扉を完全に閉ざし、手にしているワインを一気に流し込んだ。
「ベニー!」
「どうかされましたか」
近くに控えていたのは、ドロシアの執事であるベニー・クリストファー・ボールドウィン。
「少し疲れたから外の風に当たりたいわ」
「大丈夫ですか?」
「気分が悪いからもう帰りたいのが本音」
「キャーッ!!」
移動しようとしたその時、近くから黄色い歓声が上がった。
女性陣の熱い視線の先にいるのは、王国騎士隊長で現王の弟君にあたる王位継承権第一位のルイス・エルネスト・フェリックスその人だった。
プラチナブロンドの髪とグレーの瞳、『
「……うわー……何あれ。 あんな殺風景な顔のどこがいいのかしら」
「家柄もルックスも文句なしですからね」
囲まれるルイスを傍観するドロシアとベニー。
「ルイス様も適齢期なのに未だに決まった相手がいないみたいですからね。 姫君たちも我こそはと必死ですよ」
「ふーん……」
次から次へと後を断たない求婚者にうんざりしていたドロシアには、ルイスの気持ちが何となく分かる気がした。
そんなルイスと目が合うと、反射的に逸らてしまう。
(思いっきり逸らしちゃった! 変に思われたかしら)
「あー…俺も適齢期ですが、心に決めた相手がいるので」
わざとらしく咳払いをし、ドロシアをチラ見するベニーを華麗にスルーしてバルコニーへと急いだ。
(あー! もう気分が悪い!)
ドロシアは一刻も早く外の空気が吸いたかった。
生暖かい夏の風と、風に運ばれてきた土の湿ったような独特の匂い。
ドロシアは、息を大きく吸い込んだ。
「ハァー気持ちいいー」
色気付いた者たちが各々の香水を振り撒いた香り、食べ物の香り、お酒の香りが絶妙に混ざり合っていた。人混み特有の決して換気のいいとは言えない場所で、ドロシアにとっては拷問に近かった。
「しばらくここに一人でいさせて」
「何かあったらお呼びください。 近くにおります」
そう言って一礼すると、ベニーは会場へと戻って行った。
ドロシアは再び溜め息を吐くと、バルコニーの手すりを握り体を預けた。
「最近ベニーもあからさまというか何というか……昔は良かったなぁ。 私とルイスとベニーと……よく一緒に遊んだり、剣術を習ったり、乗馬をしたりしたわね。 ルイスは昔から殺風景な顔ではあったけど、今より優しかったわ。 ベニーに至っては最近本当に気持ち悪いくらいっ! 気のいいお兄ちゃんみたいな感じだったのに」
独り言は夜風にさらわれて掻き消されていく。
「名を何という?」
突然声をかけられて、ドロシアは驚き声の主を探す。
背後には夜の闇に一層溶け込むような出で立ちの男が立っていた。
(いつからいたのかしら? 全然気付かなかったわ)
月明かりに赤い瞳だけが色濃く映し出される。
「まずは自分から名乗るのが礼儀ではなくて?」
(ベニーを呼んだ方がいいかしら)
「我が名はグレゴワール」
「グレゴワール様……私はドロシア・ジェイド・オブライトと申します」
「ドロシア……やっと見付けた」
そう言うと、ふわりと体を浮かしたグレゴワールがドロシアの目前までやって来る。
「来ないで! それ以上近付いたらタダじゃおかないから!」
護身用に忍ばせていた短剣をグレゴワールに向ける。
「ほう、見た目と違って中身は勇ましいんだな……ますます気に入った」
そう言うとグレゴワールの赤い瞳が光りを放ち、ドロシアの持っていた短剣に電流が落ちる。
「痛っ!」
乾いた音を鳴らし落ちた短剣を拾おうとした時、グレゴワールの指が顎を掬う。
「ドロシア、我が妻となれ。 我が物となれば一生不自由なく暮らすことを約束しよう」
今にも口付けされそうな距離で求愛されたドロシアは、怯まずグレゴワールを鋭く睨んだ。
「嫌です! 私にも選ぶ権利があるわ!」
少しの間の後、ドロシアから手を離すと悠然とした笑みを浮かべた。
「ほう…惚れた相手がいるのか? もう想いは伝えたのか?」
ドロシアの顔がみるみる赤くなっていく。
「お…大きなお世話よ! あなたには関係ないことでしょう⁉」
グレゴワールの手がドロシアに触れようとする。
「触らないでっ!」
抵抗し振り払われた手を見つめながら、口の端を吊り上げた。
「ずっと探し求めていた託宣の下りた伴侶候補だ。 早々に諦めるわけにはいかない」
ドロシアに妖艶な視線をおくる。
「伴侶候補? 託宣? 何を言っているの?」
訝しげな顔で様子を伺うドロシア。
「いいだろう、試練を与えよう。 それに勝てば我はお前を諦める」
「試練?」
少しずつグレゴワールから距離を取り、ベニーの近くへと向かう。
「ドロシアが魅力的なのはその容姿が美しいからだ」
その容姿が嫌いなのも事実で、無意識に眉間に皺が寄る。
「ではその容姿がなくなったら? それでもお前を愛してくれる者はいるだろうか?」
「何を言っているのです?」
意味が分からず、相手にするだけ無駄だと思いその場を駆け足で去ろうとする。
「お前が美しいドロシアでなくなっても、愛してくれる男が現れたらお前の勝ちだ」
そう言うとドロシアの周りを雷雲を纏わせた黒い霧が覆う。
「ベニー!! 助けてー!」
悲鳴を上げるが、耳をつんざく音と共に閃光が散った。
【けれど、お前を愛する者が誰も現れなければ…我の勝ちだ】
グレゴワールの声だけが闇に響いた。
「ドロシア様!!」
控えていたベニーが駆け寄ってくる。
さっきまでが嘘のように凪いだ風が頬を撫でた。
ベニーは倒れ込んでいたドロシアをそっと抱き起こした。
「ドロシア様! いったい何があったのですか」
「ベニー……」
下を向き影になっていたドロシアの顔が、月明かりに照らされる。
「ひーっ、ば、ば、化物!」
ベニーが支えていた背中の手を唐突に離したせいで、ドロシアの体勢が崩れる。
「痛いじゃない、何よ化物って!」
ベニーは腰を抜かして、青い顔でこちらを指差し魚のように口をパクパクさせている。
【ではその容姿がなくなったら? それでもお前を愛してくれる者はいるだろうか?】
グレゴワールの言葉を思い出し、顔を弄る。
いつもある小高い鼻の曲線の変わりに主張する鼻翼。
いつもは滑らかな肌が、なぜか岩のようにゴツゴツしている。
ドロシアは近くにあった噴水へ駆けて行き、その水面へと映る自身の顔を恐る恐る覗いた。
月明かりに照らされたその顔は、自分の見知った姿とは大きくかけ離れたものだった。
「いやーーーーーーーーっっ!!」
ドロシアは羽織っていたケープを咄嗟に頭から被り、人目を避けるようおぼつかない足取りで用意されていた自室へと引き籠った。
月が綺麗な夜のことだった。
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