3. 美女という不幸
王都へ行く前に、事の顛末を説明しなければいけない相手が他にもいた。そうドロシアの両親だ。
「ドリーーーーーー!」
「私の可愛いドリーがーーー」
まるでゼウス神が雷を放ったかのような凄まじい衝撃と共に、この世の終わりのような嘆き声がオブライト邸に響き渡った。
無理もない。手塩にかけてきた自慢の一人娘が、待望の社交界デビューのその日、化物の姿にされて戻ってきたのだから。
ここオブライト領は、領内にあるハトアトル山の恩恵を受けて男たちは木こりや紘夫、狩人として生計を立てるものが多くいた。
女たちは豊富な資源で生活に困ることなく、家事や子育て、農業などに精を出していた。
ドロシアの父デイビット・レイ・オブライトは、このオブライトの領地を治める侯爵だ。
灰色のクセのある髪とドロシアと同じ翡翠色の瞳、少々神経質で気が弱いところがあったが、公平な態度が評価されている領民にも信頼される侯爵だった。
一方でドロシアの母ソフィア・ベル・オブライトは、貧乏男爵家から侯爵家に嫁いだ玉の輿婚をしたシンデレラガールだった。
ドロシアの深紅の髪は母譲りのものだったが、外見の雰囲気はあまり似ておらず、ソフィアは美しいというより愛嬌のある可愛らしい印象の人物だった。
言ってしまえばドロシアは、瞳の色や髪の色以外両親と似ているところは全くなく、ある種異質な程美しかったのだ。
両親共にドロシアの類い稀な美しさを誇りに思っていたし、美しくて生き辛いなどという悩みを当然理解することはなかった。
美しく生まれたからには、それに相応しい振る舞いを身に付けることをひたすら求められてきたのだった。
そんなドロシアが変わり果てた姿で全ての顛末を説明すると、母ソフィアは卒倒、父デイビットは怒り心頭に発した。
「何としてでも魔王なんぞに娘をくれてやるものか! 見合いだ! 国中の男たちと見合いをすれば、中にはこの姿でも愛を誓ってくれる者もいるかもしれない」
デイビットは、すぐにでも見合いの準備をしようと立ち上がる。
「待ってお父様」
「こんなことが起きて待っていられるわけがない」
「うっうっう……」
気色ばむデイビットと嗚咽を漏らしながら泣くソフィア。
この収拾のつかない状況を、ドロシアはふと他人事のように醒めた目で見ていることに気付く。
(確かにトロールにされたけど、闇雲に相手を探してまで愛してくれる人を求めてるわけじゃないのよね……。そんなことで元の姿に戻っても私は幸せじゃない気がする)
ドロシアの脳裏には一人の姿しか浮かばなかった。
【俺は例えそれでお前が元の姿に戻るとしても、こんな形で気持ちを確認させられるのは納得いかない】
表情一つ変えず、泰然自若と言い放ったルイス。
(この姿でも出来ることや、幸せになる方法は必ずあるはず)
ドロシアは拳を握り締め、声を張り上げた。
「お父様! お母様! いい加減にしてくださいな!」
見合い相手を手配しようと書類を用意していた父デイビットと、俯き泣いていた母ソフィアはドロシアの声に顔を上げ息を呑む。
「私、自分でも驚くほど冷静なの」
そう言うと、元通り美しい髪を靡かせた。なぜか間抜けなトロール姿のはずなのに、自信がみなぎって見える。
「思うんですけど、実の両親ですらこの有り様。ベニーだって青い顔して化物呼ばわり。……それをどうして赤の他人が受け止められると思います?」
「………………」
「………………」
この言葉に二人は絶句した。
「何だか私、初めは絶望感でいっぱいでしたけど、いろいろ考えてたら無理やり元の姿に戻るのも馬鹿らしいと思えてきましたわ」
「何を言ってるんだドリー! そんなの元の姿に戻った方がいいに決まってるだろう?」
「なぜ?」
予想外の返答に固まる父デイビット。
「なぜって……あんなに美しかったのに……こんなのあんまりじゃないかっ! 化物みたいな顔で、このままでは嫁にもいけずに人目にも晒せないっ」
父デイビットは青ざめた顔を両手で覆い、悔しさと絶望から小刻みに震えていた。
(それはそうよね……)
ドロシアは当然の反応だと頭では理解しながらも、自身の心の温度が急激に冷えていくのを感じていていた。
そして自分でも驚くことに、あれ程取り乱したトロールの姿を蔑まれたことに怒りを覚えていた。
「お父様はこの姿の私が、幸せになれるはずがないと思っているということですか? 愛してくれる者などいるはずがないと……」
動揺しながらも、それはそうだろうと答える父デイビット。
「では、国中の男とお見合いしたって端から結果は見えているではありませんか!」
「ドリーッ!!」
デイビットが慌ててフォローしようと頭を巡らせるが、一向に言葉が出ずドロシアが自虐めいた顔をする。
「この姿でいる以上、今まで以上に愛されるということの意味の大きさを知ることになりそうね」
「ドリー……」
ドロシアが力のこもった瞳で前を向く。
「お父様お母様私ね、本当は淑女としての振る舞いとかどうでも良かったの。レースのたくさんついたドレスも、羽飾りも、宝石も興味がないの」
「……ドリー?」
デイビットとソフィアが、唖然とドロシアを見ている。
「私は汗をかきながら剣を振ったり、風を切りながら馬に乗ったり……そういうことが好きだったのよ」
そう言うと清々しく微笑んだ。
「人形のように生きるのはもう嫌なの。私はこの顔で……堂々と自分の人生を生きて見せるわ!」
そう宣言すると、颯爽とその場を後にした。
美人というだけで得をする、ある意味チートのようなものだ。
持って生まれた美しいという才能、それを遺憾無く発揮するにはあまりにもドロシアは幼かった。幼さゆえに純粋だった。
婚約者候補が次から次へと現れては、一様に台詞を言う。全てがドロシアの外見を褒め称えるものだった。
時に強引とも思える行動をする多くの男たちを、物心がつく頃には砂糖に集る蟻のようなものだと思うようになった。
そんな蟻たちとの付き合いより、気の置けない同性の友だちが欲しかった。
エレナ・マッケイン・コリングウッド。チャームポイントのそばかすが目を引く、鳶色の髪と茶色の瞳の少女だった。
ドロシアにとって初めての同性の友だちだ。
「ドロシア! 次はこれで遊びましょ」
「ええ! いいわよ!」
エレナはお人形遊びが好きで、これまで同性の友だちがいなかったドロシアにとって、とても新鮮なことだった。
ある日いつものように人形遊びをしようとした時のこと。
見慣れた人形の中に真新しい美しい人形が加わり、それはすぐに二人のお気に入りとなった。
「そっちの人形の方が美しいから、今日は私に譲ってちょうだい」
ドロシア自身もお気に入りの人形だったけれど、エレナのお願いだから譲ることにした。
するとエレナは真新しい人形を手に持つと、ドロシアの持っていた人形を唐突に
「まぁ! あなたってなんて汚ならしいのかしら!」
「エレナ?」
「エレナ様とお呼び!」
「………」
子どもの遊びの話といえばそれまでかもしれない。
けれど、ドロシアにとってなぜエレナが突然そんなことを言い出したのか意味が分からなかった。
戸惑うドロシアの空気を察したのか、急に居心地が悪くなった様子のエレナ。
「もうやめた! つまらないわ!」
「エレナどうしたの? 体調でも悪い?」
エレナはドロシアを鋭い顔で睨む。
「ドロシアといても全然楽しくないわ! ちょっと美人だからって馬鹿にしないでちょうだい」
「馬鹿にしてなんかっ」
エレナの手を掴もうと手を伸ばすが、情の欠片もない表情を向けられる。
「もうあなたとは友だちでも何でもないから」
そう言うと、ドレスを翻して去っていく。
美しい人形を手に入れたエレナは、いつもの人形と比べた時に急に既視感のようなものを覚えたのかもしれない。
偶然にも見慣れた人形は鳶色の髪、新しい人形は赤い髪だった。
もしかしたら今、この美しい人形を手に入れた自身の内に宿る優越感のようなものを、日頃からドロシアは自分に向けているのではないか。自分のことを不細工だと思って嘲笑っているのではないか。育んできた友情は、一瞬にして嫉妬と嫌悪感へと姿を変えた。
そうとは知らず、目の前に転がる真新しく美しい人形と、使い古して見慣れた人形をドロシアは呆然と見つめていた。
遊びの痕跡だけを残し、その主たちはもういない。
美しさは彼女にとっての枷となった。
「エレナと遊んでたんじゃないのか?」
エレナに絶交を言い渡されたドロシアは、沈んだ面持ちで王宮に来ていた。
「うん……私といてもつまらないって……」
いつもと違う様子のドロシアに気付き、ルイスは
「落ち込んでる時は体を動かすのがいい。相手してくれよ」
笑顔で頷く。
ドロシアは、剣術や馬術が得意で好きだった。けれど、それすら見つかると怪我をしたらいけないと、やめるよう注意され奪われた。
残ったのは苦痛でしかない淑女としての立ち居振舞いのレッスンと勉強の日々。
唯一、王宮でルイスとベニーと遊ぶ時は咎められることが少なかったので、必然的に過ごす時間が長くなった。
ドロシアにとって、自分をさらけ出しても心配のない数少ない友となり、いつしか心を寄せるようになっていった。
美しさが枷となるならば、それが外された今本来の自分として生きることが可能ではないのか。
勿論、トロールとしてどこまでそれが通じるかは分からない。
けれど十八年もの間、美しさに囚われ生きてきたドロシアにとってそこまで大きな障害とも思えなくなっていた。
「大丈夫よ、ドロシア。トロール姿で今まであった面倒事も全てなくなる……」
鏡の中の自分と決意を新たにする。
「自分を生きるのよ」
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