第374話 失敗
「ったく、無駄な時間を使っちまったぜ。」
そう言いながらレギさんが鍵を取り出して扉を開ける。
扉を開いた瞬間、空気と臭いの塊みたいなものが押し寄せてきて思わず顔を顰める。
急ぎ弱体魔法を自分に向けて使う、効果は嗅覚の弱体化だ。
殆ど匂いを感じなくなったので改めて扉の中を観察する。
ここは下水道に繋がっている建物で、扉をあけても地下へと降りる階段しかない。
この辺の区画は以前俺が掃除の依頼を受けた場所とは異なるので、ここから降りるのは初めてだ。
とは言え、何処も同じ感じだとは思うけど......レギさんだったら違いがわかるのだろうか?
「この辺は食事処が多くてな。下水にいる奴等も栄養が多いのか大きい奴が多いな。」
俺の疑問に気付いたわけでは無いと思うけど......階段を降り始めたレギさんが説明してくれる。
「へぇ?スライムとかネズミとかですか?」
俺はレギさんの後ろに着いて行きながら、以前降りた下水道でみたマナスやファラの部下達を思い出す。
「あースライムはそうでもないが、ネズミはちょっとデカかったな。」
「他にも何かいるのですか?」
「魔物ではないがな。でかい虫とかがな。」
レギさんの言葉に俺は階段を降りる足を止める。
「......虫。」
「あぁ、こんな場所にいるような奴だからな。毒虫の類だが、ケイには問題ないか?」
「いえ、流石に嚙まれたり刺されたりしたら痛いと思いますが......。」
問題はそこじゃない。
いや、嚙まれたり刺されたりするのは勿論嫌だけど......その存在そのものが苦手なのだ。
見た目がね......見た目が駄目なんだ。
しかし足を止めた俺を気にすることなく、レギさんはどんどんと階段を降りていく。
「そうなのか。まぁ回復魔法があれば問題ないとは思うがな。」
レギさんの姿がどんどん遠くなっていく。
いや、流石にこの場で止まるわけにはいかないのだけど......足に根が生えたかのようにピクリとも動かない。
俺の足音が止まったことに気付いたらしいレギさんが振り返る。
「どうした?ケイ。」
「えっと......何と言いますか......。」
「......?」
レギさんが訝し気な顔でこちらを見る。
俺の虫嫌いを知っているのはナレアさんだけだったか......。
まぁ、レギさんからしたら何を言っているのか意味が分からないって感じだろうしな。
「その......嫌いなんですよね......。」
「何が?」
「......虫が。」
俺の回答を聞いて、ますます疑問が深まったような顔になるレギさん。
「どういうことだ?虫ってのは......虫の事だよな?」
「えぇ、普通の......その辺りにいる虫の事です。」
「今まで散々森の中で寝泊まりしていてか?」
「......まぁ、そうなのですが......。」
森にも山にも......というか、普段野営をしている時は虫の類は滅茶苦茶いる。
まぁ、虫除けには全力で力を入れないと普通に死ぬ可能性が高いので、その辺はナレアさんの魔道具を使いかなり万全を喫しているけどね。
虫が嫌いとか平気とかそういう問題じゃない。
自然は危険でいっぱいだ。
「まぁ、虫が生理的に嫌いって奴も偶にいるが......冒険者では珍しくないか?っていうか慣れないか?」
「昔に比べれば結構慣れたと思うのですが......予めでかい虫が出ると言われると、若干尻込みしてしまいますね。」
「あぁ、なるほど。苦手な物を予め言われたらそうなるのも無理はないか。無理そうなら引き上げるか?俺が受けた依頼だし、無理に付き合う必要はないだろ?」
「いえ、すみません。大丈夫です。まぁ、いざって時は虫除け使うかもしれませんが。」
ナレアさん特製の虫除け用魔道具は常に携帯している。
全ての虫を避けられるわけでは無いけど、効果は非常に高く信頼性は抜群だ。
「まぁ、それは構わねぇが......こんな場所にわざわざ虫除け持ち込んで進んでいく奴なんて普通いねぇがな。」
......まぁ、それはそうだろう。
普通は野営をする時や、森を進む際に使うものだしね......。
下水掃除で虫除けを必要とするくらいだったら、普通は下水掃除なんか受けないだろう。
割に合わなさすぎるもんね......。
「まぁ、ナレアさんにはお手間を取らせますが......魔晶石代は掛かりませんから......。」
「贅沢な話だ。」
レギさんが苦笑しながら階段を降りていく。
俺も若干腰が引けながらではあるがその後ろに続く。
暗視がいいのか、それとも灯りをつけて虫が光から逃げる様にする方が良いのか......。
......うぅ、想像しただけで背筋がゾクッとするというか......。
そんなことを考えながら階段を降りていると、どうやら一番下、下水道のすぐ手前まで降りて来たようだ。
この扉を開けた向こうが下水道になる。
レギさんは明かりを灯すと、背負っていた背嚢から慣れた様子で掃除道具を取り出す。
......?
なんで背嚢にそんなものが......?
今日俺達は冒険者ギルドに行って......その後デリータさんの店に行って、それから直接ここに来た。
にも拘らず......掃除道具......口元を覆う布や、皮手袋はまぁいい、しかし折り畳み式のほうきやデッキブラシのようなものが出てくるのはいかがなものだろうか?。
いや、ギルドに行く時は掃除セットを持っていくってことかもしれないな。
っていうか、しまった。
レギさんの準備を見ていて気付いたけど、掃除道具はおろか、着替えさえ持って来てないぞ......。
流石に下水掃除をした格好のまま街に戻るのは危険だ。
衛生的にも尊厳的にも。
上に上がる前に天地魔法で全身を洗い流すことは出来るけど、流石に服に付いた汚れはそう簡単には綺麗にならないし、びしょ濡れのまま街に戻るのも体面が悪い。
「すみません、レギさん。ここまで来ておいてなんですが......掃除道具はおろか、着替えすら用意していませんでした。」
「......すまん。俺もすっかり失念してた。そうだよな。普通、街歩きする時はそんなに準備はしてねぇよな?」
「レギさんが普通に下水道に行くって言っていたので、ここに来るまで色々と準備しないといけないことをすっかり忘れていましたよ。」
「まぁ、そうだな。掃除道具は貸してやれるが、流石に着替えは俺も自分の分しかないからな。」
「そうですよね......すみません、手伝うって言っておきながら中途半端で。」
「いや、突然だったからな、仕方ねぇよ。ケイは戻ってくれ。」
「すみません。」
「気にすんな。元々俺が受けた仕事だからな。そんなに遅くはならないと思うが、リィリに飯は適当に取っておいてくれて構わないって伝えておいてくれ。」
「了解です。じゃぁ、お気をつけて。」
「おう。」
話ながら準備を整えたレギさんが、扉を開けて下水の奥に進んでいくのを見送ってから、俺は地上に戻ることにした。
別に虫が嫌だったわけでは無い、準備不足だったから仕方ないのだ。
しかし......これからどうしよう?
階段を登りながらぽっかりと開いてしまった時間をどう使うか悩む。
都合よくクルストさんにでも会えればいいのだが......世の中そう上手くはいかないよね......。
ナレアさん達は今頃デリータさんのお店にいるだろうから、合流するって言うのもありだろうか?
いや......まて、女性三人が集まっている所に合流する......?
......いや、ないな。
それはない。
あまりにも危険すぎる。
そんなことを考えながら階段を登り小屋から出る。
やはり下水と違って空気が軽い......それに臭くない。
嗅覚を弱体魔法で弱めていたとは言え、多少は匂っていたからね......。
小屋から離れて少ししたところで俺は弱体魔法の効果をゆっくりと消していく。
一気に戻すと、悶絶することがあるからね......感覚系の強化、弱体に関してはゆっくりと変えていった方が負担は少ない。
まぁ、それはともかく......これからどうしようかな......。
一度宿に戻ってグルフ達のお手入れ道具でも持って、森でのんびり過ごそうかな?
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