4 無色不透明
古い扉を丁寧に開けると、美術室特有の絵具の匂いが漂ってくる。
問答無用で「臭い」と嫌がる女子も多いけれど、このぐちゃぐちゃ混ざり合ったような匂いは昔から嫌いじゃなかった。
むしろ、小学生の頃に初めて"美術室"という部屋に入った時は、この匂いに無性にワクワクしたものである。
小さい頃から絵を描くことが、正確に言えば塗り絵が好きだった。
真っ白なイラストに、自分の思うように色をつけていくことが快感だった。
中学高校と美術部員として活動している今でも、下絵に色を塗っていく時の高揚感は消えない。
そんな話を以前、孝介先輩に聞いてもらったことがある。
__分かる!いや、俺は絵のことは全然分かんないけど、好きな物に打ち込んでいる時の疾走感って最高だよね!
バスケットボールを片手に笑った孝介先輩はどこまでも眩しい。
確か、同じ話を理玖先輩にもした気がするが…。
「おい!!」
痛い。
激しい頭痛にハッと我に返る。
蛍光灯の明かりと、焦った様子で私を見下ろす理玖先輩の顔が見えた。
頭とは別に、右足にも鈍い痛みを感じる。
同時に、肩に温もりを感じた気がした。
私は美術室の床に倒れていた。
クラスメートに声を掛けられた後、教室を出て真っ直ぐここに向かった。
美術室のおんぼろ扉を開けたところまでは確かに記憶があるが、気付けばこの状態だ。
理玖先輩が私の体を支えてくれている。
「やっと来たかと思えばいきなりぶっ倒れやがって。熱中症とかじゃねぇだろうな。」
先輩が私のおでこに手を伸ばす。
額に感じる冷たい温度が心地良い。
「熱は無さそうだが……。豊永、お前さっさと帰れ。しばらく休部しろ。」
私の額からさっと手を離し、呆れたように言う。
理玖先輩のため息がやけに大きく部屋に響いた気がして、私の不安が募る。
「私は大丈夫です、これからコンクールもありますし、」
「ダメだ。しばらくここにも来るな。」
ツンとそっぽを向いて吐き捨てる。
それから、早く帰れと言うように理玖先輩は左手をヒラヒラと振った。
理玖先輩の言葉に、ここ最近で感傷的になっている私の心が剥がれてく。
「何で急にそんな冷たいこと言うんですか…。」
「分からないのか。」
質問返しは理玖先輩の悪癖だ。
不器用な先輩の態度からは、どうにも真意が汲み取りにくい。
グラウンドからホイッスルの音が聞こえた。
「もとはと言えば…理玖先輩が…!!」
私は叫んでいた。
大切な友人を、孝介先輩を失った理玖先輩に対して私は叫んでいた。
この愚行の根源に何があるのか、私自身にも理解できない。
理玖先輩の色素の薄い瞳に私が映る。
その中の私が揺れて、先輩の瞳が揺らいだように見えた。
「俺が、何だ。」
相変わらず先輩の声に抑揚はない。
この上なく単調に私に問いかける。
「……っ、」
唇を強く噛みしめると、微かに血の味がした。
理玖先輩が失望した表情を見せる。
落ちていた自分の鞄を拾い上げ、その視線から逃げるように美術室を後にした。
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