人間、地位が上がった時に自分を客観視できる事が出来る
ものなのでしょうか?「つまらない大人になったなぁ~お前!」と
言われて、それが耳に入るものなのでしょうか?
それは自分自身で悟る必要がある様な気がします。
本田宗一郎さんは、辞める時にこう言ったそうです。
「自分は頭も体も全然問題ないと思ってる。だからこそ辞めるんだよ。」
仕事しか自分の人生がないと、こんなこと出来ないかもですね…。
作者からの返信
いつもコメントありがとうございます。
自分自身で悟ることのできない大人が増えているような気がします。
大学には地位にしがみつく人がたくさんいます。権威を失いたくないのでしょうね。
自分はそうなりたくないと思っていたので、辞め時を、かろうじて見誤らなくてよかったと思っていますが、さらに精進を重ねて参ります。
引き際は、とても大事と考えます。
自分にしか当てはまらない狭い了見で申し上げます。
当地へ戻って約20年近くになるのですが
チョットしたきっかけで知り合いになった難聴者に
少しでも情報を差し上げられたらと、パソコン要約筆記の
ボランティア活動を週一でやっています。
内容的に難しくなってきたと感じる事が度々有り
いつまで出来るかな?と思うようになりました。
若い方たちに自分が学んだ内容は逐一伝達し
いつ引いても大丈夫の状態になってきましたので
そうするのが賢明と分かってはいるのですが
肝心の難聴者が、どうしても一緒にと、、、。
彼女は、年齢が3歳ほど私より上で、その上目も
とても悪くなってるのに、頑張ってる姿を思うと
仲間の向上意識を妨げることなく
もう少し傍に寄り添って居たい気持ちも有り
迷ってるところです。
作者からの返信
ニーズがあるうちは、その活動をしつこく継続することも大切だと思います(僕にとって、「エッセイ講座」がそうですね)。
ただ、その一方で、役割を終えるタイミングを探ることも大切だと思います。
継続させることだけが目的になっても、あまりいいことはありません。