第38話 ”その日”の先へ

 パリンと、何かが割れるような音がした。

 瞬きをしたセルディナが見たのは、泣き出しそうな顔をしたロキだった。


 最初セルディナは、自分が死んだのだと思った。

 自身へ向けられたラルムの刃や、倒れた瞬間の光景まで鮮明に覚えていたから。

 セルディナは死んでしまって、ここは死後の世界なのだと、そう思って……


「この結末が、本当に貴女の望んだハッピーエンドでしょうか?」


 ……ふいにセルディナは、横に立つラルムにそう尋ねられた。

 先ほどセルディナを斬ったばかりだと言うのに、ラルムは剣を振り上げた体勢のままだった。

 セルディナが「おかしい」と感じたのは、その時で。


 風がセルディナの頬を撫でた。

 セルディナが死んでいて幽霊のような存在になっているのだとすれば、風の感触というものを感じる事が出来るのだろうか。

 少なくも今のセルディナには、風が髪を靡いた事も、周囲の騒めきも、少し砂ぼこりを含んだような空気の匂いも、全部感じ取る事が出来て。死んでしまったにしては、随分とリアルな死後の世界だった。


「セナ!!!」

「姫さん!!!」


 何が起こっているのか把握しきれない中、視界の端でダリアとギナンが駆けだしたのが見えた。

 周囲の人々を押しのけて、止めようと立ちはだかる騎士を倒して、二人はセルディナの元へ来ようと必死になっていた。

 ……ダリアとギナンだけではない。セルディナが助けた魔物の多くが、セルディナを生かすために動いていた。


「これは、どういう事?」


 眼下の光景を見つめながら、セルディナは呆然と呟いた。

 その体には、先ほど斬られた時に出た筈の血が、綺麗さっぱり無くなっていた。

 それどころか、身に纏っていた服までもが綺麗な、傷一つない状態に戻っている。


「いやぁ、俺の妹は世界一優しいから。魔物の救世主を救う未来を探すんだって、言い出したら止まらなくなってしまいまして」


 ニヤリと笑ったラルムの瞳は、かつてセルディナが救った魔物……<未来透視>ができる少女と同じように、美しい青色に輝いていた。


「……と言っても、俺の出来ることは<視覚共有>だけですが。妹の視てる世界をセルディナ様には見て頂きました」


 ラルムはずっと、自分が魔物だと言うことを隠していた。

 魔物として生まれてしまっても愛を注いでくれた両親のため。同じく魔物として生まれ来た妹を守るため。ずっとずっと、魔法が使えることを隠して生きてきた。

 それを止めたのは、愛する妹が<未来透視>で視てしまった悲惨な未来を変えるため。

 「逃げてくれ」と頼んだラルムの言葉に従わず、セルディナを助けるのだと言ってきかなかった妹を生かすため。

 ……それから、自分や妹を含めた魔物の未来を大きく変えてくれたセルディナへの恩を返すため。


「まだ貴女は、あの未来を望みますか?」


 尋ねながら、ラルムは願っていた。

 セルディナが別の未来を選ぶことを。

 今も近くの広場にいる大事な妹が死なない未来が選択される事を。

 セルディナの思い描く偽物のハッピーエンドではなく、皆が笑える本当のハッピーエンドを迎えられることを。


「……私が居なくなったら、皆自由になれると思っていたの」


 セルディナは、そんなラルムの横で小さく呟く。


「セナ!!絶対に助ける!!」

「姫さん!!一人で死ぬなんて、許さねェからな!!」

「セルディナ様を殺さないで!!」

「魔物の聖女を救え!!恩を返さないで死なせるな!!」

「セルディナ様!!私達と一緒に逃げよう!!」

「ずっと一緒に居るから!!死なないでよ、セルディナ様!!」


 周囲の、セルディナの名前を呼ぶ魔物の声にかき消されてしまいそうな程に小さな声は、なんとかラルムの耳まで届いた。

 騒ぎの中心に、自身の妹も混ざっていることに苦笑しながら、ラルムはセルディナに「違いますよ」と告げた。


「貴女が居なくなったら、ここに集まった魔物の心はみんな、悲しみに縛られて一生幸せに何てなれませんよ」


 セルディナが魔物の皆に残したものは多すぎて。

 セルディナが死んで自由になれる魔物なんて、どこにも居やしないのだ。


 ロキはセルディナの死によって、魔力を暴走させて大勢の人間を殺して。

 なんとか生き残った魔物達は、どうすれば良かったのかと後悔し続ける。


 ラルムによって突きつけられた悲惨な未来と、今なおセルディナを救おうと藻掻き続ける魔物の姿に、セルディナはようやく自分の選択が間違っていたことに気が付いた。


『私は、セルディナ様に生きていて欲しいと願っています』

『私が守ります。絶対に、セルディナ様を殺させたりはしません』

『セルディナ様を危険な目に合わせたくありません』

『私はセルディナ様が望む限り、側に居ます』


 ずっと。ずっとロキは、セルディナに伝えようとしてくれていた。セルディナが生きていてもいいのだという事を。

 セルディナはそれを受け取ろうとしていなかった。いつか死んでしまうのだからと。あんまり期待をしてしまったら、死んでしまう時に悲しくなってしまうからと、ロキの言葉を拒絶し続けていた。


「……助けてと、言っても良いの?」


 呟くセルディナの声は震えていて。いつもは優しい笑みを浮かべ続ける顔は、戸惑いの感情が浮かんでいた。

 ……その瞳に浮かぶ涙を拭うのは、ラルムの役目ではないだろう。


 無言のまま、ラルムは顎で広場を示した。

 その先には、セルディナと同じように泣き出しそうな顔をするロキが居て。


「セルディナ様!!!!!!」


 ずっと言葉を発することが出来なかったロキは、セルディナの瞳に浮かぶ涙に気が付いて名前を叫んだ。

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