第37話 魔物の英雄は処刑台で笑った

「願いが叶うなら、どうか貴方が幸せになる未来を」


 一人で処刑台に立つセルディナの言葉を、ロキは理解する事が出来なかった。

 言葉の意味が分からないという事ではなく、何故セルディナがそんな選択をするのか、ロキには全く分からなくて。


「……セルディナ様、どうして」


 ダリアやギナン、それにセルディナに救われた他の魔物達がセルディナの名前を呼ぶ喧騒の中、呟いたロキの言葉はかき消されてしまった。


 ラルムの剣が振り上げられていく。

 それでもセルディナは、ロキの居る場所を見つめていた。










「私、あの子が良いわ」


 初めてセルディナの事を見た時、ロキは「また主人が変わるのか」程度にしか思わなかった。


 セルディナの前に、ロキの主人だった男は酷い人間で。機嫌が悪い時はロキの事を憂さ晴らしで殴りつけ、男にとって“生きていると都合の悪い人間”の殺しを、ロキに命じることは珍しい事でも無かった。

 最初は、他人の命を奪う事が苦しかったロキも、両の手の指よりも多くの人間を魔法で殺した後は、なんとも思わなくなってしまっていた。


 あの頃のロキは、世界に絶望をしていた。

 もしも自由になる瞬間が一度でもあれば、この身に宿る全ての魔力を使って、多くの人間を殺してやろうと考える程度には、ロキは魔物に厳しいこの世界を恨んでいた。



「だって、一番綺麗だもの」


 しかし、初めて会ったセルディナにそう言われて、ロキは呆然としてしまう。

 だってその瞬間、ロキは「子供の主人に変わるなら、隙が出ることも多そうだ」なんて考えていたのだから。

 “綺麗”だなんて言葉には程遠い、血に塗れた魔物に向かって微笑む存在は、ロキにはまるで理解の及ばない存在だった。


「貴方の名前は、今日からロキという事にしましょう」


 今までロキが出会った人間の中で、セルディナは一番優しい人間だった。

 ロキは彼女から、まるで人間のように名前を付けてもらった。

 名前が必要なものなのか、ロキには分からなかったけれど、セルディナに名前を呼ばれることは嫌ではなかった。


「貴方、よく見ると傷だらけね。痛いでしょう。こっちに来なさい」


 セルディナは、以前の主人によって付けられたロキの傷に気が付くと、治療を施してくれた。


「……何故、魔物の傷の手当を?」

「傷があったら痛いでしょう。直ぐに良くはならないかもしれないけれど、手当をした方が早く治るわ」


 治療を施されながら、ロキは何で魔物の傷の手当をするのか理解が出来なかった。

 魔物は人間と違うから、死んでしまったとしても捨て置かれるだけで。どんなに酷い怪我をしていても、人間には関係の無い事なのに。


「そうね。どうしても理由が必要なら、私がそうしたいからよ」


 それなのにセルディナは、ロキの治療を続けながらそう言った。

 ゆっくりとした動作でロキの体に巻かれていく包帯は、今まで触れたどんな布よりも柔らかくて心地よくて。

 セルディナに触れられた場所から、冷え切っていたロキの体がポカポカと温かくなるようだった。


「もうこんな怪我をしては駄目よ。えっと……セルディナ・マクバーレンが命じます。自分の身を守る時は自由に魔法を使いなさい。私より先に死なないで」


 慣れていないのだろうと察してしまう程、辿々しい命令は、どこまでも優しいものだった。


 セルディナは魔物ではないから、魔法が使えない筈なのに。セルディナの優しさに触れる度、ロキは魔法に掛けられたような気分になった。

 ロキの体には魔力があって、魔物という事は変わりようのない事実だけど。それでも、セルディナの近くに居て、「ありがとう」とセルディナから微笑まれる度、ロキは自分が生きていても良い生き物になれたような気がした。


「お願いよ、ロキ」


 セルディナからそう言われる度、魔力なんてものを持って生まれてしまって、人を殺めて血に塗れたロキが、これまで生きてきたのはきっとセルディナの助けになるためなのだと思えて。

 救われたような気持ちになって。自分が魔物として生まれてきてしまった事も悪くないと、いつしかロキはそう思えるようになっていた。




 魔力なんて無ければ、もっと楽な人生だったかもしれない。

 けれど魔力が無ければ、ロキはセルディナと出会うことも出来なかった。


 絶望をしていたロキに、幸せの意味を教えたのはセルディナだった。

 セルディナの隣に居ることが出来れば、ロキはそれだけで幸せだったのに……。








「願いが叶うなら、どうか貴方が幸せになる未来を」







 ……セルディナはロキの背中を押して、たった一人で処刑台へと向かってしまった。











 セルディナに刃が向けられたその瞬間、ロキは足が地面に縫い付けられたかのように動かなくなってしまって。


 セルディナの事を助けたいのに。

 セルディナが一言。たった一言「助けて」と言ってくれれば、ロキは何だって出来るのに。


 そのセルディナが、ロキの背中を押したから。

 ロキには、セルディナを助けて良いのか分からなくて。


 最後まで助けを求めることをしなかったセルディナが、ロキの視線の先で倒れた。


「セナ!!!」

「姫さん!!!」


 固まるロキの横を、ギナンが駆け抜けようとした。

 今すぐにセルディナを浚って、<治癒>の魔法を使う魔物に診せば間に合うかもしれないから。広場の地面を蹴って、セルディナの元へ行こうとしたギナンだったが……周囲の異変に気が付いて足を止めた。


「……ロキ?」


 その違和感の正体は、ピクリとも動かないまま、セルディナの居る方向を見つめるロキだった。


「セルディナ様……」


 呆然と立ちながら、呟くロキの周囲の空気がぐにゃりと動いた気がした。

 <身体強化>で感覚すらも強化されたギナンだからこそ分かる一瞬の揺らぎは、ロキの体から溢れる魔力によるもので。


「セルディナ様!!!」


 ロキが叫んだ次の瞬間、広場を大きな<爆発>が飲み込んだ。

 咄嗟にギナンは、ダリアの腕を掴んで広場から離れたけれど、何人もの人間と、逃げ遅れた魔物が巻き込まれた。

 悲鳴を上げる彼等を気にも留めず、ロキは爆風によって一息でセルディナの元まで行って……


「お前……!」


 止めようとしたラルムの体が、<爆発>に飲み込まれて、処刑台の下へと落ちていく。

 黒こげになりながら地面に落ちたラルムへ、数人の兵士が駆け寄った。


「セルディナ様!!」


 ラルムを一瞬で倒したロキは、地面に倒れるセルディナへと駆け寄った。

 セルディナの体から流れ出た血が、地面を赤く染め上げていた。

 ロキは自身の体も血に塗れることも厭わず、セルディナの体を抱え上げて。


「セルディナ様。私を、置いて行かないで下さい」


 呟くロキの声は、まるで迷子になった子供のように揺れていた。

 その瞳には、涙が溜まっていて。零れ落ちた涙がセルディナの体へと落ちていく。


「セルディナ様が私に幸せを教えて下さったのです。セルディナ様の側に居れることが、私にとって幸せそのものだったのです」


 ロキの言葉に、セルディナは何時だって答えてくれたのに。

 涙を流すロキの言葉に、セルディナが答えることは無かった。


「幸せになれと仰るのなら、セルディナ様、私は貴女と共に。例えそこが天国だろうが、地獄だろうが……」


 渦巻いていたロキの魔力が、ロキの意思を持って変質していく。


 真っ先にそれに気が付いたのは、ギナンだった。

 騒ぐダリアを抱え上げて、自由になった魔力で、全力の<身体強化>を使った。

 次いで、異変に気が付いた魔物の数名が、ギナンと同じように逃げ出した。

 逃げながら、強化されたギナンの耳には、ロキの言葉が届いていた。


「セルディナ様、お慕いしておりました」


 そんなロキの言葉を最後に、ギナンは耳に掛けていた<身体強化>を取り消した。

 その代わりに足へと魔力を回して、少しでも広場から離れようとした。

 王都の街並みを駆け抜けて……ギナンが広場から離れた数秒の後、背後から<身体強化>を使わずとも聞こえる爆音が響き渡った。


「セナ!!セナ!!!ギナンの馬鹿ぁ!!!戻ってよ!!!セナが死んじゃうだろ!!!」


 ギナンの腕の中でダリアが暴れていた。


「……馬ァ鹿。ロキが、姫さんを巻き込む訳がねェだろ」


 その言葉が示す意味に、ダリアは気が付いて暴れていた動きを止めた。


「やだよ……セナ、帰って来てよ……」


 ポロポロと涙を零すダリアに、ギナンも無言のまま唇を噛みしめていた。


 背後の広場は、轟々と爆炎が上がっていて……きっと、生きている人の方が少ないだろう。

























「この結末が、本当に貴女の望んだハッピーエンドでしょうか?」


 ふいに、誰かの声が響いた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る