第18話 銀光は公爵令嬢に忠誠を誓う
―――パチパチ……パチッ…………
暖炉の火が弾ける音に、ギナンはゆっくりと意識を取り戻した。
何かとてつもなく柔らかい白い布に、ギナンは包まれていた。
「ここはどこだ」と周囲を見渡せば、天井も高くて立派な室内の中だった。広い部屋に置かれた、これまた広いベッドの中で、ギナンは寝かされていたようだった。
綺麗で、暖かくて。ギナンとダリアが暮らしていた、スラムのボロ小屋とは、比べるのもおこがましい程、全く違う室内だった。
ギナンはゆっくりと起き上がって……寝かされていた大きなベッドの傍らに、ダリアが居ることに気が付いた。
ギナンが意識を失っている間に泣いてたのだろうか。涙の跡を顔に残したまま、ダリアはベッド横の地面に座り込んで、上半身だけをベッドに預けて眠っていた。
「……ギ、ナン」
ダリアの口から、消えそうなくらい小さな声で、ギナンの名前が呼ばれた。
ここ最近は、泣くことなんて無くなっていたダリアの掠れた声に、思わずギナンは手を伸ばした。
ふわふわと波打つダリアの赤髪に触れようとして……
「起きましたか?」
……誰の気配もなかった筈なのに、急に話しかけられた事に驚いて。ダリアに向けていた手を、ギナンは慌てて引っ込めた。
「お前、さっき貴族と一緒に居た奴だな!何の目的で、俺を連れてきやがった?」
豪華な部屋の入口に立つ男は、ギナンが意識を失う直前……狼に向かって魔法を放っていた魔物だった。痛みを訴える体を無視して、ギナンはロキに問いかける。
「酷い言葉遣いですね。セルディナ様にはお待ち頂いて、正解でした」
ロキはギナンの言葉に無視をして、部屋の中へ入ってきた。扉を閉めて、何故か鍵をかけて。そうしてギナンの元へゆっくりと歩いてきたロキに、ギナンは「おい」と言おうとした。言おうとして、それが出来なかったのは……口を開いたギナンの頭を、ロキが鷲掴んだからだった。
「そんなに焦らなくても、ちゃんとお答えしますから」
口調だけは丁寧な癖に、ロキの手の平は、容赦なくギナンの顔面を掴んでいた。
「ええ、まずは先ほどあなたが“貴族”とおっしゃった方ですが、彼女は私の主です。私の主はとても優しくて情け深い方なので、あなたを助けるためにこちらへお連れさせて頂きました。ここまではご理解頂けたでしょうか?」
「ご理解頂けましたでしょうか」なんて尋ねながら、ロキはギナンの頭を掴んだままで。ギナンが声を出すよりも先に、再びロキが話し出す。……うっすらと察してはいたが、ギナンには喋らせるつもりはないらしい。
「それで、優しくて聡明な私の主は、あなたの意識が戻ったら、話をすることを望んでいます。今は別室に居ますが、もう暫くしたらいらっしゃるでしょう。善意であなたを助けた私の主に対して、まさかそんな事をする筈が無いとは思っているのですが……無礼な態度で接したり、危害を加えたりしたら……分かりますよね?」
いっそ爽やかな笑みを浮かべるロキの、脅しとしか感じ取れない言葉に、ギナンはコクコクと頷いた。
同じ魔物同士だからこそ感じ取れてしまう魔力の揺らめきに、ロキの魔法使用が未だ許可されていると知ってしまった。
先ほどの野外で見せたような爆発を、流石に室内で起こすことはないだろうが……それでも、眠り続けるダリアを横にして、ロキを怒らせるのは不味いとギナンは判断した。
「わ、分かった」
「話の通じる方で安心しました」
脅しておいて、どの口で言っているのか。ロキはニッコリと笑うと、ギナンの頭から手を離した。
―――コン、コン
ロキの手が離れたのとほぼ同時に、部屋の扉をノックする音が響く。
「ロキ、ロキ?鍵をかけているの?様子はどうかしら?」
セルディナの心配そうな呼びかけに、ロキは「今開けます」と答えた。
「よろしくお願いしますね」なんて僅かに軽くなった口調で告げ、ロキはセルディナの待つ廊下に続く扉を開く。
「……あら、もう起きていたのね」
そうして、室内に入ってきた貴族の女を前に……ギナンはゴクリと唾を飲み込んだ。
美しい。けれど、平凡な人間だと、ギナンは思った。
平凡という言葉が正しい表現か、あまり学のないギナンには分からなかったけれど。少なくとも普通の貴族のように見えて、特別な力なんて何一つない、普通の人間のような女性だった。
ロキがあんなにも脅す程の何かがあるようには思えなくて……
「初めまして。ダリアから話は聞いているわ。貴方の名前はギナン……で、合っているかしら?」
……しかし、それは間違いだと、直ぐに気が付いた。
「怪我も一応治療したのだけれど……まだ痛むかしら?……ギナン?」
魔物の名前を呼んで、傷の事を心配する人間のどこが、普通なものか。
「お前は……」
思わず呟いたギナンの言葉に、セルディナは「セルディナ・マクバーレンよ」と返した。
名前を聞いた訳では無かったのだが、何を聞きたいのか、ギナン自身にも分かっていなくて。小さく「ああ」と、ギナンは言った。
ロキに「無礼な態度で接するな」とは言われていたが、丁寧な話し方なんて、ギナンはしたことが無くて。大丈夫だろうかとロキを見やれば、優しい笑みを浮かべながらセルディナの事を見つめていて……先ほど、ギナンを脅してきた人物と同じかと、一瞬疑いそうになってしまった。
「ダリアがね、貴方の事を心配していたの。隣国の国境に貴方が連れていかれたと。……連れ戻して、一緒に居させてあげたいと思ったのだけれど……まさか、あんな事になっているなんて知らなかったわ」
「あんなこと」とは、きっと、まだ生きているギナンが捨て置かれたような状況の事だろう。
頷いたギナンに、セルディナは少しだけ悲しそうな顔をした。
「ごめんなさい。貴方たちは何も悪くないのに、こんな扱いをする国で」
そう言って、頭を下げたセルディナの事を、ギナンは呆然と見つめた。
「なんで、お前が謝るんだ」
「私はこの国の貴族ですから」
セルディナの言葉は、ギナンには難しかった。貴族だから何だと言うのか。ギナンに暴力を振るったのが、セルディナではない事は確実なのだから、セルディナが謝る道理は何一つない筈なのだ。
「私、これでも王子様の婚約者になったの。……これから、きっと
セルディナが謝る道理なんて、一切なくて。
セルディナは特別な力なんて何一つない、普通の人間の筈なのに。
何故かギナンには、セルディナの姿が輝いて見えた。
「だからそれまで、
そう言って、セルディナはギナンに手を伸ばした。
ギナンもまた、セルディナの手を掴んで、「是」と答えた。
月明りの綺麗な夜の事だった。
金色の魔物と、赤色の魔物と、銀色の魔物に囲まれて、セルディナは国を変えることを誓った。
死にかけていたセルディナを、唯一救ったのが
セルディナもまた、誰にも救われない魔物の処遇を変えてみせると、心に決めた。
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