第19話 公爵は項垂れ、公爵令嬢は画策する

 マクバーレン公爵家の当主であるセシル・マクバーレンには、頭を悩ませることがあった。

 それが……


「お父様、遅くなってしまい申し訳ございません」


 ……それは、実の娘であるセルディナの事だった。

 話があると呼び出したセルディナの背後には、いつものように魔物の男が居た。セルディナが従者にと望み、セシルが許可を出した魔物だった。


「お父様。それで、本日はどのような御用でしょうか?」


 扉の前で綺麗な動作でお辞儀をしたセルディナは、しずしずと歩いてセシルの元までやって来た。足音もほとんど立てずに、セシルの前の席に座ったセルディナの所作は、非の打ちどころのない完璧な令嬢のそれだった。


 ……完璧な令嬢。だがその仕草は、子供が親に取るものでは無かった。


「……うむ。お前の婚約の件だ。殿下との婚約だが、お前の努力の結果だろう。よくやった」


 「ありがとうございます」と返すセルディナの事を、セシルはじっと見つめていた。


 何時からだろうか。セルディナがセシルに、他人行儀な言葉でしか話さなくなったのは。以前、愛していた妻が居た頃は……では無かった筈なのに。


 妻の横に立って、「お父様」と呼ぶセルディナの顔には、明るい笑みが浮かんでいた。今のセルディナにも笑みはあるが、どこまでも静かな……社交場で貴族を相手にするような、穏やかで冷たい笑みだった。


 ―――どうしてこうなってしまったのだろうか……


 考えたところで、セシルにはもう答えなんて分からなかった。

 妻を亡くして、悲しみに暮れて。どうにか立て直そうと仕事に奮闘し、後妻も娶って、新しい子供も生まれて。全てが順調の筈だった。

 なのに、セシルがふと気が付いた時には、セルディナとセシルの間に、見えないけれど確かに存在する壁がそびえ立っていた。


『私、あの子が良いわ。だって、一番綺麗だもの』


 従者を選べと告げた日。セシルはセルディナの表情に、かつての無邪気な笑みを見た気がした。


 ―――もしかしたら魔物がセルディナを、以前のような……亡き妻が居た頃のようなセルディナに、戻してくれるのではないか。


 そんな期待を、セシルは魔物にしてしまった。

 ……魔物の男を、セルディナの従者へすることを許可したのは、滅多に我儘なんて言わないセルディナの望みを叶えてやりたかったから。セルディナの心からの笑顔を、再び見たいと思ってしまったから。


「……それで、本題はどのようなものでしょうか」


 ―――しかし、魔物の男は、セルディナを変えることは出来なかったようだ。


「うむ。お前はもう、殿下の婚約者になったのだから、魔物を側に置くことを止めなさい」


 そう考えて、セシルはセルディナに告げた。

 セルディナの瞳が大きく開かれる。僅かに口が開いて、それから一度、閉じられた。何かを言いかけたセルディナは、一瞬小さく俯いて……


「それは出来ません」


 ……そう、言った。

 セシルにとって、セルディナは我儘も碌に言わない物静かな子供で。セシルでも距離感を図りかねる、大人びた子供で。その癖、時折思い出したように無茶を言う、少し困った子供だった。


「マクバーレン公爵家の評判を落とすような事はしません。殿下に相応しいと、必ず言わせてみせます。ですから…………ロキを取り上げるのだけは、やめてください」


 真正面からセシルを見つめて言い放つセルディナに、セシルは間にあった壁が、より強固なものになったような気がした。


「……ならば、好きにするが良い」


 諦めて告げた台詞に、セルディナは頷いて立ち上がった。

 本当はもう少し、話をしたかったセシルだったが、彼はセルディナの名前を呼ぶことを躊躇った。自分の、血の繋がった子供だと言うのに、セシルはもう、セルディナにどう接して良いのか、まるで分からなくて。


「失礼致します」


セルディナが部屋から出る直前、その背後に居た魔物が、ふいに振り返った。

セシルとロキの視線が交わって……セシルは何故か、「魔物が怒っている」と感じた。何の感情も無さそうな無表情の魔物だったが、その瞳には、確かにセシルへの怒りが宿っているような気がした。


 しかし、セシルには……後妻グラシアの異常性にも気付かず、仕事に没頭して、セルディナとの関わりもほとんど無くしてしまったセシルには、唯一の味方を取り上げられそうになったセルディナの嘆きも、ロキの怒りも、何一つとして、理解することが出来なかった。









『魔物の男は、セルディナを変えることは出来なかったようだ』


 そんなセシルの考えは、半分正解で、半分不正解。









「……ねぇ、ロキ。お父様、ロキと一緒に居て良いって言っていたわね」


 自室に戻る廊下を歩きながら、セルディナはロキを振り返った。


「ええ。良かったです、セルディナ様」

「本当に。安心したわ」


 嬉しそうにするセルディナを見て、ロキは密かにセシルへの怒りを募らせる。


 ―――あの人は何も分かっていない。


 ロキが、セルディナの元にやって来るよりも先に、セルディナの心は死んでしまっていた。

 生きることに執着しないセルディナは、ロキが居なければ、呆気なく死んでしまうだろう。


 自惚れでも何でも無く、ロキにはそれが分かっていたから、簡単に「魔物を手放せ」と言い放ったセシルに、ロキは激しい怒りを抱いた。


 ―――セルディナ様と同じ人間の癖に、どうしてセルディナ様を大事にしない!!


 セルディナがロキを選んだのは、いつか来る死へ備えてのものだった。

 死んでしまった心で、全てを諦めて、セルディナはロキの手を掴んで……


「ふふ、好きにすると良いですって。なら、ダリアとギナンも従者にしてしまいましょう」


 ……絶望しか残っていなかったセルディナが、今は悪戯げに笑っている。


「……流石に叱られませんか?」

「言質は取ったもの。叱られても構わないわ」


 ロキの手を掴んだセルディナは、セシルの望んだ方向に変わる事はなかった。

 しかし……


「お陰で動きやすくなったわ。部屋に戻ったら、早速魔物を救うための作戦会議よ」


……明日死んでしまっても構わないと、毒を飲み込んでいたセルディナは、確かに変わったのだ。

 それがセシルに取って、好ましいものかは分からないけれど。



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