織田作之助と、


 ──可憐な花弁が、頬を撫でる。


 一枚二枚なんてものではなく、数えるのも億劫になるほどの花弁が頭上から降り注ぎ、顔に身体に貼り付いて、気付けば視界を覆い、動きを封じる。

 それは小さな、桃色の花。

 暴れても暴れても、花弁は消えない。拭い取ることもできない。

 助けを求める為か、暴言でも吐こうとしたのか、どうにか開いた口に、すかさず花弁が飛び込む。

 窒息は時間の問題。

『──っ! ──っ!』

 そんな状態にありながら、俺は叫んでいた。

 誰かの名前を呼んでいた。

 そして手を伸ばすも、何も掴むことはできない。


 ──そんな、夢を視ていた。


 何とも不快な目覚めだが、意識を失う寸前にそんな光景を目の当たりにしてたんだ、嫌でも目に焼き付く。

 どうせなら、また太宰さんに会えた方が良かったが……そんなことを思っても仕方ない。

 さすがにしつこいだろうと決め付けて、瞼を閉じたまま、視覚以外の感覚で状況を確認する。

 俺は仰向けに寝ているようで、それは前回と一緒だが、今度は平らな所のようだ。

 風の音がしなければ、身体にあたるわけでもなく、埃っぽい臭いがするので、おそらくはあまり清掃の行き届いていない屋内にいるんだろう。

 ひんやりとした、硬い床の上。

 縛られてはいないみたいだが、安心はできない。

 ──瞼を開けたら、鉄格子のある部屋にいるかもしれないのだから。

 耳を澄ますと、話し声や作業音が聴こえてくる。

 俺以外に、この場には二人ほど人がいるようで。

 それがテンとムホなら良かったが、彼女がいたら、俺を床の上に転がしておくことはないはずだ。

 希望的な観測はしない方がいいかもしれない。

「……そろそろ」

「あぁ、頼む」

 誰かと誰かの話し声。

 誰か一人が、こっちに近寄ってくる。

 一歩、二歩、三歩、四歩。

 頭のすぐ傍で、相手は立ち止まる。


「──第一級危険住人・織田作之助、目を覚ましたなら早く起きなさい」


 少し舌足らずな少女の声が、聴こえた。

 起きろと言ってるわりには、本人の方こそまだ眠り足りなさそうで、どこかふわふわとしたその声に、敵意も冷たさも感じられない。

 やけに親しげな声だった。

「……」

「嘘寝はだめです、朝になったんだから起きましょ。レトルトのカレー温めてるんですから、冷めちゃいますもん」

「朝からカレーですか」

 思わずつっこんだら、カレーですと真面目に返された。

「織田作之助はカレーが好きなんです。そう決まってるんです。そしてカレーには牛乳です、だから私もカレーです」

「決めつけはよくありませんし、何がだからなんですか」

 まぁ、普通に好きだけれども。

「細かいことはいいんです。とにかくカレーです」

 面倒にでもなったのか、話し掛けてきた少女は屈んだようで、衣擦れ音と共に、彼女の声がそれまでよりもすぐ傍から聴こえた。

「ほらほら起きましょ。おにーさんも待ってます」

「……おにーさん?」

「はい、おにーさんもカレーです」

 同じくカレーを食べるのかと訊いたわけではないけれど……まぁ、いいか。

「さ、さ、織田さん! おーきーるー!」

 焦れた少女が俺の頬を叩き出す。地味に痛い。

 仕方ないから、片手で少女の手をやんわりと払い、もう片方の手で目元を擦ると、ゆっくりと上半身を起こしていき、瞼を開ける。

 彼女がここにいるなら、きっと、


「……いつからここは、留置所になったんですか?」

「そんなわけないだろ? ここは今も昔も、俺の隠れ家で、あいつの溜まり場で、お前の秘密基地だろうが」


 ニヒルな笑みを浮かべ、ココアシガレットをぼりぼりと囓りながら、いつもの自分の席に座って──坂口安吾はそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る