弐
生まれも育ちもこの街だと言えたら良かったが、物心つく前の朧気な記憶が確かなら、俺が生まれたのはこの街じゃない。
そこには、街の真ん中に流れる川があり、夜を照らす巨大な塔があり、二回か三回建て直された城があって、それから、それから……。
この街に川はない。塔はあるが形が違う。城もない。
あるのは、街をぐるりと囲うように存在する、四重に築かれた、建物五階分の高さがある金網のフェンスと、街の中央に建つ、長方形の箱を乱雑に積んだみたいな歪な塔。そして──北へ北へと、果てに向かってひたすら走った先にある、広大な海。
フェンスの向こう側にあるから眺めることしかできないが、それだけでも満たされる人間というのはいるもので。
「……」
例えば、夜に眠れない時や、気分を落ち着かせたい時とかに、車でここに来ることがある。
自分でも分からないけれど、何も考えずにこうしている時間がどうにも落ち着く。
自分が何者で、どういう立場にいて、何を得て何を失ったか、とか、自分の置かれた状況全て、忘れていられるからか。
漆黒に塗り潰されてほとんど何も見えない、あるいは白みかかった黄色の月に照らされた夜の海を、ぼんやり眺めるこの一時。
今夜は、ほんのり端の欠けた月が、数多の星と共に、夜の海に寄り添っている。
目で見ているだけでも良いが、瞼を閉じて、波音を聴くのも良いから、そろそろそうしようか、と思った所で、
「……っ」
黒電話の音が鳴る。俺のポケットからだ。
そこに突っ込んでいるスマホを取り出すと、画面にはバルの名前が表示されている。
心底リラックスしてる時に、それを邪魔するのは大抵、バルだ。
「……はい」
『織田先生! 昼間はありがとうございます!』
はきはきと大きな声だ。眠さなんて欠片もない。
スマホを耳から少し離し、眉根を寄せながら、返事をする。
「商売道具は取り返せましたか?」
『はい! 少しへこんじゃった所がありますけど、飾りで誤魔化せそうですし、大丈夫です!』
本人がそう言うのだからそれでいいんだろう。
「良かったですね、では」
おやすみなさいと、通話を切った。
何か聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
特別親しい間柄というわけではないのだ。少しばかり俺が厄介事などを気にしやすい性格で、それを知るバルが頼ってくるだけ……というのもあるだろうが、やはり一番は、
俺が『作者』で、バルが俺の『作品』であるからだろう。
物心つく頃には、俺はこの街に住んでいて、『織田作之助』という名前を与えられ、『作者』であると教えられてきた。
ずっと昔、会ったこともないが例えば祖父の、そのまた祖父が生後間もない頃に活躍した作家──文豪と呼ばれる人物だそうで、どうして自分にその名前を与え、『作者』であるだなんて教えるのか。
──それは、この街の特殊な事情にあるらしい。
建物五階分の高さがある、特殊な素材で作られた金網のフェンスにいくつも囲まれた街、
この地は昔から、それこそフェンスができる前から、特異な力を宿した子供が生まれたり、元から力が使えれば逆に弱まる、あるいは全く使えなくなるなど、何かと特異なことが起こる場所だったようで。
特異な力を善きことに使う者がほとんどだったら良かったのだが、悪しきことに使う者の方が圧倒的に世間の目に留まりやすく、特異な力を持つ者達を、何の力も持たない人々は疎ましく思い、いっそのこと、彼らを一ヶ所にまとめて世間から排除しようと考え、その場所として選ばれたのが空架だった。
本格的に話が進んでいくと手始めに、政府主導で街の周りにフェンスを築き、元からいた住人を閉じ込めた。
そこで生まれた住民のほとんどが特異な力を宿していたのはもちろん、噂を聞いて余所の土地から移り住んだ者もいたが、中には何の力も持ち合わせていない人間だってそれなりにいたにも関わらず、その街で生活していられたのだから、無自覚なだけで特異な力があるはずだと勝手に決めつけ、街から出ていくことを許さなかった。
至る所に監視カメラを設け、武装した人間を巡回させ、遠隔操作できる大きな機関銃を何台も設置し、外から常に住人達を見張った。
臆病者共ご満足の檻が完成すれば、後は街の外で好き勝手している者達を、そこに入れるだけ。
弱き者は、脅すなり、薬を用いるなり、金をちらつかせるなりして中に入れ、
強き者は、従うなら空架に入れたし、抵抗するなら殲滅した。
そうして、
街の外での事件は、ぐっと減ったそうだが、
街の中は荒れに荒れ、目も当てられない状況になったらしい。
自由に使えた特異な力が全く使えない、使えたとしても思ったように使えない。
それでもフェンスを壊そうと躍起になる者もいたが、特別な素材で作られたそれは傷を付けることも叶わず、巡回者や機関銃で撃たれ、大抵は命を落とした。
脱出を、自由を諦めざるをえない状況に住人は苛立ち、憎悪し、絶望し、大なり小なり罪を犯す者が後を絶たなかったのだと。
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