アド・バルーン
壱
俺に連絡してきたのは、バルと呼んでいる女だ。
バルは今時珍しいことに、紙芝居屋をやっており、主に街の中央にある広場を活動拠点にしてるものの、呼ばれればどんな所にでも行く。
養護施設や何かの催し物、飲みの席、後はそれから、個人的な依頼にも応えることがあるんだとか。
『でも流石に女の子なんで野郎ばっかりの密室に呼ばれるのはちょっとって言いまくってるのに何故か呼ぶバカいるんですよおかしくない? 私ちゃんとムリ! ダメ! って言ってるのに』
「きちんと調べてから承諾しましょうと、いつも言ってますよね?」
『……ごめんなさい』
バルはそれなりに見てくれが良い女だから、質の悪い男に目を付けられやすい。
つまり今回は、そういうことだ。
幸いにもバルが呼ばれた場所は俺のいる所から近く、通話したまま小走りにそこへ向かう。
「状況は?」
『取り敢えず、柄悪そうな奴二人にムリヤリ建物の中に連れ込まれそうになったので、二人ともはっ倒して逃げて、路地裏のゴミ箱の陰に隠れてますよ。たまに私を呼んでるような声が聴こえてきます。クソみたいな声だなぁ……』
「感想はいらないです。ちなみに、商売道具は持っているんですか?」
『……うぐぅ、その……』
みなまで言わなくていい。
はっ倒した時にでも使って、そこらに放りっぱなしにでもしたんだろう。それなりに大きくて重さもある物だし、手元にあるならいつまでも路地裏に隠れている必要もないわけで。
しかし、商売道具で何をしてるんだか。
『と、とにかくですね! 先生がこっちに着きましたら、私が囮になってあいつらの注意を引きつけるんで、その間に先生は私の商売道具を回収して、安全な所にまで持ってっちゃってください! 連絡してくれたらすぐにぶちのめしちゃうので!』
どんな厄介事かと思えば。
「話し合う余地はないのですか?」
穏便に済むならそれに越したことはない。
今回の件、多少のことはしても仕方ないかと思わなくもないが、やはり暴力沙汰は面倒を呼び込む。……それを分かってくれる人が、どれだけいるだろう。
バルは間違いなく、分かってくれない人に分類される。
『そんなのムリで……あっ』
「どうしました?」
『あ、あい、あいつら……!』
それまでの呑気な声と打って変わり、怒りに染まった低い声が聴こえてくる。
ちょっとよろしくない展開になってきた。
「落ち着いてください、バル」
『商売道具を壊されてたまるかっ!』
やっぱりそういうことを言われたか……。
それで人に暴力を振るっておいて、どの口が言うのか。
「バル、」
何か言おうと名前を呼ぶも、
『お前らぁぁぁぁぁ!』
時既に遅し。
バルは路地裏から出てしまったらしい。間もなく、男達の悲鳴が耳に届くことだろう。
こうなってしまってはもう駄目だ。力の限り、走り出す。
間に合う間に合わないはこの場合問題ではなく、問題なのはその相手。
──果たして、バルにちょっかいを掛けてきた人間は、どこに属している人間なのか?
こうなってしまう前に訊くべきだった。これではバルのことは言えまい。
せめて単なるチンピラであれと願うばかり。
『──織田作之助、アド・バルーン』
最初にバルが呼ばれたという建物の近くまで来た時だ。
スマホから、バルがそう口にしたのが聴こえた。
「……っ!」
始まったか。
通話を切って足を止め、じっと耳を澄ましてみる。
幸か不幸か、この付近には三階や四階建ての雑居ビルやアパートがいくつも建てられているものの、随分昔に人が大勢退去し、ほったらかしにしたままなので、昼間は大抵人気もない閑静な場所になっており、だからこそ難なく聴こえてくるはずだ。
何かを破壊する音だとか、誰かの悲鳴だとか。
けれど待つ必要はなかった。地面が揺れ、そんなに離れていない所から破壊音と、汚い悲鳴が聴こえてきた。俺は音のした方へと走り出す。
そこには、
「たすっ……たすけっ」
「出来心だったんです!」
顔面蒼白で地面に尻をつく、確かに柄の悪そうな男二人に、
「『もちろん泛ばぬこともなかった。が、やはりテクテクと歩いて行ったのは、金の』」
言葉を紡ぎながら拳を掲げ、一歩一歩地面を踏みしめて男達に近付く、少し乱れ気味のお団子頭の女──バルの姿。
彼女の歩いてきた道とその足元は、彼女の足の形に砕かれている。
まるで、彼女自体が重いかのように。
「……っ」
女性に対して失礼な上、バルの体重は平均値だと聞いている。この場合、特別彼女が重いからそうなったわけではなく、彼女がわざと地面を踏み砕いているのだ。
バルという女性、確か俺より三歳下の十六歳だったはずだから少女には、それができるだけの力がある。
特異な力がある。
「バル、もういいです。十分効いてます。それ以上は」
「『一つには放浪への郷愁でした。そう言えば、たしかに私の放浪は』」
やめる気はなさそうだった。
バルが近付くのと比例して、男達の悲鳴が大きくなる。不埒なことを企てた結果がこれなわけだから、放っておいてもいいのだが……そういうわけにもいくまい。
俺が溜め息を零すのと、バルが男達の正面に立ったのは、ほとんど同じだった。
「『いわゆる月足らずで、世間にありがちな生れ』」
「『──アド・バルーン、ブックマーク』」
そう俺が口にした途端、バルは目を見開いた。
「……だった、けれど……」
それまでの調子はどこへやら。今にも振り落とそうと掲げていた拳は空中で止まり、小刻みに震えながらもそれ以上身体を動かすことはなく、男達から目を逸らさずにバルは俺に言った。
「何で、止めんの? 織田先生」
「君がやめてくれないからですよ、バル。俺はもういい、十分だと言いましたよね?」
「……言ってたけど、でも!」
「バル」
「……っ」
バルはそれ以上、何も言わなかった。
口を一文字に結び、俯くと、掲げていた拳を降ろしていく。
尻もちをついて怯えながらバルを見ていた男達も、彼女が何もしてこないことを察すると、揃って顔を赤くし、立ち上がろうとするので、
「余計なことはしないでください。君達は今、俺の『作品』にケチをつけている」
睨み付けながらそう言った。
片方が、何を言ってるんだこいつ、みたいな顔をしていたが、もう片方は、はっとした顔で俺を見て、
「織田先生、俺の作品。──まさかお前、織田作之助かっ!」
ほんのり怯えの滲んだ声で、そう叫ぶ。
「なっ! そいつって確か、三羽のカラスだかいう」
「三羽鴉」
どうやら両方知ってたようだが、うろ覚えなようなので訂正させてもらう。
「無頼派三羽鴉が一羽、織田作之助」
わりと気に入ってるのだ、間違えて覚えられたくないし、呼ばれたくもない。
俺の正体を知ると(同時にバルの正体を察すると)、男達はまたぞろ顔を青くし、がたがたと震えだす。
バルに退くよう言い、男達に近付く。今度はすぐに行動してくれたので、彼女と入れ替わりに男達の正面に立った。
「バルを呼び出したのは、君達だけですか? 他にいませんね?」
そう訊ねると、二人揃って首を横に振り、「いませんいません」と口にする。次いで、何故バルを呼び出したのか訊ねようとしたが、ペラペラと向こうから話してくれた。
「昨日、こいつが賭場でけっこう儲けまして、居酒屋で一緒に呑んでたんですよ、こいつの奢りで」
「俺より呑んでたアニキはベロンベロンでしたけど、俺はホロ酔いくらいで、楽しく呑んでたんです。そしたら急に、風に吹かれたチラシがアニキの顔に止まりまして」
「……」
いつだったか、仕事の宣伝用のチラシを、バルと一緒に作ったことがある。
「所々掠れて読めなくなってたけど、どこでも行くとか、女の名前と電話番号が書かれてるのは分かって」
「今朝、酒が抜けてからその話聞いて、確かにまだ金があることだし、試しに電話掛けたら……女の声で元気良く『お電話ありがとうございますっ! 呼ばれればどんな所にでも伺いますっ! 出張……』の後からもう聴いてなかったな」
そして呼び出し、こうなったと。
出来心だったんですだの許してくれだの、くだらない戯れ言を聞き流し、一応、こう訊いてみた。
「──つまり君達は、『白樺』とは何の関係もないわけですね?」
男達はぎょっとした顔で何度も頷いてみせた。
「単なる博打好きの呑んだくれだ!」
「あんなおっかない奴らとはできるだけ関わりたくない!」
「……そうですか、了解です」
それが分かればもう用はない。
視線をバルに向け、
「『ブックマーク、解除』──一人二発、殺さないよう、手加減はしてくださいね?」
俺の言葉に男達は悲鳴を上げるが、やはり不埒なことを企てたんだ、報いは受けないといけない。
バルはニヤリと笑い、
「なるべく気を付けますよぉ」
一呼吸してから、また言葉を紡ぎ始める。
「『ありがちな生れだったけれど、よりによって生れる十月ほど前、』」
もうこれ以上ここにいる必要はなし。
俺は三人に背を向けて、その日はそのまま家路についた。
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