無頼鴉の厄介事
黒本聖南
いつかの三羽
零
──こんな世界でも、お伽噺の一つに加えてもらえるんでしょうか?
ほとんど無意識に口から零れた、無意味な問い掛け。
それに最初に答えたのは、太宰さんだった。
「どちらかといえば、ジュブナイルじゃない?」
古びたバーの五つあるカウンター席、そのど真ん中に座り、白桃味のロリポップキャンディーを気怠そうに舐めながら、右に座る俺にも、左に座る坂口さんにも目を向けず、ただ真っ直ぐ、誰も立っていない正面をぼんやりと眺め、
「お伽噺ってのはもっとこう、ファンシーな世界で使われるべきだよ。ここは何と言うか……少年少女が世界の為にー、自分の持てる力を全て使いー、時に共闘しー、時に乱闘しー、あれやこれやするー、みたいな感じじゃない?」
ねー? なんて同意を求められたが、視線は前を向いたまま。それは誰に向けてのものだったのか。俺も坂口さんも、同意はしない。
「それならライトノベルだろうよ」
カウンターの上に頬杖をつき、ニヒルな笑みを浮かべてそう指摘すると、坂口さんも口淋しくなったのか、懐から煙草──否、ココアシガレットを取り出して、一本口に咥えた。
「ジュブナイルってのは一昔前に流行ったもんだろう? 懐かしの作品くらいにしか使われない。今はやっぱり、ライトノベルだって」
「……では、この世界は、」
ライトノベル、なのか。
「安吾が言うならそーなんじゃん?」
「別に何でもいいけどな」
急にどうしたんだよ、なんて、口の端を吊り上げながら、坂口さんが訊ねてくる。
まともな理由などないものだから、苦笑混じりに何でもないと答えるしかなく。
──それでも敢えて、無理矢理答えを作るなら、
ただ単に三人で、くだらない話がしたかっただけだ。
「……いつもみたいに」
昔みたいに。
吐息を零して、閉じていた瞼を開ける。
目に入るのは、それまで三人がいたバーの、うっすら埃が積もったカウンターと、そこに置かれた小さな電池式のランプのみ。
鮮明になるのを待たずとも、この空間に自分以外の人間の姿を確認することなどできない。
ここには最初から、誰もいなかったのだから。
「……っ」
ずっと昔に潰れた、地下に作られたバー。
坂口さんが最初に見つけて使っていた隠れ家で、この場所のことを知った太宰さんが三人だけの溜まり場にしようと言い、秘密基地に憧れがあった俺は坂口さんの様子を窺いつつ賛同した。
埃っぽくて朽ちかけたこの場所に、居心地の良さを覚えていたのはきっと、あの二人がここにいたからだろう。
ぼんやりと、空いた二席を眺めると、ランプの灯りを消して、ポケットに入れたままの冷めた缶コーヒーを取り出し、自分の前に置いた。
「俺はブラック無糖の缶コーヒー」
カウンターのイスから立ち上がると、自分の隣、ど真ん中の席に近寄り、未開封のロリポップキャンディーを置き、
「太宰さんは白桃味のロリポップキャンディー」
更に隣に移動して、シガレット菓子の箱を置く。
「坂口さんはココアシガレット」
何の意味もない、単なる感傷行為を終えると、缶コーヒーとは反対のポケットに手を突っ込み、そこにあるスマホの電源を入れて、地上に向かう。
寒々としたこの場所に、外野の奏でる騒音はいらない。
一度も振り返ることなく階段を登りきり、数分振りに浴びる昼の陽光に目を細めていると、黒電話の音を鳴らしながらスマホが震えた。
きっと『作品』のどれかからだろう。……大方、予想はつくが。
歩みを止めず、画面も見ず、機械的に足を動かしながら前だけを向いて、電話に出る。
『織田先生何やってたんですか今すごく大変で』
捲し立てるように喋る相手の声にうんざりしつつ、ゆっくりと頭からバーでのことを追い出していく。
さっきのことも、昔のことも。
厄介事を片付けなければいけないんだ、感傷に浸っている暇は俺にはない。──なんて、思いつつ。
あの三人で、あの場所に集まることはもうない、という事実から、目を逸らしていたいだけなんだろうけれど。
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