編集済
同じ年齢の物書きとして、興味深く読ませていただきました。非常に面白かったです。以下、感想。(レベルの高いの作品なので、自分なりにレベルの高いことを書いたつもりです。不快な思いをさせてしまうようでしたら、削除していただいて構いません。)
※
本作は「不変に普遍する」……言い換えれば、「ありのままに解放される」物語だ。ドームに違和感を持つ主人公は、過去の記憶を象徴する「ハウス」において、同級生と交流する。
「わたしは友達として、少しでも葵と長くいられるように努めよう。『高校時代からの親友』とラベル付けされた関係性なら、きっと、永遠とまではいかなくとも、少しは──。」
ドームという規定された世界にある、ハウスという規定された箱庭で、自らを規定し生きて行こうかと考える。だがしかし、登場する中で最小の世界「箱庭」の破壊によっって、物語は動き出した。
ドームは、不変の世界である。ハウスも、主人公の過去の記憶との合致において、不変の世界と言えるだろう。不変が破壊されることで、主人公自身の変化が不必要となる(不変がもたらされる)構造には、一種パラドキシカルな側面が見受けられた。このイメージは、他に「死ぬほど過ごし」やすいドーム内と「夏は死ぬほど暑く、冬は死ぬほど寒い、全くもって住みにくい」ドーム外との対比にも見られる。主人公にとって、前者は過ごしづらい世界であり、後者は住みやすい世界なのだ。
著者によるコピー「少女は不変に普遍する」の、「普遍」。これは恐らく、ドーム外への脱出、解放を指している。しかし私は、ここに僅かな違和感を覚えた。前述したようなパラドックス(あるいはアイロニー?)を提示してきた著者が、なぜ「ドーム外=普遍」という、根拠のない視点設定を行うのか? 内部からすれば、内部が普遍。外部からすれば、外部が普遍。主人公が自らを普遍と定義する必要性も感じられず、若干の疑問符が残ってしまった。
追伸:カクヨム甲子園中間突破おめでとうございます。
作者からの返信
蛇足とは思いますが、ひとつの見解をば。
コピーは、あくまでも読者、第三者、「大人」の視点からの描写です。彼女らはもはや、2人でいる限り自らの立ち位置を定義付ける必要もない訳ですが、しかし「大人」は彼女らを規定し、解釈の枠のなか(あるいはドーム)に押し込めようとします。それを表象させたのが、つまりはコピーなのです。……後出しジャンケンにはなりますが。
こういう、議論を引き起こすようなレビュー・コメントは何より嬉しいものです。ありがとうございました。
まず、「お天気ドーム」という近未来のありそうでない設定が面白かったです。日本人はグローバル化や技術革新の波に乗り遅れまいとする一方、四季を大事にする人種ですからここまで合理化された街にはなって欲しくないと思いますが。
その設定を抜きにしても一つ一つの描写が細やかで特に心情描写に秀でてらっしゃるな、と感じました。高校生の未熟な感じをリアルに表現しつつ、その中で葛藤する主人公に心を動かされ、さらにとても勉強になりました。
素敵な作品ありがとうございました。
作者からの返信
浅田さやかさん
ていねいな感想、ありがとうございます。お互い精進していきましょう。