幼馴染と風紀委員
真面目な妹と母親から持ち歩くようしつこく言われてたポケットティッシュが、ここで役に立つとは誰が思うだろうか。
傷は浅かったのか、通学路中間地点に到達する前辺りで鼻血は止まった。
だが痛みはまだ余韻が残っている。
鼻の先端と額の痛みを手で交互に押さえながら歩を進める。
「おっはよー!」
「いッ!?」
静かな朝に響く大きな声、そして背中を叩かれ新たな痛みが生成された。
「な~に~? ほんの軽く叩いただけじゃん」
俺の後ろから前に回ってきたのは、同じ制服を着た女子生徒だった。
黒いショートボブに前髪ぱっつん、『元気っ子』の肩書きが似合いそうな笑顔、そしてスポーツが得意そうな引き締まった体躯。
「お前なぁ……」
俺は尚も目の前で笑い続ける、泉琴葉(いずみことは)に睨みを利かせる。
「シロ~? まぁた朝から仏頂面して、目が死んでるぞ!」
こちらの
「仏頂面と死んだような目は生まれつきだ。それより、他に言う事はないのか?」
「ん? おはよ」
「さっき聞いた」
「今日朝練無しなんだぁ」
「興味ない」
「生命線長いねぇ」
「なぜ俺の尻に言う」
「アッハハ、冗談冗談。ごみんね、痛かった?」
「痛いから怒ってることを理解してくれ」
「はいはい、ごみんなさいごみんなさい」
「ったく……」
琴葉のペースに乗せられ、朝の不幸コースに疲労が上乗せされる。
正直このまま回れ右をして帰りたい。
「ありゃ、オデコと鼻赤いね。どしたの?」
「転んだ」
「へぇ……プ! おドジさん……ッ!」
「やかましい」
「ごみんごみん。で、鼻打って血も出ちゃった感じかな? 周り真っ赤だし」
「ああ、でも早めに止まってくれたから助かったよ」
まだカサカサするけど。
「それなら良かった良かった」
琴葉がまたニッと笑う。悔しいけど可愛い。
「それじゃあ学校までレッツゴー!」
少年みたく握り拳を片方天に向かって掲げ、琴葉は歩き出した。
同じ通学路を歩く、同じ制服を着た生徒数名に見られ、中にはクスクス笑う者もいた。
恥ずかしい気持ちもあったが、琴葉の長所を否定する権利など俺には無い。
ただあの元気に釣られるように後を付いて行く。
互いにクラスが違うこともあり、今日の授業内容や勉強について雑談をしていると、正門が見えてきた。
その前では風紀委員のメンバーが服装の乱れがないかの検査を行っている。
県内でも進学校と言われているが、実績が本当かどうかは微妙だ。
ここを選択したのも、通学費を浮かすためだし、特にやりたいことも無かったから、せめて進学校に行って進路だけは真面目に決めていこうという、俺なりの魂胆だ。
両親も『やりたいことが無いなら無理して高い学校に行く必要はない。学校に行くだけでも素晴らしい事だ』―と言ってくれた。
第三者から見られたら期待されていない息子と揶揄されるだろう
一か月経過し、まだ部活にも入っていない。やりたいことも見つかってない。
それに比べ琴葉は、陸上部所属に加え、生徒会の書記も務めている。
正に自分のやりたい事を一心に突き進んでいる。正直羨ましい。
しかし焦ったところで見つかるもんも見つからない。
今はただ学校で何も起こさず、親にも迷惑をかけず、適度な成績を取り、平穏に過ごして卒業していく。これが一番良い流れだ。
まあ、その内やりたいことが見つかるでしょうよ。
なんてったって後三年間あるんだから。
あれ?
分かりやすいダメ人生フラグかな?
「あ……」
「ん、急に止まったりしてどしたの? 忘れ物でもあった?」
「いや……」
俺が歩を止めたのは、忘れていたことを思い出したりとか、体調がおかしくなったからという訳ではない。
「…………」
相変わらず素敵な人だ……。
腰まで伸ばした黒髪は艶があり、日光で綺麗さが増している。
輪郭は整っており、容姿は美しいの一言に限る。
前髪を下ろしたまま着けられた白いカチューシャは、可愛さを引き立たせていた。
スラッとした細身の体躯は、雑誌の表紙に載ってもおかしくないレベルだ。
紅高の風紀委員に所属し、更にはメンバー全員をまとめあげる風紀委員長も務める二年生の先輩だ……。
入学して次の日に見掛けた際、その美しさと可愛さから一目惚れした。
何回か話し掛けようかと思ったが、彼女の前に立つと口が動かなくなる不可思議な現象が起きて未だに挨拶しか碌に交わしていない。
それなら風紀委員に入ればと思うが、俺のような貧弱野郎が務めれるような、そんな甘い委員会でないことは熟知している。
確かに一度は入部届を書くところまではいけたが、出すタイミングを逃して記入済みの用紙は今や机の奥にグシャグシャに仕舞い込んでしまっている始末……。
いずれは告白して付き合いたいと考えていたが、この調子じゃあ告白どころか話し掛ける事さえ不可能だ……。
それに……〝コレ〟のこともあるし……。
今俺ができることは……こうやって、彼女を遠くから眺めるのが限界だ。
「ねぇ、ホントにどうしたの?」
「あ、いや。わりぃわりぃ、ちょっとボーっとしちゃってさ!」
「ふぅん、具合悪いなら言ってね。保健室まで送るからさ」
「おう、サンクスな。じゃ、行こっか」
「うん」
朝の日課も終わらせ、再び歩き出す。
「止まってください」
正門を通過しようとしたその瞬間、『風紀委員』のラベルシールが貼られた黒いファイルが通行を遮った。
横から突如現れたファイルの出先を見ると、眉間に皺を寄せた女子生徒が睨んでいた。
「国見……どうした……?」
肩にかかる程度の長さの髪、身長は琴葉よりも少し高い、容姿端麗の彼女が、どういう訳か正門を通してくれなかった。
「ネクタイ……」
「……はい?」
「ネクタイが曲がってます!」
語気が強くなった。
怒りメーターいきなりマックス?
触れると確かにネクタイが曲がっていた。
朝きちんとしたはずが……あ、転んだときか。
「わりぃ、今直すよ」
正門前でネクタイを取り、一から結び直す。
「プ……! シロ、かっこ悪! 朝から怒られてるの」
隣で琴葉が笑う。同様に正門を平然に通る数名の生徒も俺を見て笑う。
顔覚えたからな?
「アナタもです!」
「はいッ!?」
調子に乗って笑っていた琴葉に、国見が先ほどと同レベルの語気で言い放った。
「学校指定のローファーじゃありませんね。朝練があるなら許しましたが、今日の陸上部は朝練無しと聞いています」
「あっちゃ~、癖で履いてきちゃった……」
「今から履き替えてくれば、減点は免れます」
「えぇ!? そんな~……今からじゃ走っても遅刻確定だよ」
「でしたら減点ですね。忘れたご自身の自業自得なのですから」
「嘘~……」
「国見、いくらなんでも厳しすぎじゃ―」
「校則は絶対です!」
眼鏡を軽く整え、ずいっと顔を近付けられた。
可愛い顔が般若の如く怖かった。
「はいすみません」
彼女に逆らうのはやめようそうしよう。
「シロ……」
琴葉が情けないモノを見る目でこっちを見ていた。
すまねぇ琴葉……負けちまった。
その後ネクタイの曲がりを確認してもらい、『下手くそですね』と一撃をもらったが減点は回避できた。
一方減点を受けた琴葉は、国見の悪口を言うのかと思いきや、来週は絶対間違えない! と自分に言い聞かせていた。この子良い子。
昇降口に向かい、自分の上履きと外履きを入れ替える。
そのとき、溜め息が自然と出た。
朝から大ケガし、幼馴染のペースに乗せられ、ただでさえ疲労たっぷりに追い打ちをかけるように最後は風紀委員からのお叱り……今日はとことん運に見放されているようだ。
三度あることは四度あるとも言うけど、出来ればここから今日一日なにも起きてもらいたくない。
今は祈ることしかできなかった。
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