第13話

一一


 4月13日

 ウェーク島北北西150カイリ


「くそっ。逃がしたか」


 西村は、オマハ級が距離を取るのを確認した。


 さんざん砲弾を叩き込んだのに、一発も直撃を与えることができなかった。

 敵ながら見事な操艦だ。


「副砲、撃ち方やめ。やめだ」


 西村は命令を下すと、天城をつつんでいた砲声がぴたりとやんだ。

 不気味な静寂が艦橋に広がる。

 海風が吹き込み、熱気に満ちた空気を流す。


 大きく息をついたところで、西村は戦いに一区切りがついたことを実感した。


 右舷海域の米艦艇は、いずれも転進、距離を取りはじめている。

 敵一番艦はゆっくりではあるが、離脱に入り、それを二番艦が守るという形を取っている。

 周囲にはいつしか駆逐艦が貼りついて、さかんに煙幕を展開している。


 右舷後方でも重巡が面舵を切っており、戦場から離れるコースを取っていた。


 日米艦隊の戦闘は終焉を迎えた。

 この先、彼我の艦隊が接近して、攻撃することはまずあるまい。


 西村は軍帽を取って、軽く首を振った。


「逃がしたか。もう少しで仕留められるところだったのだがな」


「いや、よい頃合いでしょう。これ以上の戦闘は、こちらにも厳しかったと判断します」


 いきなりの返答に西村が振り向くと、背後で森下が立っていた。顔には笑みがある。


「航海長、いつの間に」


「そろそろ話し相手が欲しい頃かと思いましてね。勝手にあがってきました」


 腰の軽さはあいかわらずだ。

 勝手に持ち場を離れるのは問題であるが、もう戦いは終わった。とやかく言うのも野暮だ。


「助かるよ。ちょうど一息つきたかったところだ」


「見張所に行きますか」


「さすがに、それはな。ここでいいさ」


 西村は窓に歩み寄った。


 米艦艇は集結して、東に向かいつつある。

 煙幕はあいかわらず濃く、各艦の視認は困難なままだ。


「煙幕の展開は考えていたのだが、まさか砲戦中に割り込んでくるとはな。大胆なやつだ」


「オマハ級ですね。なかなかできることではありませんよ。直撃を喰らったら、あの世行きですから」


「あれで流れが変わった。視界を確保できず、砲撃の継続が困難になったからな」


 米艦艇がいっせいに煙幕を張ったことで、砲撃は精度を欠き、至近弾すら与えることができなくなった。そのうちに艦影を捉えることすらできず、天城は主砲による攻撃を停止した。


 当てつけのように副砲で、オマハ級をねらったが、二発の至近弾が精一杯で、最後まで直撃を与えることはできなかった。

 その間に、レキシントン級は離脱し、他の艦艇もそれにならった。


「追撃しようにも、こちらの艦艇も傷ついていました。赤城は航行不能、妙高も戦闘不能。駆逐艦は複数が被害。これではどうにもなりません」


「航空支援にも限界があったしな」


 龍驤型は竣工したばかりの新鋭艦であり、搭乗員は戦闘には不慣れだった。

 九六式艦戦や九七式艦攻は新型で数も少なく、第二波、第三波の攻撃は不可能だった。


 むしろ、よく最初の攻撃で、あれだけ戦果を挙げることができたものである。海戦に割って入ることができただけでも奇跡に等しい。

 米艦隊が退却に入ったところで、西村も敵との距離を取る決断を下した。

 できればオマハ級は仕留めたかったが、うまくいかなかった。


「司令部は追撃を考えていたようですが」


「無茶を言うな。赤城が傷ついた状況で、何ができるのか」


「信号が来ていますよ」


「放っておけ。うかつに追撃すれば、潜水艦に喰われる。今は生き残ることが最優先だ」


 嶋田長官はなおも米艦隊と戦う意志を見せていたが、麾下の艦艇がもはやついていけない。

 米艦隊が撤退したのは、こちらにも幸いだった。あわせて下がるべきだろう。


「伊藤に説得してもらうしかない。まあ、行けと言われても、俺は行かないがね」


「そう言っていただいて、安心しました。味方の救助もしませんとね」


 森下は、黒く煙った太平洋を見やる。


「この戦い、どっちが勝ったんでしょうね」


「米戦艦部隊を追っ払うことはできたが、この状況では、ウェーク周辺を抑えることはできん。俺たちも後退するから痛み分けだろうな」


「それで上は納得しますかね」


「してもらうさ。そもそも、どさくさ紛れに戦果をかすめ取ろうという考えが間違っていたのさ」


 休戦が近い時期に、ウェーク島を抑えて、海軍の実力を誇示しようとは。そんな政治的な作戦がうまくいくはずがない。

 しかも用意した艦艇は20隻であり、本命の戦艦は温存である。

 こんな手前勝手なやり方で勝とうとは、虫がよすぎる。


「ここは逃げるさ。無理して犠牲者を出すことはない」


 西村はふっと息を吐く。


「問題はこの先だな。まあ、今回の戦争はいいとして、次はどうなるか」


「気になりますね。この戦訓を受けて、どうアメリカが動くか。航空攻撃への対処は当然でしょうが、それ以外にも手を打ってくるでしょうね」


「虎の尾を踏んだかもしれぬ。まったく、余計な事をしてくれたものだ」


 今回の戦争で、西村はアメリカの実力を思い知った。

 欧州情勢がからんだおかげで、アメリカは太平洋に集中できなかったが、それでも海戦で決定的に敗北することなく、逆に日本を追い込んだ。すさまじい国力であり、海軍力である。


 しかも、今回、奥の手の航空攻撃も見せてしまった。


 それが今後、どのように影響するか、西村には予想がつかない。


「転進だ、航海長。赤城を守りつつ、戦場から離脱する」


「赤城を守りつつ、戦場を離脱します」


 森下は復唱すると、笑って艦橋を出て行った。

 まだ日は高く、艦橋に差し込む陽光は強い。


 それでも先々のことを思うと、西村の心は暗くなる一方で、中部太平洋の明るい光を堪能することはできなくなっていた。



 この後、日米は太平洋で砲火を交えることはなく、6月12日に休戦を迎えることとなる。

 双方とも失ったのは艦艇だけで、領土は何とか維持し、フィリピンや内南洋の基地も損害をこうむることはなかった。


 政治的には痛み分けであり、後の講和会議でも賠償金の話は一度として出なかった。

 軍事的にも引き分けであり、日米海軍は共に勝利を主張したものの、内実を伴っていないことはどちらの関係者も正しく理解していた。

 いわゆる太平洋戦争は終了し、表向きはまったく変化がないように思われた戦いであったが……。


 実のところ、その後の軍備に与えた影響は途方もなく大きかった。


 とりわけ日米の海軍にとっては。


 彼らは海戦を詳細に分析し、今後の教訓とした。


 アメリカは、最後のウェーク島沖海戦で航空機による攻撃を受けたことを重要視し、今後は航空機の時代が来ると判断し、空母、艦載機の開発に力を注いだ。

 新型のヨークタウン級は多くの改良が施されたし、一九三九年無条約時代に突入すると、新型の大型空母を早々と竣工させ、一大機動部隊を築きあげた。


 レキシントン級はその優速を生かして空母護衛艦となり、無数の対空兵装で日本の航空機部隊を迎え撃つことになる。


 一方、日本側は巡洋戦艦の価値を重視し、レキシントン級のみならず、コロラド級とも戦うことができると判断して、赤城、天城を改良、夜戦への部隊への投入を決断した。


 さらに、煙幕による射撃中断の事実を踏まえて、視界が悪くても敵艦艇を攻撃する技術として、電探レーダーの開発を押しすすめた。


 電探レーダーについては、闇夜で提灯を灯すようなものとして反対の意見もあがったが、海軍技術研究所の伊藤庸二いとうようじ中佐が攻撃的電探というある種、詭弁じみた提案を熱烈におこなったのに加え、西村、森下といったウェーク島沖海戦の経験者がその意見を支持し、半ば無理矢理、開発の道筋を作った。


 さらには、英国本土航空戦バトル・オブ・ブリテンで、イギリスのレーダーが効果を発揮していたことを知ると、航空本部や連合艦隊も賛成に回り、渋る艦政本部を押し切って、陸上用だけでなく、艦艇用のレーダーも実用化が推し進められた。


 その結果、昭和17年10月23日からはじまる次の日米戦争、いわゆる第二次太平洋戦争は、空母機動部隊を有するアメリカ太平洋艦隊を、新型の対艦、対空レーダーを搭載した連合艦隊が迎え撃つという奇妙な形ではじまった。


 それは、日米双方にとっても、さらに欧州やアジアに国々にとっても意外な情勢をもたらすことになり、人類は思いもかけなかった世界の変化を目の当たりにしたのである。


FIN


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巡洋戦艦大バトル ――天城vsレキシントン―― 中岡潤一郎 @nakaoka2016

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