第9話

 4月13日

 ウェーク島北北西150カイリ


「赤城、さらに被弾。火災が止まらない模様」


 悲痛な報告に有賀の心は痛む。


 これで四度目の直撃である。


 前檣楼の前であり、破片が飛び散るのがはっきりと見てとれた。

 船体をつつむ黒煙は濃くなる一方であり、状況は悪化の一途をたどっている。


 すぐにでも駆けつけたいが、今はできない。

 焦る気持ちを抑えて、有賀は指示を下す。


「取舵いっぱい!」


 狭霧の船体が大きく傾き、押されるようにして艦首が左に向く。

 水の抵抗を押しのけ、無理矢理、前進したところで、海面が弾けた。


 オマハ級からの攻撃だ。

 30メートルと離れておらず、押し寄せる海水が激しく船体を揺さぶる。


「右舷至近弾!」


「くそっ。またねらわれた」


 有賀は両足に力を入れて、身体が揺れないように踏ん張る。


 右舷方向を見ると、並走するような位置に、オマハ級の姿がある。

 距離は5000メートルを切っており、煙突や後部マストを肉眼で捉えることができる。

 一番砲塔と二番砲塔は狭霧に向けられ、先刻から砲弾を放っている。


 手数は多く、狭霧も思ったようには動けない。


「苦しいな」


 有賀はつぶやく。


 狭霧は、アメリカ軽巡部隊と砲戦中である。

 主力の水雷戦隊を守るべく転進、僚艦の夕霧とともに三隻のオマハ級に挑んだ。

 砲撃開始は9000メートルで、巧みに位置を変えて軽巡部隊を牽制した。

 当初はうまくやっていたのであるが……。


 20分前、オマハ級の一隻が艦列から抜け出し、狭霧と夕霧を攻撃しはじめてから、流れが苦しくなった。

 その一隻がこちらの動きを食いとめている間に、他の二隻が転進、南雲部隊を追いかけるため、北へ進路を取ったのである。


 追いつこうにも、敵軽巡が巧みに頭を抑えて、進路をふさいでくる。

 ここで増速すれば抜け出せるというところで、頭に砲弾を打ちこまれ、何度となく転進を余儀なくされた。


 そのうちに、夕霧が直撃を受け、戦線から離脱した。

 狭霧はオマハ級と単艦で戦うことになり、敵軽巡部隊の動きを抑えることは不可能となった。


「敵の艦長、相当にしたたかだ。こっちの動きを読んでいる」


 支援に行こうとすれば鼻面を押さえ、逆に攻めようとすれば巧みに距離を取る。

 冷静に、狭霧の意図をつかみ、付けいる隙を与えぬまま攻撃をつづけている。

 よっぽど頭がよいのだろう。米軍にこのような人物がいるとは。


「どうするか」


 戦況は悪化の一途をたどっている。

 巡洋戦艦の戦いは、苦しい局面がつづいている。


 赤城が被弾炎上し、戦闘不能。

 天城はいまだ健在であるが、敵二番艦の砲撃に押されて、自由に行動できない。

 レキシントン級の二隻は距離を詰めており、放っておけば二隻とも大きな被害を受ける。


 重巡部隊も被害も大きい。

 妙高がペンサコラ級の砲撃を浴びて、艦首付近が損傷しし、那智ももう一隻のペンサコラ級から至近弾を喰らい、艦速に影響が出ていた。

 足柄に至っては、オマハ級の軽巡二隻を打ち破れず、転進を何度も繰り返している。


 赤城の転進で、すべてが変わってしまった。


 無理に丁字に持ち込もうとしたことで、米軍に付けいる隙を与え、結果的に重巡や水雷戦隊の動きにも影響を与えた。


 味方の陣形は大きく乱れて、立て直すのはむずかしい。


「米軍をなめてかかりすぎだ。司令部はどういうつもりだったのか」


 嶋田長官の腹づもりはどこにあったのか、いまだに見えない。


 有賀は唇を噛みしめつつ、敵艦を見る。


 5000メートル先の敵は狭霧と並走しており、砲撃も継続している。

 振り切るのは無理であろう。


 ならば、むしろ、ここは接近すべきだ。

 間合いを詰めて砲弾を叩きこみ、上部構造物にダメージを与えたところで、すばやく離脱する。

 水雷戦隊の標的は敵主力艦であり、軽巡にかかわっている場合ではない。

 有賀は彼我の位置を確認すると、声を張りあげた。


「面舵10! 敵艦との距離を詰める」


 艦橋に一瞬、緊張が走るが、不安を口にする者はいなかった。

 皆、自分が何をすべきか理解している。

 速度を保ったまま、狭霧は右に舵を切る。

 一二センチ砲がうなり、敵艦の右舷に水柱があがる。


「撃て、撃て! オマハ級など沈めてしまえ」


 閃光がきらめき、砲煙がたなびく。

 敵艦との距離は確実に詰まっている。

 できることなら、このあたりで直撃を与えたい。


「弾着。敵左舷。至近弾!」


 夾叉した。もう少し、もう少しで……。


 西村が手を握りしめた瞬間、轟音が響いて、船体が激しく揺れた。


 見張員が吹き飛ばされて、壁に頭を打ちつける。

 艦橋の窓ガラスも五枚が同時に割れる。

 有賀も立っているだけで精一杯だ。


「直撃。艦尾!」


 パイプにしがみつきながら、見張員が報告する。

 やられた。逆に直撃をもらってしまった。


「被害状況、知らせ」


 西村の絶叫に、各所から報告があがってくる。


 命中したのは、後部三番砲塔付近だ。

 後部機関室は激しく浸水し、乗員は退避に入っている。

 三番、四番砲塔も使用できない。

 船体は大きく右に傾き、速度も落ちている。


 致命傷である。正直、轟沈してもおかしくなかった。

 当たり所がよかったとも言えるが、それが幸いかどうかはわからない。


「これでは逃げ切れん」


 次の一発を受ければ、文字どおり狭霧は消滅する。


 動きが鈍くなった今、それは避けられない。

 有賀は敵艦の位置を確認する。

 オマハ級は転進して、彼らとの距離を詰めていた。


 砲撃も断続的につづく。

 どうすれば、敵の攻撃から逃げられるか。

 無理に離脱をかけるか。それとも……。

 西村が懸命に次の策を探りはじめたその時、若い士官の声が響いた。


「二時の方向、航空機。飛行隊が来ます!」


「何だと!」


「数、およそ30!」


 冗談ではない。ここで飛行機の攻撃を受けたら、それまでだ。


 西村の心にあきらめの思いがよぎった時、ひときわ高い士官の声が響いた。


「接近する航空隊は味方。味方です」


 それは、さながら天界から響く喇叭の音色のように艦橋に広がる。


「翼に日の丸を確認。九六式艦戦と九七式艦攻です」


「そうか。空母部隊が間に合ったか」


 出撃が遅れて、攻撃隊の出撃は不可能と思われていたが、何とかなったのか。

 有賀が上空を見あげると、割れた窓ガラスの先には確かに接近する航空機の姿があった。

 距離があるので、細かいところははっきりしない。

 しかし、方向やその動きから見て、味方であることは間違いように思われた。


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