第7話


 4月13日

 ウェーク島北北西150カイリ


「夕霧、被弾! 炎上中!」

 

 見張員からの報告があがるが、西村はろくに聞いていなかった。

 旗艦からの命令に動揺していたのである。


「馬鹿な。転進だと?」


 西村が見ると、赤城は、すでに面舵を切っていた。


 八点回頭であり、大転進である。

 これで一気に敵との距離が一気に詰まる。

 いや、それどころではない。場合によっては、もっと味方に有利な状況となる。


 しかし、ここでやるのか。


 敵艦隊との距離はすでに2万メートルを切っており、砲撃は激しくなる一方だ。


 西村が右舷に顔を向けると、図ったように水柱があがる。


 轟音があがり、衝撃波が艦橋を激しく叩く。

 沸騰した海水が激しく押し寄せ、船体が揺れる。


 敵二番艦からの攻撃である。

 転進したこともあり、少し速度が落ち、赤城からは遅れがちで、右舷後方から突きあげるような格好で砲撃している。

 今のところ命中弾はないが、確実に天城に迫っており、いつ最悪の事態を迎えてもおかしくない。


 一方、天城も一番、二番砲塔が斉射に入って、敵一番艦をねらっている。

 砲口の輝きは、先刻から途絶えることはない。


 0612からはじまった砲撃戦は佳境を迎えており、巡洋戦艦、重巡は互いの生存をかけて巨弾を放っている最中だ。


 この一発一発が大事なところで、なぜ進路を変えるのか。意味がわからない。


 しかし、赤城はすでに回頭に入っている。


 旗艦が転進し、命令が出ている以上、従わないわけにはいかない。


「航海長、面舵いっぱい!」


 西村が伝声管に吠える。


 本来ならば復唱が返ってくるのであるが、今回はさすがに違った。


「えっ、面舵でありますか」


「そうだ。旗艦につづく」


「それは、もしかして……」


「ああ。長官は敵艦隊の頭を抑えるつもりだ」


 敵一番艦はほぼ並走しながら砲撃戦を繰り広げていたが、ここへ来て、極端な接近を怖れたのか、右へ進路を修正していた。

 そのため速度が遅くなり、赤城、天城は米戦艦よりも前へ出た。

 それを好機と考えたのであろう。司令部は転進し、敵の頭を抑える戦法に出た。


 いわゆる丁字戦法であり、日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊を破った時の陣形である。


 全砲門を使うことができるので、最も効率のよい戦い方として推奨されており、どのようにして丁字戦法に持ち込むかが海戦の行方を左右するとも目されていた。


 しかし、日露戦争の頃とは、艦艇も戦術もまるで違う。丁字戦法は各国で研究されており、対策は練られている。


 ましてや、速度はアメリカ戦艦部隊が上回っているのである。


 うかつな転進は付けいる隙を与えるだけだ。


「伊藤は、長官を抑えられなかったのか」


 遊撃部隊の参謀長は、伊藤整一少将だ。

 西村とは海兵の同期であり、海大を次席で卒業した海軍屈指の秀才である。


 武官としてアメリカに派遣されたこともあり、対米戦ではその知識を生かしての作戦立案が期待されていた。

 作戦前、西村は伊藤と話をしたが、敵に速度の有利を生かされぬように手を尽くすと語っていた。レキシントン級やノーザンプトン級の性能もよく知っており、警戒はできたはずだ。


 なのに、結果は逆である。


「やはり、司令部の人事には問題があったのか」

 

 西村の胸に苦味が走る。

 

 遊撃部隊の首脳部は司令長官嶋田繁太郎中将、参謀長伊藤整一少将、先任参謀黒島亀人大佐という組み合わせで、人事が発表された時から不安の声があがっていた。


 嶋田はエリートであったが、海上任務の期間が短く、前線部隊の機微を知らないという批判があった。

 また顕職を求める傾向が強く、第一艦隊兼連合艦隊参謀長の任じられるにあたっては、伏見宮博恭殿下をはじめとする海軍の大物に猟官運動をおこなった。

 今回の人事も、次の連合艦隊司令長官をねらってのことだと噂されている。


 一方、先任の黒島亀人は仙人参謀と揶揄されるほどの変人で、自室に香を焚き、不可解な瞑想に耽り、周囲を唖然とさせていた。

 作戦会議の場でも、赤城、天城でハワイを叩いて、米軍の士気をくじいてはどうかと語ったほどだ。

 それなりに頭は回るが、方向がおかしく、緻密な分析や作戦立案は苦手だった。


 その間に挟まった伊藤には、両者の関係を調整し、正しい方向に艦隊を導くことが期待されているのであるが、今回はうまくいかなかったようだ。

 苦労したはずで、心痛は察するが、無駄な行動を選択されては困る。


 西村が顔をゆがめる間にも、赤城は敵戦艦に迫っていく。


 果たして、誰が今回の転進を発案したのか。


 嶋田も黒島もどちらも言いそうである。


 だが、それが致命的な事態を引き起こすとは、誰も考えなかったのか。


 西村は敵味方の位置を確かめながら、新しい指示を出す。

 この転進で、測距の諸元が大きく変わってしまった。急ぎ修正しなければならない。


「何とか先手を取れば……」


 先に直撃を与えれば、米戦艦の動きを抑えることもできよう。今はそこに賭けるしか……。

 西村が射撃指揮所に連絡を取るべく、伝声管の蓋を開ける。


 直後、前方で爆発が起きた。


 赤城の船体が震えて、後部マストの基部から炎が噴き出す。

 破片が飛び散り、つづけざまに海中に落ちる。


「直撃。敵襲砲弾です」


「くそっ。ここでか」


 夾叉の前に命中弾が出るとは。あまりにも間が悪すぎる。

 唇をかむ西村の前で、次々と砲弾が降りそそぐ。

 水柱が赤城の船体をつつむ。

 いずれも至近弾で、かなりの被害が出ていると思われる。


「敵二番艦、転進。接近してきます!」


 見張員の報告に、西村は小さくうめいた。

 いよいよ攻勢に転じるか。

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