第2話

 太平洋での大日本帝国とアメリカ合衆国の戦い、いわゆる太平洋戦争は、昭和12年7月23日、日米の駆逐艦が東シナ海で砲火を交えたところからはじまった。


 水無月、文月が上海に向かう米国船に臨検をおこなおうとしたところ、米駆逐艦のロングとブルームが現れ、威嚇射撃をおこなった。

 両者とも引かずに激しい撃ち合いになり、結果としてロングが撃沈、水無月が中破した。


 日米関係は、日本の中国進出をめぐって対立していたが、この戦闘は状況をさらに悪化させることとなった。


 外交交渉で終息には持ち込めず、対立は尖鋭化。アメリカ大統領ハーバード・フーヴァーは、日本が謝罪し、中国方面からの撤退をしなければ、東シナ海で武力行使に出ると宣言した。


 日本政府はアメリカとの戦争を怖れ、一時は交渉も試みたが、8月12日、上海近海で、砲艦安宅が米駆逐艦に撃沈されると、強硬論が台頭し、開戦への道をひた走るようになった。


 とりわけ海軍は開戦を主張し、ここでアメリカを叩かなければ、侮られ、いずれは日本本土にも米艦隊が迫るだろうと強い調子で語った。

 陸軍も中国情勢を加味して、海軍の味方に回り、戦争準備を押しすすめた。


 情勢はついに変わらず、9月24日、ついに日本政府はアメリカに宣戦布告の文書を送った。


 フィリピン沖で海戦がおこなわれたのは、26日のことで、重巡青葉とノーザンプトンが激しく砲撃をかわした。

 アメリカも反撃に転じ、中部太平洋でも砲撃戦がおこなわれた。


 以後、何度かの海戦がおこなわれたものの、双方とも決定的な戦果は挙げられず、戦いは膠着状態に陥っていた。


     *


「ここへ来て、和平派の声が目立っています。戦争が長期化すれば、我が方に不利であると」


 森下は海風を浴びながら話を切り出した。


「政府も陸海軍も、そのあたりは承知しています。これ以上、戦いを長引かせるつもりはないでしょう」


「俺もそう思う。初手でフィリピンの艦隊を叩けなかった段階で、勝利のチャンスはなくなった」


「ヨーロッパ情勢もうまくありません。ドイツの動き次第では、ソ連が満州方面に侵攻してくる可能性もあります」


「潮時だよ。アメリカも大統領が変わって、関係改善のきっかけを求めている。交渉を持ちかければ、すぐに応じるだろう」


 去年の選挙で、フランクリン・D・ルーズベルトが大統領となり、政治情勢は大きく変わった。日本に対して好意的なメッセージも発信している。

 なのに、政府が動いたという話は聞かない。


「おそらく海軍が反対しているのだろう。最大の好機なのに、戦果を挙げていないという理由だけで戦いを継続するとはな」


 第一次ルソン島沖海戦、マーシャル沖海戦、第二次ルソン島沖海戦で、海軍は決定的な勝利をつかむことができなかった。沈めたのはノーザンプトン級の一隻だけで、主力艦は戦艦コロラドを中破に追い込んだに留まっている。

 基地航空隊を叩くこともできず、ルソンへの進出も頓挫した。


 今のところ目立った戦果はなく、海軍は強い批判にさらされている。

 その中でのウェーク島制圧作戦である。

 結果を求めての作戦であることは明らかで、おかげであちこちに問題が生じていた。


「どこまでやれるか」


 西村は、灰色の船体を見おろした。


 雄大な船首が太平洋の海原を切り裂く。

 速度は12ノット(時速22キロ)であり、抵抗も強いはずだが、ものともしない。

 後方から響く機関の音色も安定しており、不安はまったく感じられない。

 二基の40センチ連装砲塔は、歴史に名を残す名刀のように、陽光を浴びて重厚な輝きを放っている。


 西村が艦長を務める巡洋戦艦天城は大正15年に竣工した新鋭艦で、常備排水量は長門型を超える4万1200トンに達する。


 全長は252メートル、全幅は32メートルで、約13万馬力の機関を搭載し、速力は最大で30ノット(時速55.5キロ)を叩き出す。


 主砲は45口径41センチ砲。これが五基の連装砲塔に収められている。

 さらに副砲として14センチ単装砲が16基も装備されており、小型艦への対応も万全である。

 魚雷発射管は八門で、戦艦相手の雷撃戦も想定されていた。


 日本海軍が技術を結集して作りあげた高速戦艦であり、新世代の連合艦隊を引っぱる存在として期待されていた。


 西村が天城の艦長に任じられたのは昨年4月のことであり、登舷した時、胸が高まったのをおぼえている。


 実際に指揮を執ってみると、巨艦のわりに驚くほど扱いやすく、彼の指示にあわせて右に左にと鮮やかに転進してみせた。

 船体の動揺も少なく、主砲射撃演習でも良好な成績を残した。

 相手が長門や陸奥でも互角以上に渡りあうことかできる。西村ははじめて操艦した時、そう確信したし、今でも、その思いは変わらない。


 しかし、それは天城の能力を最大限に発揮した時の話で、今回のように、ウェーク島の制圧にまでかかわるようなことになると、いろいろと問題が出てくる。

 果たして、赤城と天城の二隻で、どこまでできるのか。アメリカ艦隊は、どの程度の戦力をそろえてくるのか。不安は尽きない。


「せめて意味のある戦いであって欲しいですな」


「同感だ。上の面子の為だけに戦うのは御免こうむりたい」


 西村は、生粋の海軍軍人であり、海兵を卒業して以来、ほとんどの期間を海上で過ごしてきた。

 森下も長く海上任務を務めた。出来がよかったので、海大に入り、戦隊参謀もこなしたが、陸にあがって仕事することはほとんどなかった。


 政治に興味はない。ただ、海軍軍人としての役割を果たすだけ。

 それが二人の共通した思いである。

 それが、こんな政治臭の強い作戦に巻きこまれるとは……


「皮肉なものだな」


「は、何か?」


「いや、何でもない。そろそろ戻るか」


 西村は先に立って、艦内に入る。

 潮風が断ちきられた時、自然と彼の頭は先のことに思いをはせていた。


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