巡洋戦艦大バトル ――天城vsレキシントン――
加賀美優/中岡潤一郎
第1話
一
昭和13年4月12日
ウェーク島北西300カイリ(約555キロ)
大日本帝国海軍大佐
その目は正面に向いているが、何も見えていない。
思いが深すぎるためだ。
あと一日も経たぬうちに、大きな海戦がはじまる。
それは熾烈であり、甚大な被害がされる。
巨弾は鋼鉄の船体を打ち砕き、多くの者が自分の死を理解する前に、この世から消えていく。
非情なようだが、それは事実だ。
西村は長く海軍に奉職し、水上での厳しい任務をこなしてきた。
あえて海軍大学校にも行かず、水雷畑、いわゆる車引きの役割を己の身を置いた。
だから、犠牲なしに勝利をつかめないことは理解できている。厳しい戦いに挑むことには、ためらいはない。
それでも、作戦がはじまるまでの経緯を思うと、沈痛な思いを消すことができない。
自然と思索は深くなる。
故に、突然、横に顔が出てきた時には、ひどく驚いた。
「艦長」
声をかけられて、西村は飛びあがった。
「お、おお、な、なんだ」
「なんだじゃありませんよ。どうかしましたか」
「い、いや、おう、航海長か」
うわずった声で応じると、陽に焼けた男は小さく笑った。
「おうじゃありませんよ、捜したのですよ」
顔立ちは精悍だが、笑顔を浮かべると、白い歯が浮かんで見える。カーキの防暑服につつまれた身体は精悍で、無駄肉はいっさいついていない。
瞳の輝きはやわらかいが、それは戦闘がはじまっていないからだ。明日には雰囲気ががらりと変わる。
「まさか、ここまであがっておられるとは。てっきり艦橋におられるかと」
「海を見たかったのだよ。ここなら一望できるからな」
西村は一息ついた。ようやく気分が落ち着いてくる。
「確かに。今日は天気もいいですし。潮風を浴びるのならば、ここが一番ですな」
森下は正面を見る。
その先には青い海が広がっている。
日本近海よりもはるかに澄んでおり、見ているだけで吸い込まれそうである。
雲は北東方面にわずかに貼りついているだけで、頭上には海と同じ青い空がある。
先刻、確認したところ緯度は20度30分。
太陽は左手頭上にあり何にも遮られることなく強い日差しを叩きつけており、鋼鉄の床はとんでもないほどの熱を持っている。
さすがは、中部太平洋といったところか。
西村は、30分ほど前に、この上部見張所にあがって、周囲の状況を確認していた。
海が見たかったことは確かであるが、それ以上に情勢の変化が気になっていた。
狭い艦橋では何か見落とすような気がして、あえて風通しのよい上部見張所に赴いたのである。
幸い、問題は起きていなかった。
敵艦の影はなく、接近してくる航空機も見えない。しごく穏やかである。
西村は静かに息をついてから、森下を見た。
「で、用事とは何だ? 捜していたのだろう」
「はい。司令部から通信が入りました。アメリカ艦隊を発見とのことです。位置はウェーク島北方50カイリ(約55キロ)」
「やはり来たか」
西村は、森下からメモを受け取った。
「巡洋戦艦二隻、重巡二隻、ほか駆逐艦多数か」
「我が艦隊と同じ規模ですな。幸い戦艦はいないのようですが」
「レキシントン級が出てきているのだから、楽観はできんよ。ぶつかる可能性は高いと思っていたが、こうして事実を告げられるとな。肝が冷えるよ」
「航空部隊が間に合わなかったのは痛いですな」
今回の作戦には、
懸命に後を追ってきているはずだが、敵艦隊との距離を考えると、海戦には間に合わないだろう。
「正面からの戦いになると苦しい」
「やられるかもしれないと」
「まさか。だが、苦しい戦いにはなろうて」
西村が顔を正面に向けると、波間にゆらめく艦艇が見てとれた。
巡洋戦艦の赤城である。
4万1000トンの巨艦は、進路を修正することなく、ひたすら東に向かって航行中だ。
彼らを導く姿に、ためらいは見られない。
西村が属する遊撃部隊は、連合艦隊司令部の命令を受けて、四月七日、沖縄から出撃。一路、ウェーク島を目指していた。
部隊は、旗艦の赤城に、同形艦の天城、さらには重巡の妙高、那智、足柄、軽巡の天龍、龍田。そして、第一水雷戦隊の神通に駆逐艦一二隻で編成されている。
その任務は、ウェーク周辺海域の制圧にある。
ウェーク島は、南鳥島の東南東約750カイリ(約1389キロ)に位置する環礁であり、アメリカ合衆国の支配下にある。
日本の勢力圏である内南洋に縁にあり、マーシャル諸島まではわずか約600カイリ(約1111キロ)しかない。
これは、海軍の根拠地があるトラック諸島までの距離よりも近く、ウェークに米軍が進出してくれば、
逆に、ウェークを制圧すれば、東のミッドウェー島やジョンストン島への足がかりとなり、ハワイの太平洋艦隊を牽制することができる。
日本海軍は、開戦以来、占領の機会を探っていたが、敵艦隊の警戒が厳しく、フィリピン周辺での戦いが激化したこともあって、攻略する機会を確保できずにいた。
「しかし、この間合いでウェークへ進出することになろうとは。お偉いさんは、何を考えているんでしょうかね」
森下の声には、嫌味の微粒子がまき散らされている。
大まかなところはわかっていて、このような発言をするのであるから、どれだけ腹がたっているのかわかろうというものだ。
西村は吐息をつきつつ応じる。
「政治だよ、政治。この戦争がはじまってから、海軍は大きな戦果を手にしていない。比島に橋頭堡を築くどころか、敵艦隊の追撃にすら失敗し、大半を逃した。マニラ湾は閉塞したものの、その後は放置したままだ。痛み分けでは、いろいろと面倒なことになろう」
「国民が騒ぐと」
「それ以上に政府と陸軍だよ。わかっているだろうに」
西村は軍帽を取って、頭をなでた。
強い日差しに頭を焼かれているうちに、自然と思いは過去に向かう。
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