第八話 運命の路線変更

 本当に胡散臭い男だが、ここまでうさん臭い名前を名乗られると逆にすがすがしい。

 だけど、怪しすぎて名前を教える気は完全に失せた。

 ユーリと名乗った男の問いかけを無視して、鞄から『ジェミニスター物語』を取り出す。


「ユーリ・ボイジャーってこのユーリ・ボイジャー? 僕は結構この話のマニアなんだから、偽名でもそれを名乗られると不快なんだけど」


 ユーリ(仮)はテーブルの上に乗った『ジェミニスター物語』を指さすと声を荒げた。


「それ! 君そんなものを読んでいるのか! それは嘘っぱちだぞ。全部が全部というわけじゃないが、話を分かりやすくするために省略されすぎている。まず、フィフィテはそんなに単純な悪い奴じゃないぞ? 地球支配をしようとしたんじゃなくて、閉鎖的になった宇宙開発事業に改革をもたらしたくてノア計画を打ち出したんだ。あ~あ、下手に子供向けにしてるから、歴史が曲解して伝わってるよ」


 首を傾げながら、ジェミニスター物語に目を通していく。


「俺もこんなに正義感に燃えた男じゃない『悪の王、フィフィテ・レヴォルス。俺の正義の血潮で燃え尽きるがいい!』こんなこと、俺は絶対に言わないよ。こんなものを読むよりも俺が書いた『真・ジェミニアン』を読むと言い。千年前のジェミニ大戦が明確に書かれている。なんてったってこの目で見て、この耳で聞いたことだからね!」


 そういって、ユーリは胸を張る。


「そんな本聞いたことがない」

「嘘⁉ 結構売れたよ?」

「そもそも、人が得られる知識も管理しているシグマデルタには本屋自体がないよ。本が読める場所は図書室だけ。だから、ベストセラーとかそういうのも僕らは知らない」

「……本当につまらない世界になったもんだ」


 がっくりと肩を落として、背もたれに背中を預ける。


「千年後の世界に来て、エデンという新世界を見渡して、あの時の俺たちの戦争は間違ってなかったんだと思っていた。人類はゆっくりと進化している生き物なのだと。過ちを繰り返し続ける生き物ではないと。時間が経つだけより良い社会を築ける生き物だと。だけど、世界の一部となり、中を見てみたら、何も変わらないどころか退化していた。足元では原始に還ったように争いを続け、天井では古びた身分制度を持ち出し、一部の人間が支配し続ける。あの時は否定してしまったが、フィフィテの言う通り人類は一度滅びないと進化しないのかもしれない」


 懐かし気に語るユーリ。彼のその眼は本当に郷愁が帯びており、嘘を語っているようには見えなかった。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない。俺は全然大丈夫じゃない。みんなのため、人類のためだと今まで頑張ってきたが、またどうせ、人間は変わらないんじゃないか。変わったとしても果たしてそれは俺の力があってこそなのだろうか。いや、俺がいない方がかわるんじゃないか?」


 ウィスキーをコップに注ぎ、二杯目で喉を潤す。


「実は、これを渡すのが仕事だと言ってたが、もう正直やる気がなくてね」


 虹の腕輪をぶらぶらと手に持ち揺らす。


「ずっと思っていた。俺に世界を進化させられるのか。その資格があるのかと、決心がつかないまま、決行の日になってしまったが。ここでいい人に出会えた」


 僕を指さすユーリ。


「僕?」

「ああ、都合のいい人に」


 都合のって。普通にいい人でいいだろう。


「ちょうど俺旅行に行こうと思ってたんだよね。ユーリ・ボイジャーっていう役目にとらわれない。一人の人間としてこの世界を見渡したいとずっと思ってた」

「仕事が終ってからやればいいじゃないですか」

「そんな事を言っていたら、ズルズルとここまで来てしまったんだよ」


 立ち上がり、シルクハットを手に取る。


「だから、この虹の腕輪と、英雄の証であるこのシルクハットを渡そう」


 虹の腕輪と、先ほど彼がかぶっていたシルクハットを渡される。


「いや、そんなことを言われても困ります」

「ついでにユーリ・ボイジャーが二十年使ってたエリメスのコートもあげちゃう。いや、今は5021年だから千年以上使ってたことになるのか。まぁいい、エリメスってブランド、今エデンにある?」


 聞き覚えのないブランドのコートも渡される。

 ユーリは白シャツとズボンというみすぼらしい恰好になったが、表情はやけに晴れ晴れとしていた。

 渡されたコートとシルクハットをテーブルに置き、虹の腕輪を見つめる。


「いきなりそんな事を言われても困りますよ。価値も分からない腕輪を渡されて、何かしろって言われたって何もできないですよ」


 ロウの言葉を聞いたユーリが可笑しそう含み笑いをして、首を振った。


「フフ……別に気負う必要なんかない。なるようにならせればいいし、選ばれた人間に渡すだけだし」

「選ばれた人間?」

「イフ・イブセレス」


 男の口から、クラスで一番人気の女子の名前が出た。


「彼女にそれを渡してほしい。そこから先は、俺の仲間が伝えてくれる」

「ど、どうしてイフを知っているんですか? 彼女に何をさせたいんですか?」


 ユーリは考え込むように天井を見上げた。


「あ~……別にさせたいことはない。彼女に選択肢を与えるだけだ。君が今手に持っている力は……」


 ずっしりと重たい虹の腕輪を指さすユーリ。


「世界を進化させる力だ」


 腕輪に埋められた宝石が虹のように輝く。


「意味が解りません」

「君が分かる必要はない。彼女がわかってくれればいい。じゃあ、頼んだよ。今日から君がユーリ・ボイジャーだ。ああ、そうそう」


 ユーリは腕時計を外して、ロウへ向かって投げる。


「そこにイフ・イブセレスの現在位置が示されてる。君には必要ない物だろうけど、高価なものだからね。売って足しにでもするがいい」


 腕時計と思ったそれは腕にまく探知機だった。

 ディスプレイには地図が書かれ、青い点が打たれている。それは、ゴールドストリートのライブハウスの隣のバー。

 つまりここを指していた。


「イフの居場所って………全然違う場所……」


 いや、ひとつ、ここを指すのに思い至るものがある。物を持っている。

 イフ・イブセレスの学生証。

 ロウはそれを持ち続けていた。まさか、あのみすぼらしい過去の英雄を名乗る男は本来イフと接触するためにここまで来たのだろうか。


「あなたは本当は何者なんですか? どうしてこんなものを渡すんです?」

「一言でいうと気まぐれ、だ。世界を変える革命家になろうが、英雄と呼ばれようが、世界は所詮、なるようにしかならない。どんなに個人が頑張ったところでその流れには逆らえない。千年たって至った俺の結論がそれだ」


 自分の力は何もできない、無力だ。

 この目の前の男はユーリ・ボイジャーを名乗っておきながらそんなことを言うのか?


「そんなこと言わないでくださいよ……嘘でも。僕が憧れたユーリ・ボイジャーはそんなことを言わない」


 子供の頃から読んでいた夢物語の主人公が至った結論がそんな絶望的なものであってたまるかと、怒りの炎が灯った。


「そうか、そこまでユーリ・ボイジャーを想ってくれるのなら、その名は君にあげよう。俺は今日からただの名無しだ。もう、本当にね。すべてが嫌になったんだよ」


 テーブルに置かれたシルクハットを手に取るユーリ。


「昔、戦場で手品をしたやつがいた。投影機で百の《マルチフレーム》を雲に映して

敵をだましたり、ハリボテで作った基地を攻撃させて敵の弾薬を減らしたり」


 語るユーリの口調は楽しげだった。


「《マルチフレーム》? 何です、それ?」

「今の戦場はAIで動く《オートフレーム》が主流だったね。だけど、昔はそんな高度なAIはなくて、人が乗る《マルチフレーム》―――《MF》しかなかった」


 人が乗る巨大人型兵器。そんなものがあるとは空中都市でしか暮らしていないロウは全く知らなかった。


「話が逸れたが、つまりは武器を持たずに敵を倒す手品師が、昔いたんだ。このシルクハットはそいつから譲り受けたものでね。俺もそんな風になりたかったが、できたのは人を殺すことだけだった」


 寂し気に帽子を見つめて、テーブルの上に置いた。


「さて」


 そして、立ち上がる。


「待ってください。困ります。本当に、こんなものを残されて……」


 扉へ向かって歩き出すユーリを呼び止める。

 彼は立ち止まったが振り返りはしなかった。


「さっき、世界を進化させるかどうか選ぶのはイフ・イブセレス次第だといったが、君も選んでいいのだよ」

「僕も?」

「そのシルクハットと、腕輪を置いてこの店から出てもいい。君が何をしようがしまいが、世界は変わらないし変わるかもしれない。ただ、運命の路線変更をしたければそれを手に取ればいい」

「運命を変える………」


 シルクハットへ自然と手が伸びていった。

 変わるのだろうか、この『評価』に支配された街から。

 解放されるのだろうか、決められた路線を歩く人生から。


「………ッ!」


 気が付いたらシルクハットを手に取っていた。


「さらばだ、名も知らぬ少年よ、名をなくした私が君に運命をあげよう。君の歩く道に星の光があらんことを!」


 ユーリの激励のような声が店内に響く。


「あの!」


 やっぱり返そうと、扉の方を見つめるとそこにすでにユーリは扉を閉じた後だった。

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