第六話 謎の男

 イフ・イブセレスの学生証を握りしめながら僕はシグマデルタ中心部へ向かっていた。

 様々な店がある歓楽街、ゴールドストリートの前を通り過ぎると、役場や都市警察の本部がある。そこへ向けて歩いているのだが、管理社会の空中都市シグマデルタとは言え、裏社会も存在する。

 風俗や非合法の店がゴールドストリートを埋め尽くし、多くの人間の息抜きの場になっている。違法ではあるのだが、取り締まりがされてない、特別な町だ。

 バンドの練習で良くここのライブハウスに足を運んでいた。だから、多少道には詳しいのだが、用がなければあまり好んで入りたい場所じゃない。


「お~い、助けてくれぇ!」


 ゴールドストリートのメインストリートを走る男がいた。

 黒髪の短髪にエメラルドグリーンのコートに身を包んだ男だ。

彼の後ろには制服を着た都市警察が三人、彼を追いかけていた。

 どうせ、出稼ぎのために不法侵入者だ。バレて、捕まえられようとしているのだろう。珍しいから顔だけでも見ておこうとコートの男を見た。

 彼もこちらを見ていた。

 ばっちりと目が合ってしまった。


「…………ッ!」


 慌てて目を逸らして早足で歩き去る。

 メインストリートから距離をとり、コートの男が追いかけてこないか何回か振り返りつつも足を止めずに歩き続ける。

 関係のないことだ。不法侵入者が捕まるのなんてよくあること。ロウが助けてあの人が逃げても、一年に百人いる不法侵入者の一人を助けただけで、そんなことをしても仕方のないこと。

 だけど、ロウはゴールドストリートの裏路地を知っている。

 それに、この間都市警察に痛い目を見せられたばかりだ。

 そして何より―――あの人の助けを求める目が瞼に焼き付いて離れない。


「あぁ……! もう!」


 くるりと踵を返し、ロウはゴールドストリートの中央通りへ入っていった。

 シルクハットの男が走っている場所を予測し、裏路地を走る。

 ゴミや空瓶などが散乱する汚い路地で、騒ぎの音を耳にしながらシルクハットの男の位置を予測する。


「ヒィ! ヒィ!」


 悲鳴が近い。

 男はすぐそばだ。

 路地から通りに出る。

 男が丁度こちらにかけてくるところだった。


「こっちです!」

「!」


 エメラルドグリーンのコートの袖を掴み、裏路地へ引っ張り込む。


「ありがとう!」

「走って!」


 男の礼を遮って、路地の奥まで走る。

 男は腕時計に目を落としながら、僕の後ろについてきた。


「君は! 男の子だな!」


 後ろから聞こえる男の言葉を、「何のこっちゃ」と思いながらロウは走った。

 少し、頭のおかしい人なのかもしれない。だけど、助けて後悔はない。


 〇


 警官隊を撒き、ロウはシルクハットの男と共に、ある場所へ向かった。

 よく仲間と共に通っていたゲームセンター『エイドス』だ。


「ここまでくれば大丈夫です」


 男はシルクハットを正し、紳士風に身だしなみを整えると僕へ手を伸ばしてきた。


「助かったよ、ありがとう。もう一度確認するけど、君は男だね?」

「……見ればわかるでしょう」


 いぶかし気に男を見ながら一応、男の手を取る。

 男はウィンクをし、


「素晴らしい。こんな面白みのない、誰も絵筆を付けようとしないキャンバスのような街で、君のような勇気を持った男に出会えるとは思わなかった」


 手を広げて大げさに喜ぶ男。

 こんな街で云々と言っているから……やはり外から来た不法侵入者のようだ。


「あなたはシグマデルタの外から来たんですか? やっぱり貨物船に紛れて?」


 食料貨物船の隙間に入り込んで空中都市に侵入するのは最もよく使われるルートだ。

 男は頷き、


「そうそう。ちょっと仕事の関係でこの街に来なきゃいけなかったんだけど。IDカードはあるか! っていきなり怒鳴りつけられてね。怖かったから逃げちゃったんだよ」


 肩をすくめておどける。

 全く悪びれないその態度に呆れながら路地の奥を指さす。

そちらは歓楽街で、マフィアが仕切っており、治安はよくないが不法侵入者の駆け込み寺になっているので、そちらに行くように男に目線でも指示を出す。


「あのホテルしかない通りによく不法に外から来た人たちは逃げ込んでます。あっちには警察も行かないですから、あなたも言ったらどうですか?」


 風俗店の看板が並び、夕方だというのにトップレスの女が客引きをしている通りを見て、男は顔をしかめた。


「いや、あそこは怖い。なんか、男の俺でも客をとらされそう」

「実際、男娼になる人は多いらしいですよ。でも、捕まるよりはいいでしょう。不法侵入者がどうなるのか公表されてないですけど、生きて解放された人はほとんどいないらしいですから」

「物騒だね。この都市は」

「それが管理社会ですよ。普通にしていれば安全ですけど、それから外れると徹底して排除されます」


 そう、ロウたちのバンド『ノーヒントパズル』のように。

 メンバーは大丈夫なんだろうかと、ライブハウスの看板を見つめる。


「……それでは僕はこれで」


 ポケットのイフの学生証を触りながら、歩き出す。


「ちょちょちょ、まぁ待ってくれよ。こうやって助けてもらったんだから何かおごるよ。ちょっとお話しようじゃないか」


 僕の腕を掴み、引き止める。

 そして、男はライブハウスの隣にあるバーを親指で指す。


「お互い自己紹介もまだだろう? ゆっくりいこう。人生は逃げない。のんびりと生きようじゃないか」


 シルクハットをクイッと上げて、ウィンクをする。

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