第四話 彼女との出会い

 オウルに絡まれるという嫌なことがあったが気を取り直して図書室の扉を開ける。

 先ほど直した本棚から『ジェミニスター物語』を回収し、自動貸し出し機に本を置く。

 自分の学生証をコンソールに置いた瞬間、エラー画面が表示された。


「貸出できない? どうして?」


 画面が赤く染まり、浮かび上がるエラーの文字。


『あなたの『未来適正評価』から大きく外れた書籍に登録された本です。直ちに閲覧をやめ、本棚に戻してください』


「ウェールズだな……畜生!」


 苛立って自動貸し出し機を叩く。

 ウェールズ先生が僕の貸し出し不許可本としてこれを登録したのだ。登録されたらほぼ永遠に図書館で借りることができない。つまりは、ロウの人生にこの夢物語は不要だから二度と読むなと言うことだ。


「くそ、小説を読むぐらいいいじゃないか。畜生……」


 そんなに、どうしても、生きる上で必要な本というわけではない。

 だけど、自分の自由が制限されてやれていたことがやれないというのは、何とも腹立たしい。

 モヤモヤした気持ちを抱えながらも、本棚にジェミニスター物語を戻そうとした。

 その時だった。


「その本、好きなの?」


 透き通った女の声が聞こえた。

 クリアな、天使の声を聞いたらこんな声なのだろうと思うほどの美しい音色だった。


「誰……?」


 呟き、声の主を探す。

 図書室に入ってきたときは人影は全く見つけられなかったが、本棚の陰にでも隠れていたのだろうか。

 夕焼けが差し込む図書室を見渡し、


「いた……」


 彼女を発見した。と、同時に、すぐに見つけることができない理由がわかった。

 丸まったカーテンから伸びる、肌色の二本の足。


「誰? そこで何をしているの?」


 まるでミノムシのようにカーテンを上半身にぐるぐる巻きにして、カーテンの下からスカートがはみ出て、そこから足が伸びている。

 白いカーテンに阻まれて彼女の顔が見えないが、薄く見える二つの青色の眼がこちらへ向けられていた。


「私が何者で、なぜここにいるのか。それはどうでもいいのよ」


 先ほど聞いた透き通った声が、そのカーテン蓑虫から発せられた。やはり声の主はこれで間違いないようだ。


「それよりも、『ジェミニスター物語』の話がしたいな。私も好きなのよ。それ」

「そうなの? いいよね。千年前の英雄譚」


 顔も名前も全くわからないが、ただの世間話好きの女の子のようだ。


「今から千年前の西暦3990年。月と火星の間にはもう一つの惑星が存在した。人工惑星『ジェミニ』。宇宙に浮かんだ丸い鉄の星に住んだ人々と地球に住み続けた人々との戦いの歴史。ロマンがあるよねぇ」


 カーテンの内側から楽しそうな雰囲気が漂ってくる。

 彼女は小刻みに体を揺らしながら語る。


「地球の戦士、ユーリ・ボイジャーは、人類全てを外宇宙へ捨て地球を支配しようとした悪の王、フィフィテ・レヴォルスの計画を止めるため、箱舟―――ノアに乗り込み、人々を逃がし、決闘が行われる。ユーリとフィフィテの決闘は熾烈を極め、誤作動が起きたノアは二人を乗せて外宇宙への航海へと出てしまう。外宇宙へ飛んでいくノアの中で戦い続けるユーリとフィフィテ。彼らは今でも戦っている。男のドラマね。私、結構好き」


 本当に彼女は『ジェミニスター物語』が好きのようだ。本のあらすじを朗々と語ってくれた。

 まさか、未だにこの物語が好きな人がいると思うと嬉しくなって、僕はテーブルの上に腰を下ろした。


「月と火星の間にあった伝説の人工惑星『ジェミニ』。今は影も形もない。痕跡すら見つかってない伝説の星。だから、この本はおとぎ話として扱われている。君はどう思う? 本当にあると思う?」

「トロイアよ」

「トロイア? ギリシア神話だっけ?」


 この図書室にあった古びた歴史書にちらりと乗っていたトロイの木馬が出てくる話だ。


「はるか過去の地球人類史に登場する伝説の都市。神話上の存在と言われていたけど、ハインリヒ・シュリーマンは実際に存在したと信じ、トロイアの遺跡を発掘した。つまり、存在すると信じて探せば、きっとあるのよ」

「夢があるね」

「ええ、私の将来の夢は外宇宙探査船に乗ることなの」

「外宇宙探査船? 宇宙考古学じゃなくて? 『ジェミニ』の痕跡を発見するんじゃないの?」


 彼女は嬉しそうに「フフ」と笑った。


「痕跡じゃなくてそのものを見つけたいのよ。ジェミニ外宇宙遊泳説って知ってる? ジェミニに巨大ジェットが付いて、宇宙を遊泳しているって説」

「すごい」


 そうとしか言えなかった。今、頭に浮かんでいる絵は完全に古代映画資料にあった地球に巨大ロケット推進装置を取り付けて、迫りくる巨大隕石を回避するというトンデモ映画だ。実際にやると地球の環境が大きく変化し、どちらにしろ人類は滅んでしまうらしいが。

 だから、もしかしたら違う何かの方法で、今もジェミニは宇宙のどこかを漂っているのだろうか。


「それは、本当に夢がある。君はまるでネバーランドを探すウェンディだ」

「古代文学のピーターパン? あなた本当に古典が好きなのね」

「まぁね。ここの本は結構読んでたから。でも、君は凄い。この空中都市で夢を持つだなんて。僕にはとてもできない」


 空中都市シグマデルタでは夢を持つことは許されない。そんなものはなく、生まれ時からレールを用意されて、ただその上を歩くだけだ。

 僕はそれがたまらなく嫌だったが、この都市の人間は誰も疑問に思っていない。

 だけど、カーテンの向こう側の少女は疑問に持つどころか『未来適正評価』を完全に無視して夢を持っている。

 それが、何となく羨ましかった。


「そんなことはないんじゃない。夢を持つことは誰にもできるわ」

「そんなことあるさ。将来の夢なんて今までの人生で聞かれたことがあるかい? シグマデルタでは安全が約束されてる代わりに、自由なんてものはない。二つの道だ。優秀か、落ちこぼれるか。自由を選べないから夢なんて持てないんだよ」


 だから、僕も、バンドで世界に反逆しようとしたが、本気で音楽で飯を食っていこうという気持ちは持っていなかった。持てていなかった。


「あら、あるわよ。将来の夢を聞かれたこと。この学校に転入してすぐに」


 カーテンの向こうの少女はそんなことを答えた。

 まさか、と思った。

 学校からそんなことを聞かれる人間。道が決まっていない。道を教師が決められない人間。そんな必要がある人間を、僕は一人しか知らない。


「もしかして君って、イフ・イブセレス?」

「…………」


 カーテンの向こうから返答はなかった。

 黙って、少し身をよじっただけだ。

 その沈黙が答えのように聞こえて、なんだか可笑しくなってきた。


「ハハ、そうか、初めて話すな。僕は君のクラスメイトなんだぜ。そんな愛嬌がある人間だとは知らなかった」

「話し方を変えないのね。私が地球人って知った瞬間、みんなどこかよそよそしくなるのに」

「あ~……」


 彼女がアカデミーに転入してきた当初に言っていた言葉を覚えて、その意思を尊重したんだよとは何となく言いづらかった。軟派のような気も、一年前の事をいまだに覚えていて、ストーカーのような気もしたからだ。


「やっぱり敬語を使った方がいい?」

「やめて、好きじゃないの。距離を取られるの。敬われるのも、上っ面しか見えなくなるから嫌いよ」

「そう、じゃあ、そうする」

「……フフ」


 彼女の嬉しそうな吐息が聞こえ、わずかにカーテンが揺れた。


「それよりも、『ジェミニスター物語』、借りたいの?」


 指摘されて、まだ右手に握られた教師に無常に禁書扱いされたバイブルを思い出す。


「あ、ああ。でも、オリバー・ウェールズっていう頭でっかちに貸し出し不許可本に登録されてね。閲覧も本当は禁止なんだよ。そのうちこの図書室に来れなくなるかも」

「そう」


 カーテンの下から手が降りて、白いカードが握られていた。

 指先で器用にこちらに投げてくる。

 回転して飛んでくるカードをキャッチする。


「これって、君の学生証?」


 『市民番号――― イフ・イブセレス』と書かれ、下には女子の制服である青いブレザーを着た、綺麗な白銀の髪の少女の顔写真が乗っている。


「それがあれば借りられるでしょう?」

「でも、IDカードを他人が使うのは都市法律違反。犯罪だ」


 個人を厳密に管理している管理社会上、他人に成りすます罪は重い。学生の内は身分証明を全て学生証で行うので、イフのIDカードはこれしかない。

 それにイフ・イブセレスのIDカードなんてものはなんの制限もかけられていない。どこにでも行けるマスターキーも同然だ。


「少し使うだけよ。少しならバレないわ。それに見つかっても、私が許しているのだから、私が借りて、それをあなたに貸していると言えばいいのよ」

「それを又貸しっていうんだぜ。まぁ、そういうなら……その好意に甘えさせてもらうよ」


 自動貸し出し機に本を置き、イフの学生証を読み取らせる。

『本日十二月二十四日に貸し出しました。一週間後の十二月三十一日に返却をお願いします』

 問題なく貸し出しが完了した。


「ありがとう、イフ。じゃあこれを」


 返そうとした瞬間だった。


「来た……」


 彼女がつぶやく、と廊下をタッタとかける音が耳に届く。


「来た?」


 勢いよく後方の扉が開かれる。バンという大きな音に驚き、思わずそちらを注目してしまう。


「イフ様!」


 オウルだった。

 彼は汗をびっしりと顔中に張り付け、足音を立てて図書室へ入ってくる。


「オウル?」

「バンドマン! イフ様はどこだ⁉」


 苛立ちのままに僕を怒鳴りつける。

 どうしてそこまで過保護なのだと嘆息して、彼女がいる場所を指さす。


「……どこだ?」

「え⁉」


 ぐるぐるに巻かれていたカーテンは解かれ、風に揺られていた。

 窓が開きっぱなしでそこから風が中へと入りこむ。


「飛び降りたのか⁉」


 身を乗り出して下の中庭を見ると、揺れて遠ざかっていく銀髪が見えた。

 図書室は三階にあり、そこから飛び降りてピンピンしているのは女の子にしては中々の身体能力だと感心する。


「イフ様! ここにいたということは……お前、彼女と会話してないだろうな⁉」


 番犬のようにオウルが睨みつける。


「……別に」


 その眼光に怯んでしまって瞳を逸らしてしまった。


「フン!」


 それ以上聞かずに、彼は鼻を鳴らすと携帯を取り出し、廊下へと出る。


「イフ様がいた! 中庭を走っておられる!」


 恐らく取り巻きの男どもに連絡しているのだろう。

 うるさい声が遠ざかっていく。

 騒ぎ立てる者がいなくなって、図書室が静かになり、嘆息する。


「フゥ……あ、学生証」


 イフの学生証を返しそびれたままだったことに気が付く。

 やばい、これはいわゆるIDカードの窃盗、重罪だ。

 ばれたら留置所に送られるだけじゃすまない。何百万Gと罰金を支払わされるかわからない。いや、持ち主はイフだ。地球人のIDカードを盗んだとあれば死刑もありえる! ……かも、しれない。


「まだ残っていたのか。『ID:Noナンバー―――D101』。ロウ・クォーツ」


 廊下からこちらを見ている眼鏡の男がいた。

 先ほど進路面談をし、バイブルを禁書扱いした憎き男、ウェールズ教諭だ。


「ウェールズ先生⁉」


 恨み言を言いたいが、『ジェミニスター物語』とイフの学生証を両手に持って抗議をすれば、色々と根掘り葉掘り聞かれて面倒なことになると、さっと背後に隠した。


「何を隠した?」

「それは今、どうでもいいことです。それよりも、今重要なのは、僕が迅速に変えることです。さようなら、ウェールズ先生! また明日」


 ウェールズ先生に本を気づかれないようにカニ歩きで、彼がいるのと反対側の扉から出ようとする。


「そうだな、確かにどうでもいいことだ」


 あれ、案外あっさり納得した。

 カニ歩きのまま、廊下に出る。


「今重要なのは、君がイフ・イブセレスと会話したかどうかだ」


 ウェールズ先生も廊下に出て、僕の進路上を回り込もうと早足で向かってくる。


「そ、そんなに重要ですか?」

「ああ重要だ」


 ウェールズの足は速く、彼はすぐに僕の眼前に顔を迫らせた。


「イフ・イブセレスと君は身分が違う。彼女は本来こんな場所にいるべき人間じゃない。もっと中央の特別な学校に行くべきだ」

「それは、イフに対する不満ですか?」


 まるでイフが面倒ごとだという口ぶりだ。

 ウェールズは軽く頭を揺らし、


「それもあるが、今の地球人というのは九割が住めなくなった大地の上のごくわずかに残った豊かな地域で暮らし続けるほんの一握りの上流階級。スペシャル中のスペシャルなんだ。エデンの支配も実質は地球で行われ、このシグマデルタだって元々は地球の人々の別荘だった都市。そんな神にも等しい人間に迂闊な言葉を投げかけてみろ。君どころか、私も責任を取られて罰せられるかもしれない」


 地球というのはエデンにとって特別だ。

 単に母なる星というだけではなく、権力者はほとんど地球にしがみつき、残された一割の豊かな土地に住み着き、エデンのほかの人々を追い出した。そう言った経緯があるからこそ、はっきりとした身分が生まれ、反逆されないように、エデン全体の秩序は地球が管理している。シグマデルタの政治も軍事も、地球が握っているし、人類がもつ最大限の軍事力も地球が保有している。

 支配されている。エデンは子供、地球は母親というわけだ。


「そういうところを平気で言うところ、僕は意外と好きですよ」


 全く隠す気のないウェールズの焦りは好感が持てた。


「少し話すぐらいはいいでしょう。それに、もうたぶん話すことはないですよ。オウルやイーグルが近づかせてくれないですからね」

「だろうな。だが、一等市民の彼らで周囲を固めてもなぜか彼女は外へと出てしまう。だから、そう言った例外が起きた時でも、君は彼女と話さないで欲しい。わかるな。当然、君だけじゃない」


 ウェールズ先生が指を突きつけ、念を押す。

 納得は言ってなかったが、反抗するのも面倒なので、僕は頷いた。


「わかりました。了解したところで、僕はもう帰っていいですか?」


 じりじりとウェールズ先生から距離を取る。


「……ああ、さようなら。『ID:Noナンバー―――D101』。ロウ・クォーツ」

「ええ、オリバー・ウェールズ先生」


 ウェールズから遠ざかり、廊下の角を曲がったところで一気に駆け出した。

 走りながらポケットにイフの学生証を突っ込み、握り締める。


「見つからなくてよかった。このまま明日に返せればいいけど」


 今日一日はこのまま面倒ごとに触れずに、草木のように心穏やかに過ごそうと、心に誓った。

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