第三話 窮屈な世界

 オリバー・ウェールズの説教から解放され、アカデミーの廊下を歩く。

 目的地は決まっている―――図書室だ。


「何が、『未来適正評価』だ。そんなもの知るか」


 毎回毎回「D」をくらっているのだ。今更減点されたところで別にそれ以下がないのだからいいだろう。

 先生の忠告を無視して『ジェミニスター物語』を借りる。そして、空想の世界に旅立つのだ。

 それはむかしむかしのおとぎ話。

 英雄、ユーリ・ボイジャーと悪の王、フィフィテ・レヴォルスが地球の未来をかけて戦う勧善懲悪の冒険活劇。

 ラストの黄金の箱舟―――ノアでの決闘は心が躍る。

 そうだ、バンドがダメなら、絵本作家にでもなればいいのか。


「だけど……絵なんて描いたことがないし……」

「おっと」


 考え事をしていると、人とぶつかりそうになった。


「ああ、ごめん」

「いや、大丈夫……」


 ボーっとしていたロウも悪いが相手の方もだいぶ悪い。

 廊下をかなりの早足で歩いて、ロウに気が付く間もなく接近してきたのだから。

 ぶつかりそうになった相手の顔を見ると、ごつい、老けた顔の青年だった。一応アカデミーの制服に身を包んでいるので学生っぽく見えなくもないが。


「……お前、ロウ・クォーツ?」


 彼、オウル・ルーゲンはロウの顔を見るなり、珍しいものを見るように目を輝かせた。

 この目は知っている。自分より下の人間をからかうときにする眼だ。


「言われなくてもロウ・クォーツだよ。オウル・ルーゲン」


 ちなみに、彼とはクラスメイトだ。

 同じ教室で授業を受けて一年がもうすぐ経つというのに、彼は、わざわざ顔を見て名前を尋ねなければいけないほど、ロウの顔と名前の一致に自信がないらしい。

 オウルは「ハハ」と笑うと、馴れ馴れしくロウの肩を叩いた。


「やった、やったな。バンドマン。歓楽街でライブをしたらしいじゃないか。それも無許可で。長いアカデミーの歴史でそんな破天荒な不良はお前が初めてだろうよ。いや、本当に尊敬する。俺にはとてもそんなことはできない……」


 オウルはしみじみと、ロウの英雄譚を噛みしめるように首を振った。


「どうも」


 学生というのは模範から外れた生徒を妙に崇める傾向にある―――それは昔も今も変わっていないらしい。

 彼の中ではロウは反骨精神にあふれた英雄にでも見えているのだろうか。

 いや、恐らくそれだけじゃない、この男の瞳の内側には邪悪な炎が見え隠れしている。


「俺にはとてもできない。そんなことをすれば減点百は食らってしまう……君が羨ましい」

「そんなことはないよ。実際僕が昨日今日でくらった減点は11点。ちなみにライブをしたのが十点減点、図書室でジェミニスター物語を読んで、一点減点だ」

「それは君の判定が「D」だからだ。俺は生まれてこのかた「A」から下をとったことがないし、とることが許されない。落ちることができる人間は本当に羨ましい」

「…………」 


 オウルの言葉は本心なのか。本当に羨ましそうに言っているが、皮肉にしか聞こえない。

 そして、彼は思いだしたように手を叩いた。


「そうだ。何でお前がここにいるんだ? 『未来適正評価』から大きく逸脱した社会活動は犯罪のはずだ。君は捕まって都市警察の留置所の中にいるはずだろう?」


 芸術家には芸術家に相応しい人間がいる。スポーツ選手にはスポーツ選手に相応しい体の人間がいるように。

 空中都市シグマデルタでは相応しい人間以外は認められず、法律で罰せられる。

 体力のない人間が陸上競技に出れば、都市警察に捕まり、三日は留置所で拘束される。絵が下手な人間が絵画コンクールに送っても同様だ。

 『適正』がないものが、『適性』外の事をすること自体がこの街では犯罪なのだ。

 だが、僕は許された。


「ああ……そうだな、いるはずだ」


 見逃された。その事を、その事実に向き合いたくはない。

 だが、オウルは的確にそこを抉ってくる。


「ああ、そうか、お前が二等市民だからか。ほかのチームメイトは三等市民だったんだよなぁ。流石はクォーツ重工の息子」


 二等市民―家柄で決まる身分制度―――『貢献階級市民制』。いわゆるカーストだ。

 主に三段階で別れ、社会貢献度で決まる。政治家なら一等市民、会社の社長や芸能人のような社会に影響のある人間なら二等市民。三等市民はいわゆる労働者だ。

 人類史が始まって五千年が経ち、一旦は捨てた時代もあったというのに、再び身分制を導入したのだ。


「クォーツ重工の息子って言っても三男だ。社長に収まることはできないし、いけても副社長。長男が死んだときの予備にしかなれない男だよ」

「相応しいじゃないか。お前に」


 イラっとした。

 彼は顔を歪ませて嫌味に「クク」と笑った。


「三等市民たちとつるんではしゃぐのは楽しかっただろう。彼らは捕まるが、自分はいざとなったら親の名前を出せばいいんだから。自分だけ安全圏にいて、火の粉を浴びるのはほかの人間。君の将来としてはぴったりじゃないか。クォーツ重工の副社長っていうのは」

「……「A」判定をとれればなれるけど、今からだと無理だよ」

「……だろうな」


 突如としてオウルは僕から興味を失ったように脇を通り過ぎた。


「君にはお似合いだよ。何物にもなれずに地を這いずり回ってもがくさまが」


 吐き捨てるように言うオウル。

 最初は(表面だけだったが)友好的だったのにどうして、段々敵意を向けるのか。


「オウル。君イラついているのか? 悩みでもあるなら相談に乗るぞ」


 言われっぱなしは嫌だったので言い返した。


「落ちこぼれのお前に相談することなど何もない。俺は、今、忙しいんだ。彼女がまた逃げたからな」


 そういえば、いつもオウルの近くにいる、いや彼が・・近くにいるあの少女の姿が見当たらない。そして彼の取り巻きも。


「取り巻きの姿もないみたいだけど?」

「みんなで探している」


「イフ・イブセレスを?」


 クラスで一番の美少女―――イフ・イブセレス。

 白銀の美しい髪をなびかせる姫。それがみんなが持つ彼女の印象だった。

 彼女を守る騎士のようにオウルと三人の取り巻きはいつも囲んでいた。金魚のフンのように。

 オウルはいらだちを隠さずに指でこめかみをつついた。


「イフ、様を付けろ。バンドマン。彼女はお前ごときが呼び捨てにしていい相手じゃない」

「王族でもあるまいし、その必要はないだろう。それに、イフ自身が言ってたじゃないか。クラスで壁を作りたくないって」

「王族……それ以上の人間だよ。イフ様は」


 踵を返し、オウルは早足で廊下を歩き去っていった。

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