70

 母にとって大切な人とは……

 恋人……?


 母には父の他に恋人がいた……!?


「ママにとって、彼はとても大切な存在だった。でもあの事故で、翔吾は亡くなり……。ママの心も……あの時一緒に死んでしまった……」


 私は母の告白に驚き、衝撃のあまり言葉を発することが出来なかった。


「ママが……角膜移植手術を拒んだのは、現実を見ることが怖かったから……。翔吾のいない人生なんて……私には考えられなかった。ママは……翔吾のあとを追って、屋上から投身自殺するつもりだったの……。その時、ママを助けてくれたのが……パパだった。パパはね、ママだけではなく、希の命も助けてくれたのよ……」


「えっ……? 私の……命?」


 母はまだ錯乱しているのだろうか……?

 母の話にトクントクンと鼓動が速まる……。


「あの時、ママは翔吾の子供を妊娠していたの。ママはあなたを一緒に道連れにするところだった。パパはそんなママを慰め、励まし、優しく包み込んでくれた。希がお腹にいるのを承知で、御祖父様や御祖母様の反対を押し切って結婚をし、希を自分の子供としてたくさんの愛情を注ぎ大切に育ててくれた……」


「そんな……。この人が私の本当のパパだっていうの……?」


 私は冷静ではいられなかった。

 今まで父だと信じていた人が実父ではなく、突然別の人が父親だと告げられるなんて……。


「こんな話をしても、希は信じられないと思うけど……。明日香君のお母さんは、翔吾が死んだ同じ日に、切迫流産でこの病院に入院されていたの。明日香君も母胎で生死をさまよっていたのよ。同じ日の同じ時刻に命を落とした二人は……不思議な力によって命を吹き返した。翔吾は……明日香君の体を借りて、もう一度ママに逢いにきてくれたの……」


 とても正気とは思えない母の作り話に、私は混乱している。


「……そんな話、信じられるはずがないわ。全部嘘よ……。ママは事故のショックで錯乱してるのよ」


 泣きながら狂ったように叫ぶ私を、母が抱き締めた。


「ママも……初めは信じられなかった……。全部偶然だと思ったわ。でも、『クラクションを二回鳴らす』と聞いた時、もしかして……と思ったの。二人でよく聞いたミュージシャンのCDやライブ、二人でよく行ったお店。全部、全部、偶然だと思いたかった。でも、昨日……彼は公園で二人しか知らない話を沢山してくれたの。ママも半信半疑だったけど、彼は翔吾だと確信した……」


「そんな非現実的な話、私には……理解できない……。それが本当だとしても、明日香君が死ななければいけない理由にはならないよ」


「わかってる。ママだって、明日香君には生きていて欲しい。でも明日香君が……翔吾の記憶を持ったままこの世に生まれてきたことは真実なのよ」


 母は全てを語ると、私を抱き締めたまま泣き崩れた。


「……明日香君、ごめんなさい。希……本当に……ごめんなさい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る