涼side

 ―二千十七年 春―


「涼! 卵焼きがなくなってもしらないからね!」


 お袋の怒鳴り声で、俺は悪夢から目覚める。

 額にはじんわりと汗が滲む。


「……うぜぇ」


 カーテンから差し込む朝日が、夢の世界から現実世界へと導いてくれる。


 俺の名前は、明日香涼あすかりょう、十八歳。

 幸か不幸か、四月一日エイプリルフール生まれ。四月なのに一日に生まれた者は早生まれ扱いとなり、四月二日以降に生まれた者と学年は異なる。どうせ生むならもう一日ずらして欲しかった。いや、一分一秒でもいい。二日に生んで欲しかった。

 そうすれば誕生日がエイプリルフールではなく、学年で一番最後の誕生日を持つ男にもならずにすんだのに。


 出生日時が一秒でも遅ければ俺はまだ高校生だが、エイプリルフール生まれの俺は先月、光鈴こうりん大学に入学した。

 光鈴大学は小中高一貫の名門女子校の附属大学だが、少子化の波に押され大学は男女共学になった。


 花の女子大が男子にも門戸を開き、同区の公立高校に通っていた俺と友達はこぞって受験した。即ち、俺は記念すべき第一期生だ。


 友達とはバカなことばかりしている俺だが、ひとつだけ秘密がある。


 物心ついた頃から、フラッシュバックのように頭に浮かぶ光景。初めてそれを見たのは五歳の時で、父と流れ星を見た夜の出来事だった。


 その後もその光景は映像のように頭に浮かんだが、両親は『夢でも見たんでしょう?』と、まったく相手にしなかった。


 男ばかりの四人兄弟だから、両親もいちいちかまってられないんだろうけど。


 ――時々……見るんだ……。


 夢なのか現実世界なのかも分からない……


 強烈な光と……


 衝撃音と……


 人の泣き叫ぶ声……。


 中学生になった頃には、自分は精神的な病気じゃないかと真剣に悩んだ。


 高校生になった頃には、その映像は更に鮮明になった。


 ――行った事もない風景……


 誰かの笑顔……


 ハンドルを握る手……。


 その風景をぶち壊すような金属音に、思わず両耳を塞ぐ。

 カンカン鳴っているのは、フライパンとお玉だ。

 調理器具を楽器のように打ち鳴らして、オーケストラの演奏者にでもなったつもりなのか?


 それは騒音に過ぎないから。


「涼! 起きてんの!」


「まじ、うぜぇ! 聞こえてるっつーの!」


 あまりの煩さに、モゾモゾとベッドから飛び下りる。


「さっさと起きればいいんだよ」


 ポコンとお玉で頭を叩かれた。

 俺の頭はフライパンじゃねーんだよ。


 これが、俺の一日の始まり。


 窓の外を見ると、雲ひとつない青空が広がっている。


「今日もいい天気だな」


 何故か、青空を見るとほっとするんだ。

 ここが現実世界だと実感できるから。


 私服に着替え鞄を掴み一階へ下りると、食卓はもう戦場だった。

 弟達の食欲は怪獣並みに凄まじい。

 我先に箸を大皿目掛けて突っ込む。


 今日のおかずは大皿の上に盛られた卵焼きとミートボール。

 それを箸で突き刺さし、我先に口の中へ放り込み飯を掻き込む。


 この世は弱肉強食だ。

 弱い者は空腹のまま学校に行かなければいけないことを、幼い頃から叩き込まれる。


 これが数分でなくなるのだからお袋が殺気だつのも、無理はない。

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