ACT09「そんなはずは、ないんだ」
次に目を覚ますと、放課後だった。
どこまでが現実で、どこまでが夢なのか。その境界があいまいだ。
全てが夢のようにも思えるし、全てが現実だったようにも思える。
今わかるのは。消毒液の臭いが鼻につくこと。体温で温まったベッドのシーツやブランケットの優しい感触。だが目に見えるものはあてにならない。その場しのぎの張りぼてなのではないかとすら感じてしまう。何もかもが疑わしい。
保健室を出て、教室へと上がった。窓から差し込む夕日の橙色が誰もいないクラスの教室を染めていた。狛江か誰かが確保しておいてくれたのだろう、僕の机の上には今日の授業のプリントが積まれてある。僕はそれらを手に取って、鞄に詰めた。
すると、鞄の中にいつもは無い固い膨らみを感じた。
何だろうと思い鞄を探ってみると、青い袋に緑色のリボンでラッピングされた目覚まし時計が出てきた。
――今日は九月六日。大野くんの誕生日だよ。
それは今朝、町乃辺駅で貰った片瀬からの誕生日プレゼントだった。
それが鞄の中に入っている。
重要な事実じゃないか。片瀬は確かに存在するという。
だけど、ならどうして狛江は片瀬を知らない?
嘘をつく理由も無いし、狛江は人をからかうような性格でもない。
――授業が終わったら、屋上で待ってて。
しまった。
僕はそこで片瀬の言葉を思い出した。
時刻は午後五時三十二分。急がなければ。
僕は屋上へと走った。
本当に自分が夏バテで倒れたのかと疑わしいほどに、身体はよく動いた。けれど何故だか左の頬だけがやけに空気を敏感に捉えている。その感覚に嫌な予感を覚えつつも、屋上へと繋がる鉄の扉を勢いよく開けた。
そこには、僕を待つ片瀬の姿が――無かった。
「……片瀬?」
辺りを見回してみる。屋上の反対側にもある階段室の方もしっかりと見た。
だが、片瀬の姿は何処にも無かった。
「そんなはずない。そんなはずは、ないんだ」
学校を後にして、相美原駅まで走り、電車に乗って町乃辺駅へ。そこからいつもと変わらない通学路を戻り、自宅方面へと急ぐ。しかし自宅へと戻る道へと曲がることはなく、僕はまっすぐ片瀬の家へと走っていた。
もし本当に存在が消されているというのなら、そこにはもう片瀬の家は無いのかもしれない。だけど自分の目で確かめたい。そう考えて走る。
コンビニエンスストアを左に、マンションを越えて三軒目。クリーム色の壁面が美しい一軒家……あった。確かにそこに片瀬優莉花の暮らす家があった。
だが、次第に近づいていくにつれて今までと同じ落胆と衝撃が待っているような気がしてならなかった。
そしてそれは、現実となった。
表札は片瀬ではなく、別の苗字だった。
洗濯物を取り込もうとベランダに出てきた女性は、僕の知っている片瀬優莉花の母親ではなく全くの別人だった。じっと見すぎたせいで、ベランダの女性がこちらを訝しむ。僕はその場を離れるほかに無かった。
片瀬は死んでしまったのだ。
いや、存在そのものが消滅したと言った方が正しいか。
やはり、あれはすべて現実だったのか。
大きく溜め息を吐きつつ、僕は自分の家へ重い足取りで帰った。
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