ACT02「今日って何の日だと思う?」

 他愛のない会話を重ねながら、僕と片瀬は住宅街を抜けて大通りへ。

 通勤のサラリーマンや学生が歩道を行き交い、通りには路線バスがひっきりなしに往来している。歩道橋を渡ると、見えてくるのは最寄り駅の町乃辺まちのべ駅だった。各駅停車しか止まらない小ぢんまりとした駅だけれど、ベッドタウンの中にあるとあって朝はラッシュになる。

 駅に向かっている人達の半分以上が同じ都市部方面への電車に乗るのだと考えると少しうんざりする。きっと傍から見れば満員電車に揺られる人々の姿は、さながら箱詰めされて出荷される野菜か果物のように見えてさぞかし滑稽だろう。少なからず向こう半世紀はこんな朝を繰り返すに違いない。今のところそれに音をあげずに済んでいるのは、やはり傍らに居てくれる片瀬優莉花の存在が大きい。

「そうだ。ねえ大野くん。今日って何の日だと思う?」

 ホームで電車を待っていると、片瀬が僕にそう尋ねてきた。

 僕にはただの月曜日であること以外に見当がつかず、首をかしげる。その反応を見てまた片瀬がくすくすと笑った。

「やっぱり忘れてる! 駄目だよちゃんと覚えてないと」

「覚えるって、何を?」

 その問いかけに、片瀬は返答として肩に提げるスクールバッグから緑色のリボンでラッピングされた青い袋を差し出した。

 不審に思いつつも、僕はそれを受け取った。

「今日は九月六日。大野くんの誕生日だよ」

 言葉に僕ははっとした。

 そうか、今日は僕の誕生日だったか。

 親戚はともかく、両親とも離れて暮らす僕にとって誕生日というのはあんまり特別な日だとは思わなかった。それに普段は自分の年齢よりも学年を気にするから、当然と言えば当然だろう。

 けど、これで僕の誕生日に対する考え方は変わった。一番好きな人から祝ってもらえる幸せがあるのだ。そう噛み締めた瞬間、何故だか涙が零れ落ちてきた。

「えっ、ちょっと大野くん!?」

「ごめん、なんだろ、急に泣けてきちゃって。嬉しいんだ。凄く、凄く……」

「そこまで喜んでもらえるなら、もっとちゃんとしたプレゼントにすればよかったかな」

 ふと片瀬が呟く。

「い、いや。片瀬からのプレゼントだったら、なんだって嬉しいよ!」

「本当に?」

「本当だよ! そうだ、開けてみてもいい?」

「いいよ……でも、がっかり、しないでね?」

 がっかりなんてするもんか――思いつつラッピングを丁寧に開けていく。小ぶりの箱だ。取り出して開いてみる。兎の耳のように大きなベルが二つ頭に乗った、丸い銀色の置時計だった。

 僕は驚いた。

 対して、片瀬は居心地の悪そうな表情で言葉を続ける。

「……いろいろ考えたんだけど、大野くんって朝弱いし、やっぱりこれかなって」

 けれど僕の驚愕の理由は、プレゼントの中身が何だったのかではなかった。

 今朝、僕は全く同じ目覚まし時計で目を覚ました。いや今日だけではない。今までずっとそうだった。高校に進学したと同時に、長期の単身赴任となった父さんが、僕がひとりで起きられるようにと入学祝のひとつとして買ってくれたものだ。その偶然に僕は驚いて、そして吹いてしまった。

「……やっぱり別の物の方がよかったよね? 私、あんまりプレゼントってしたことなくて、柄にもなくすると、他の女友達からは選ぶセンスが無いって言われるの……」

「いや、そんなことないよ。明日からこれで起きることにするよ、ありがとう片瀬」

「……うん、大野くんが喜んでくれるなら、私も嬉しいな」

 片瀬は今日一番の笑顔を僕に見せた。

 ――ああ、可愛いな。

 この笑顔の為だったらなんだってできそうだ、と本気で思った。

 ややあって、電車のやってくるアナウンスが聞こえた。それから間もなくモーターとブレーキ、金属同士の擦れる耳障りなキリキリという音を伴ってアルミの車体に薄緑のラインが引かれた電車がホームへと侵入してくる。

「大野くん」

 いざ乗ろうとしたとき、片瀬が僕を呼んだ。

「何?」

「ごめんね、ちょっと……」

 僕は片瀬を察した。

「わかった」

「先に行っててもいいよ?」

「いや、待つよ」

「すぐに戻るからね!」

 タイミングが悪いな、と思いつつ僕は並んでいた列を外れて後に譲る。

 片瀬は階段を駆け上がってトイレの方へと走っていった。

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